第21話「三人の心、想う気持ち」
提灯の灯りがほんのりと路面を照らし、夏祭り特有の熱気が夜の空気にとけ込んでいた。
賑わう境内から少し離れた、灯りがまばらな参道沿い。コウメイと広美は、自販機のある裏道へと歩いていた。
虫の声がどこからともなく聞こえ、空には星が滲むように瞬いている。
コウメイが汗を拭きながら、ふと横に目をやった。
「今晩は、暑いですね。」
広美は少し笑って頷いた。
「ほんとね。浴衣なんて着てきたから余計にね。」
彼女の浴衣は淡い藤色に白い撫子の柄があしらわれ、うなじから首筋にかけての白い肌が、どこか涼しげでもあった。
「先輩、浴衣姿、似合いますね。」
言ってから、照れくさそうに目をそらすコウメイ。
広美は驚いたように目を見開き、少し赤らんだ頬を指先で隠しながら微笑んだ。
「…あら、誉めてくれてありがとう。城山君。」
しばし沈黙が降りた。蝉の声も止んで、時間だけがゆっくりと進む。
やがて、広美の声が静かに響いた。
「ねえ、城山君?」
「はい?」
「……城山君、純夏のこと……好き?」
一瞬、足が止まりかける。
コウメイは驚いた顔で広美を見つめた。彼女は目をそらさずに、静かに問いの答えを待っていた。
「え……藤岡先輩ですか? …好きですよ。」
その言葉に、広美の肩がわずかに落ちる。心が少しだけ沈んだように見えた。
「やっぱり……」
その様子に気づいたコウメイは、慌てて言葉を続けた。
「藤岡先輩は、卓球選手として、ですよ! 強いですから。尊敬してます。あの、卓球の実力で大手企業からスカウトが来たくらいなんですよ…すごいです!」
目を輝かせて語る彼の姿に、広美は思わず笑った。だが、その笑顔の裏には、複雑な感情が揺れていた。
「そ、そうなんだ…」
「はい。だから、女性としては…って聞かれると……その……困るというか……」
もごもごと口ごもるコウメイ。そのとき、心の奥で、恵の声がふっと聞こえた気がした。
(「自分の思いを伝えるのよ♥」)
少し俯きながら、コウメイは意を決して顔を上げた。
「俺、うまく言えないけど……優しい女性が、好きなんです。……先輩みたいに。」
その瞬間、広美の瞳が見開かれた。頬が、次第に朱に染まっていく。
「え、えー……でも……ど、どうしよう。どうなのかな……」
戸惑いを隠せない様子の彼女が、しばらく黙り込んだ後、ぽつりとつぶやくように言った。
「私も……城山君のこと、好きよ……♥ でも……年上だし、純夏のことがあるし……私……」
「いや……先輩、俺……困らせたみたいで……すみません。」
「……ううん。困ってなんかない。でも……」
広美は、コウメイの目を真っ直ぐに見つめた。
「私は……今は、純夏とも奈々美とも友達のままで卒業したいの。二人とギクシャクしたまま、終わりたくないの。」
静かながらも決意を帯びた言葉だった。
「だから……もし、城山君が……この先も、私のことを……想ってくれるなら……」
広美の声が少し震えた。
「私は……あなたを……待ってます。」
コウメイの瞳が大きく見開かれた。
「え、それって……今はダメだけど……先なら……いいってことですか?」
広美は、黙って小さく、けれどはっきりとうなずいた。
「……先輩!」
その声には、戸惑いの色はなかった。
「俺、待ちます。……俺も、先輩のこと……」
広美の瞳が潤んだように光り、そっと微笑んだ。
「わかってくれて……ありがとう、城山君……」
そのやりとりを、少し離れた場所から偶然見てしまった純夏は、影の中で静かに目を細めていた。
(……そうなんだ。広美……)
(広美も……城山君、好きになってたんだね。)
(……あーあ、私も……一度くらい、いい恋してみたかったなぁ。)
彼女は寂しげに微笑んだが、その笑みにはどこか吹っ切れたような清々しさも混じっていた。
