第5章:パンの精霊が、やってきた

収穫祭から一週間後の朝、ユナはいつものように工房に降りた。

しかし、そこで見たものは今まで見たことのない光景だった。

「あの…」

小さな子供が、パンをつまみ食いしている。

年の頃は七、八歳だろうか。金色の巻き毛に、大きな緑の瞳。まるで妖精のような愛らしい外見の子供だった。

「君は誰?」

ユナが声をかけると、子供はびっくりして振り返った。

「あ、バレちゃった」

「ここは私たちの家よ。勝手に入ってはダメ」

「ごめんなさい。でも、とってもいい匂いがしたから」

子供は申し訳なさそうに頭を下げた。

「お腹が空いているの?」

「うん。すっごくお腹ペコペコ」

「それなら、ちゃんとパンを用意してあげる。だから、つまみ食いはダメよ」

「本当?やった!」

子供は嬉しそうに飛び跳ねた。

その時、ライルが工房に現れた。

「ユナどうしたのですか?」

ライルは不思議そうにユナを見ている

ユナは子供がパンをつまみ食いしていることを説明した。

「え?子供?どこに?」

「そこに…」

ユナが指差した場所を見ると、子供の姿はなかった。

「あれ?。確かにいたのに」

「子供?」

「はい。金色の髪をした、とても可愛い子が」

ライルは首をかしげた。

「この時間に子供が一人でいるはずがありません。きっと見間違いでしょう」

「でも、確かに…」

ユナは混乱した。確かに子供と話をしたのに、なぜライルには見えないのだろう。

「おはよう!」

トムが元気よく店に入ってきた。

「トム、おはよう。ところで、今さっき金色の髪の子供を見なかった?」

ユナが尋ねると、トムは首を振った。

「金色の髪?そんな子、村にはいないよ」

「そう…」

ユナはますます困惑した。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありません」

その日は何事もなく過ぎたが、次の日の朝、再び同じことが起こった。

「おはよう、お姉さん!」

今度は子供の方から挨拶してきた。

「あなた、昨日の…」

「うん!今日もパン食べに来たの」

「でも、昨日ライルには見えなかったみたい」

「あ、それはね」

子供は人差し指を唇に当てた。

「僕、特別な子供なの。見える人にしか見えないんだ」

「特別って?」

「パンの精霊なの」

ユナは目を丸くした。

「精霊?」

「うん。パンに込められた愛情や想いを感じ取る精霊なの。お姉さんは月の魔法が使えるから、僕が見えるんだよ」

「そうなの…」

確かに、神殿時代に精霊の存在について学んだことがあった。強い魔力を持つ者にしか見えない存在だという。

「僕の名前はポン。よろしくね」

「ポン?可愛い名前ね」

「えへへ。ところで、お姉さんとライルのパンからは、とってもいい香りがするよ」

「いい香り?」

「愛情の香り。最初はライルのパンからだけだったけど、最近はお姉さんのパンからもするの」

「愛情の香り…」

ユナは頬を染めた。

「ライルは、パンに愛情を込めて作っているの?」

「うん。ライルはとても不器用だけど、パンを食べる人のことを真剣に考えてる。特に最近は、お姉さんのことを考えながら作ってるよ」

「私のことを?」

「うん。『ユナが喜んでくれるかな』って思いながら」

その言葉に、ユナの心は温かくなった。

「でも、ライルにはあなたが見えないのよね」

「そうなの。でも、いつか見えるようになるかもしれない」

「どうして?」

「ライルも魔法の素質があるから。ただ、心の壁が邪魔してるだけ」

「心の壁?」

「過去の失敗を引きずって、自分を許せないでいるの。でも、お姉さんが一緒にいるから、きっと大丈夫」

ポンの言葉は、なぜか説得力があった。

「ポン、あなたはどうして私たちのところに?」

「このパン屋から、すごく良い波動が出てるから。こんなに愛情に満ちたパンを作る場所は、滅多にないんだ」

「そうなの」

「それに、お姉さんとライルを見てると、とても幸せな気持ちになるの」

その日から、ポンは毎朝現れるようになった。

ユナだけに見える小さな来客は、パン作りをより楽しいものにしてくれた。

「今日はどんなパンを作るの?」

「クルミのパンです」

「クルミ!僕、クルミ大好き!」

ポンは嬉しそうに手を叩いた。