コウメイと広美が戻ってくると、純夏が軽く手を振って出迎えた。
「藤岡先輩! あれ、メグは?」
「さっき彼女が来てね、今、一緒に回ってるはずよ。」
「文香ちゃん、来たんですね。」
「うん。最初から来る予定だったみたいよ。」
「なんだ、そうだったのか……言ってくれれば邪魔しなかったのになぁ。」
「でも河村君は、城山君とも来たかったんじゃないかな?」
「そうですかね?」
純夏は小悪魔のように微笑んだ。
「あなたたちは大親友でしょう?」
「……そうですね。大親友です。」
「私たちも、もう少し回ってきましょう?」
「ええ!」と広美が頷き、コウメイも「行きましょう!」と笑顔で応えた。
そのころ、神社の裏手にある灯籠の灯りの下、恵と文香が並んで歩いていた。
小さな紙袋を握りしめ、文香は少し心配そうに恵を見上げた。
「恵さん、あれでよかったの? …一人で。」
「ええ、あれで。……みんな、恋って大変ね。」
「え、何の話ですか?」
「恋をするのって、大変よ。実はね、城山君のこと、二人の先輩が……好きになってるの。」
「ええっ!? 城山君、モテモテですね!」
「ふふ、そうね。でも……彼がどちらを選ぶかしら。」
「恵さんでもわからないの?」
「それは、コウメイ君の問題だから。私には……わからないわ♥」
「でも今夜、進展があったりして……?」
「……あったかもね♥」
文香が照れ笑いを浮かべた。
「もし城山君に彼女ができたら……」
「できたら?」
「ダブルデートできるのに♥」
「ふふっ。コウメイ君、きっと真っ赤になって、黙っちゃうわね。」
「上手くいくといいですね。城山君……」
「ほんと。彼は……大親友だから。」
「恵さん、今度は綿あめ食べたい! 行こう!」
「もう、文香ちゃん、食べてばっかり。太っちゃうぞ〜?」
「いやー、それは言わないで〜!」
彼女たちの笑い声が、夏の夜空にふわりと溶けていった。
。。。。。
間鳥居祭が終わって数日が過ぎた。
秋の気配がほんのりと漂い始めた午後。柔らかな日差しが窓辺に差し込み、カーテンを淡く揺らしていた。
──ピンポーン。
チャイムの音が響き、奈々美はノートを閉じて席を立つ。
部屋の奥からは微かにクラシック音楽が流れており、香り立つ紅茶のような落ち着きが、家全体を包んでいる。
「はーい!」
扉を開けると、そこには恵と文香が並んで立っていた。二人とも控えめな笑顔を浮かべ、まるで風に揺れる花のように柔らかだった。
「恵さんと文香ちゃん? いらっしゃい。」
「こんにちは、奈々美さん。」
「こんにちは。」
丁寧に頭を下げる二人に、奈々美は自然と笑みを浮かべる。
「さあ、どうぞ上がって。」
「失礼します。」
***
奈々美の部屋は、清潔感のあるシンプルなインテリアでまとめられていた。木の香りがほのかに漂い、
整頓された本棚には、勉強と趣味のバランスを感じさせる蔵書が並んでいる。
奥の机には開かれた参考書とカラフルな付箋。部屋全体から、彼女の誠実さが伝わってくる。
「素敵なお部屋……いい匂い……♥」
文香が小声で感嘆の声をもらす。
「ありがとう。」奈々美は少し照れたように笑った。
恵は手にしていた袋を奈々美に差し出す。
「お勉強中にお邪魔してすみません。これ……お借りしていた浴衣です。本当にありがとうございました。」
「あら、わざわざありがとう。……お祭り、楽しめた?」
「はい。おかげさまで、すごく……楽しかったです。ね? 文香ちゃん。」
「ええ。とっても。」
奈々美の目がふと真剣な色を帯びた。
「それはよかったけど……ところで、純夏は? あのあと、どうなったの?」
恵は小さく首を傾げて答えた。
「それが……顛末は正直、よく分からなくて。でも……何かが、少しずつ進み出してる気がするんです。」
「それって、どういうこと?」奈々美が身を乗り出すように訊いた。