「手伝ってもらえる?」

「本当?やった!」

ポンが手を触れると、パン生地がほんのりと光った。

「これは?」

「幸せの魔法だよ。食べた人が、もっと幸せになるの」

「素敵ね」

「お姉さんの月の魔法と組み合わせると、もっと美味しくなるよ」

二人で作ったクルミパンは、今まで以上に美味しく焼き上がった。

「いい香りですね」

ライルが工房に入ってきた。

「はい。今日は特別に美味しくできました」

「そうですね。いつもと何か違います」

ライルは不思議そうにパンを見つめた。

「何だか、温かい感じがします」

「温かい?」

「はい。このパンを食べると、心が温かくなりそうな」

ユナとポンは顔を見合わせた。

「ライル、何か見えない?」

「見えない?何がですか?」

「えーっと、特別な何かが」

「特別な何か?」

ライルは首をかしげたが、なんとなく工房を見回した。

「確かに、最近この工房の雰囲気が変わったような気がします」

「どんな風に?」

「明るくなったというか、楽しくなったというか」

ポンが嬉しそうに笑った。

「少しずつだけど、ライルにも感じ取れるようになってきてるよ」

その日、クルミパンは大評判だった。

「今日のパン、また特別美味しいわね」

「何だか食べると元気になる」

「幸せな気持ちになる」

村の人たちの反応に、ユナは密かに満足した。

「ポンのおかげね」

「お姉さんとライルの愛情があるからだよ」

「愛情…」

「うん。二人の愛情が、パンを特別なものにしてるの」

夕方、店を閉めた後、ユナはライルに提案した。

「今度、新しいパンを一緒に開発しませんか?」

「新しいパン?」

「はい。二人で考えた、オリジナルのパンです」

ライルは少し考えてから頷いた。

「いいですね。どのようなパンにしましょうか?」

「村の人たちがもっと幸せになるような、そんなパンがいいです」

「幸せになるパン」

「はい。食べると心が温かくなって、笑顔になれるような」

ライルの目が少し柔らかくなった。

「素敵なアイデアですね」

「一緒に考えてくれますか?」

「はい。喜んで」

その夜、二人は遅くまでパンのレシピについて話し合った。

「はちみつを入れてはどうでしょう?」

「いいですね。優しい甘さが出ます」

「それに、少しスパイスも」

「シナモンとナツメグですね」

ポンも見えないながらに参加していた。

「ドライフルーツも入れたらどう?」

ユナがポンの提案を伝えると、ライルは感心した。

「それは良いアイデアですね。どこから思いついたのですか?」

「なんとなく、閃いたんです」

「あなたは、本当にパン作りの才能がありますね」

ライルの素直な賞賛に、ユナは嬉しくなった。

翌日、二人は早速新しいパンの試作を始めた。

「生地の硬さはどうでしょう?」

「もう少し柔らかい方がいいかもしれません」

「そうですね」

二人の息は完全に合っていた。

ポンも興味深そうに見守っている。

「すごいよ。二人の心が一つになってる」

試作を重ねること三回、ついに理想のパンが完成した。

「どうでしょうか?」

ライルが心配そうに尋ねた。

ユナは一口食べて、思わず笑顔になった。

「美味しいです。本当に心が温かくなります」

「よかった」

ライルもほっとした表情を浮かべた。

「このパンに名前を付けましょう」

「名前?」

「はい。特別なパンですから」

二人は考え込んだ。

「『ほのぼのパン』はどうでしょう?」

「『ほのぼのパン』…いいですね」

こうして、ユナとライルの最初の共同作品が誕生した。

ポンは満足そうに頷いていた。

「これで二人の絆は、もっと深くなるよ」

「そうかしら?」

「うん。一緒に何かを作り上げるって、とても大切なことなの」

確かに、ライルとの距離はまた少し縮まったような気がした。

「ポン、あなたはいつまでここにいるの?」

「わからない。でも、お姉さんとライルが本当に結ばれるまでは、見守っていたいな」

「本当に結ばれる?」

「うん。心から愛し合って、本当の夫婦になるまで」

ポンの言葉に、ユナは頬を染めた。

翌日、「ほのぼのパン」を店頭に並べると、大評判だった。

「このパン、なんだか特別ね」

「食べると幸せな気持ちになる」

「家族みんなで食べたい」

村の人たちの反応に、ユナとライルは顔を見合わせて微笑んだ。

「成功ですね」

「はい。一緒に作ってよかったです」

「また新しいパンを考えましょう」

「ぜひ」

その後も、ポンは毎日のようにパン屋を訪れた。

「今日はどんな魔法をかけるの?」

「今日は元気になる魔法にしようかな」

「いいね!疲れた人が元気になるパンだね」

ポンとユナの会話を、ライルは不思議そうに聞いていた。

「ユナ、最近よく一人でしゃべっていますね」

「え?あ、はい。パンと話してるんです」

「パンと?」

「はい。パンの気持ちを聞いてるんです」

「面白い発想ですね」

ライルは微笑んだ。

実際、ポンのアドバイスで作ったパンは、どれも大評判だった。

「疲労回復パン」は働く人たちに人気で、「安眠パン」は夜勤の人たちに愛された。

「恋愛成就パン」を食べたカップルが結婚したという話も聞こえてきた。

「僕たちのパン、すごい効果だね」

「ポンの魔法のおかげよ」

「でも、一番大切なのは、お姉さんとライルの愛情だよ」

「愛情…」

ユナは最近、ライルへの気持ちが愛情だということを認めざるを得なくなっていた。

一緒にパンを作っているとき、偶然手が触れるだけで心臓が早鐘を打つ。

ライルの笑顔を見ると、胸が温かくなる。

そして、彼の悲しそうな表情を見ると、自分も辛くなる。

これは確かに愛情だった。

「ポン、私はライルのことが好きなのかしら」

「うん、とっても好きだよ。愛してるんだよ」

「愛してる…」

その言葉を口にするのは初めてだった。

「ライルも、お姉さんのことを愛してるよ」

「本当?」

「うん。でも、まだ自分の気持ちに気づいてないの。過去の傷が邪魔してるから」

「どうしたら、ライルの心の傷を癒せるかしら?」

「時間と、お姉さんの愛情があれば大丈夫。もう少しだよ」

ポンの言葉を信じて、ユナは待つことにした。

ある日、ポンが少し元気がないように見えた。

「どうしたの?」

「実は、僕の仲間がお姉さんたちを心配してるんだ」

「心配?」

「パンの精霊界では、お姉さんとライルのことが話題になってるの。みんな、二人が幸せになることを願ってる」

「そうなの」

「でも、時々不安になるんだ。本当に二人は結ばれるのかなって」

「大丈夫よ。私は諦めないから」

「お姉さん…」

ポンの目に涙が浮かんだ。

「僕、お姉さんとライルが大好きなんだ。だから、絶対に幸せになってほしい」

「ありがとう、ポン」

ユナはポンを抱きしめたくなったが、精霊なので触れることはできなかった。

その日の夕方、ライルが珍しく先に店を閉めた。

「今日は早いですね」

「ええ。村長から呼び出されまして」

「何か大切な用事ですか?」

「わかりません。でも、急用のようでした」

ライルが出かけた後、ユナは一人で片付けをしていた。

「お姉さん、心配だね」

「ええ。何の用事かしら」

「きっと大丈夫だよ」

でも、ポンの声にも不安が混じっていた。

ライルが帰ってきたのは、夜遅くだった。

「お疲れ様でした。どうでしたか?」

「ユナ、話があります」

ライルの表情は深刻だった。

「はい」

「王都から使者が来ました」

ユナの心臓が止まりそうになった。

「使者?」

「はい。兄から、王都に戻るよう命令が来ました」

「戻る?」

「はい。国境で問題が起きて、私の外交経験が必要だと」

ユナは言葉を失った。

「いつ?」

「来週です」

「そんなに急に…」

「はい。申し訳ありません」

「私は、どうなるのでしょうか?」

「それは…」

ライルは言葉に詰まった。

「あなたには選択肢があります。王都に一緒に来るか、ここに残るか」

「どちらがいいのでしょうか?」

「わかりません。あなたが決めてください」

その夜、ユナは眠れなかった。

ポンも心配そうに見守っていた。

「どうしよう、ポン」

「お姉さんはどうしたい?」

「ライルと一緒にいたいです。でも、王都に行くのは怖い」

「どうして?」

「また政略結婚の道具として使われるかもしれません」

「でも、ライルがいれば大丈夫じゃない?」

「ライルは、王都では王子として振る舞わなければなりません。私のことを考える余裕があるでしょうか」

ユナの不安は尽きなかった。

しかし、一つだけ確かなことがあった。