「実は、こっそり3人に聞いてみたんです。彼らの気持ちを、少しだけ。」
奈々美の瞳が輝く。
「それで……?」
「純夏さんは、コウメイ君のこと……好きだったんです。」
「やっぱり……! そうだったのね。」
「でも彼女が求めているのは……『強い人』のようでした。今まで卓球で彼女が“強い”と感じたのは、奈々美さんだけだったらしくて。」
「……強さ、か。」奈々美が呟く。
「そこに現れたのがコウメイ君。自分の中で何かが変わったんでしょうね。きっと、卓球というフィルターを通して、彼が気になる存在になっていったのだと思います。」
「つまり、恋愛対象というよりも……ライバル?」
「そうかもしれません。でも、その過程で感情が変化したのかも。」
奈々美はゆっくりと頷いた。
「純夏らしいわね。あの子、強さに惹かれるから。」
「でも……これから彼女が出会う“強い人”は、もっとたくさんいる。純夏さんにとって、恋より卓球が先なのかもしれません。」
「そうね。スカウトも来てたし、強敵だらけの世界に行くんだもんね。」
「それで、城山君に告白したの?」
「うーん……そこまでは、ちょっと分かりません。」
一瞬、部屋に静けさが落ちる。
だが次の話題で、奈々美の目がさらに輝いた。
「で……城山君の好きな人って、誰なの?」
恵が少し笑って、囁くように言った。
「実は……辻原先輩なんです。」
「えっ!? 広美!?」
奈々美の声が一段上がった。
「はい。びっくりですよね。でも、彼……わかりやすいんです。」
「どうしてそれが分かったの?」
「ちょっと魔法をかけました。」
「魔法?」
「“広美さんのこと……好きなんでしょ?”って聞いたら、『なんでわかるんですか』って言ってきたので。」
奈々美は息をのんだ。
「それってもう、認めてるじゃない……!」
「そうなんです。だから私、“女の感よ♥”って言ってやりました。」
二人はくすくすと笑い合った。
「コウメイ君、恋愛話は苦手みたいで。でも……優しい女性が好きみたいです。強い女性よりも、癒しを求めているのかも。」
奈々美は頷きながら、ふと視線を遠くにやった。
「……で、広美はどうなの?」
「実は……広美さんにも聞いてみたんです。」
「ほんと!? すごいわね恵さん!」
「“コウメイ君のこと……好きですよね?”って。」
「それで?」
「“それは……秘密”って答えたんです。」
奈々美は息を呑んだ。
「……秘密、ってことは……」
「つまり、知られたくない。つまり、好きということです♥」
奈々美は手を叩いて笑った。
「信じられない……広美からそこまで聞き出せるなんて。」
「でも……多分ですけど、広美さんはコウメイ君から告白されても、断るんじゃないかと思うんです。」
「な、なんで!?」
「彼女、和を大切にする人ですから。純夏さんや奈々美さんとの関係が気まずくなるのを、きっと怖れてる。」
奈々美の瞳が揺れた。
「……そんなの、気にしなくていいのに。」
「でも、それが……広美さんなんです。恋より、大切なものがある。そう思っている。」
二人はしばらく無言で、室内に流れる穏やかな音楽に耳を傾けた。
やがて、恵が立ち上がった。
「長々とお邪魔してすみません。お勉強の邪魔しちゃって。」
「いいのよ。……ところで、これからどうするの?」
「文香ちゃんとお散歩デートです。」
「まあ、羨ましい。いいわねぇ、文香ちゃん。」
「はい♥」
「じゃあ、行ってきます。」
「勉強、頑張ってくださいね。」
「ありがとう、文香ちゃん。」
ドアを閉めるとき、奈々美は一人、ぽつりと呟いた。
「ああーあ……私も、恋がしたいなぁ……♥」
カーテンがふわりと揺れた午後。
窓の外には、どこか甘く切ない、秋の風が吹いていた。
(つづく)
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