ライルを愛している。

だから、どこへでも一緒に行きたい。

翌朝、ユナはライルに答えを伝えた。

「王都に、一緒に行かせてください」

「本当ですか?」

「はい。あなたと一緒にいたいんです」

ライルの目が少し潤んだ。

「ありがとう、ユナ」

「こちらこそ」

こうして、パンの精霊ポンとの出会いは、ユナとライルの関係を新たな段階へと導いた。

二人は間もなく、新しい試練に向かうことになる。

でも、お互いへの愛情を確認できた今、きっと乗り越えられるはずだった。

ポンは見えない存在だったが、確実に二人の絆を強くする役割を果たしていた。

そして、これからも二人を見守り続けるだろう。

秋が深まる中、ユナとライルの人生は、大きな転換点を迎えようとしていた。

王都への出発まで、残り三日となった。

「お姉さん、本当に大丈夫?」

ポンが心配そうに尋ねた。

「わからないけれど、ライルと一緒なら乗り越えられると思う」

「僕も一緒に行きたいな」

「ポンも来てくれるの?」

「うん。お姉さんとライルを見守りたいから」

「でも、王都でも見えるかしら?」

「大丈夫。パンの精霊は、愛情があるところならどこでも現れることができるの」

その言葉に、ユナは少し安心した。

出発の準備をしながら、ユナは村での思い出を振り返っていた。

最初は不安だらけだった結婚生活。

でも、今では心からこの村を愛していた。

そして、ライルへの愛情も確かなものになっていた。

「ユナ、荷物の準備はいかがですか?」

ライルが部屋を覗いた。

「はい、ほとんど終わりました」

「王都では、また違った生活になります」

「はい。でも、ライルと一緒なら大丈夫です」

ライルの表情が少し和らいだ。

「ありがとう。あなたがいてくれて、心強いです」

「私こそ」

二人は見つめ合った。

まだキスをしたこともないが、確実に特別な感情で結ばれていた。

出発の前日、村の人たちがお別れ会を開いてくれた。

「ユナさん、寂しくなるわ」

マリアが涙ぐんでいた。

「私も寂しいです。でも、きっと戻ってきます」

「約束よ」

「はい、約束します」

トムも泣きそうな顔をしていた。

「お姉さん、パンの作り方忘れちゃダメだよ」

「忘れません。今度戻ってきたら、新しいパンを教えてあげる」

「本当?」

「本当よ」

村の人たちは、皆ユナとライルを家族のように思ってくれていた。

その温かさが、胸に染みた。

「ライル、ユナちゃんを大切にするんじゃよ」

ガルス村長が言った。

「はい。必ず守ります」

「ユナちゃんも、ライルを支えてやってくれ」

「はい、もちろんです」

お別れ会の最後に、ユナは月の魔法で村全体を優しい光で包んだ。

「これは、お別れの魔法です。私たちがここで過ごした幸せな時間を、この光に込めました」

「綺麗…」

「ずっと覚えていてくれるかしら?」

「もちろんじゃ。一生忘れん」

村の人たちは、感動の涙を流していた。

その夜、ユナとライルは最後の夜を過ごした。

「明日から、また新しい生活が始まりますね」

「はい。不安もありますが、楽しみでもあります」

「楽しみ?」

「はい。ライルの故郷を見ることができますから」

「王都は、この村とは全く違います」

「どんな風に?」

「華やかで、騒がしくて、複雑です」

「でも、ライルが育った場所なのでしょう?」

「はい。でも、私はこの村の方が好きです」

「どうして?」

「ここで、本当の自分を見つけることができたからです」

ライルの言葉に、ユナは深く頷いた。

「私も同じです。この村で、人間として生きる喜びを知りました」

「そして、あなたと出会えました」

「私も、ライルと出会えて幸せでした」

二人は月を見上げた。

「どんなことがあっても、一緒に乗り越えましょう」

「はい」

翌朝、いよいよ出発の日がやってきた。

馬車が迎えに来て、村の人たちが見送りに集まった。

「元気でね」

「体に気をつけて」

「また帰ってきてね」

皆の声援を受けて、ユナとライルは馬車に乗り込んだ。

「行ってきます」

「必ず戻ります」

馬車が動き出すと、村がどんどん小さくなっていく。

ユナは涙が止まらなかった。

「大丈夫ですか?」

ライルが心配そうに声をかけた。

「はい。ただ、寂しくて」

「私も同じです」

ライルも目を潤ませていた。

「でも、きっと戻ってこられます」

「そうですね」

馬車の中で、ポンがこっそり現れた。

「お姉さん、泣かないで」

ユナは少し微笑んだ。

ポンがいてくれるだけで、心が軽くなった。

「王都まで、どのくらいかかるのですか?」

「三日ほどです」

「そんなに遠いのですね」

「はい。でも、途中で宿に泊まりますから」

馬車での旅は、ユナにとって初めての経験だった。

窓から見える景色は、村とは全く違っていた。

大きな町、立派な建物、たくさんの人々。

「すごいですね」

「これでも、まだ王都ではありません」

「王都は、もっと大きいのですか?」

「はい。この十倍以上です」

ユナは想像もつかなかった。

一日目の宿で、ライルが真剣な顔で話しかけてきた。

「ユナ、王都での生活について話しておきたいことがあります」

「はい」

「王都では、私は王子として振る舞わなければなりません」

「わかっています」

「そして、あなたも王子妃として扱われるでしょう」

「王子妃?」

「はい。正式な結婚をしている以上、そういう立場になります」

ユナは緊張した。

「どのような振る舞いをすればいいのでしょうか?」

「基本的な作法は教えます。でも、一番大切なのは、あなたらしくいることです」

「私らしく?」

「はい。あなたの優しさと純粋さが、あなたの魅力です」

「ありがとうございます」

「それと、もう一つ」

ライルは少し躊躇した。

「王都では、私たちの関係について詮索する人がいるでしょう」

「詮索?」

「政略結婚なのか、恋愛結婚なのか、そういうことです」

「どう答えればいいのでしょう?」

「それは、あなたが決めてください」

ユナは考え込んだ。

確かに、最初は政略結婚だった。

でも、今は違う。

「私は、真実を話したいです」

「真実?」

「最初は政略結婚でした。でも、今は心から愛し合っています」

ライルの目が見開かれた。

「愛し合って?」

「はい。私は、ライルを愛しています」

ユナは勇気を出して言った。

ライルは長い間黙っていた。

「ライル?」

「すみません。今の言葉が嬉しくて」

「嬉しい?」

「はい。実は、私もあなたを愛しています」

ついに、お互いの気持ちを確認できた。

「ライル…」

「ユナ…」

二人は静かに見つめ合った。

その時、ライルがそっとユナの手を取った。

「もう迷いません。あなたを守り抜きます」

「私も、ライルを支えます」

二人の絆は、より強固なものになった。

翌日の旅路は、昨日とは全く違って見えた。

お互いの愛を確認できた今、どんな困難も乗り越えられる気がした。

「お姉さん、よかったね」

ポンが嬉しそうに言った。

「ありがとう、ポン。あなたがいてくれたおかげよ」

「僕は何もしてないよ。二人の愛情が、自然に育ったんだ」

「でも、きっかけをくれたのはポンよ」

「えへへ」

三日目の夕方、ついに王都が見えてきた。

「あれが王都ですか?」

ユナは目を見張った。

高い城壁に囲まれた巨大な都市。

数え切れないほどの建物が立ち並び、人々が行き交っている。

「すごい…」

「王宮は、あの一番高い建物です」

ライルが指差した先には、美しい宮殿があった。

「綺麗ですね」

「はい。でも、美しいだけではありません」

「どういう意味ですか?」

「政治の中心地です。様々な思惑が渦巻いています」

ライルの表情が急に硬くなった。

「大丈夫ですか?」

「はい。ただ、昔のことを思い出して」

「辛い思い出ですか?」

「はい。でも、あなたがいれば大丈夫です」

馬車は王宮の門をくぐった。

いよいよ、新しい生活の始まりだった。

衛兵たちが深々と頭を下げる。

「ライル殿下、お帰りなさいませ」

「ただいま」

ライルの声に、王子としての威厳が戻っていた。

「こちらが、ユナ王子妃でございますね」

「はい」

ユナは緊張しながら挨拶した。

「初めまして」

「王子妃様、ようこそお越しくださいました」

宮殿の中は、想像以上に豪華だった。

大理石の柱、美しい絵画、煌びやかなシャンデリア。

すべてが圧倒的だった。

「ライル!」

大きな声が響いた。

振り返ると、ライルによく似た男性が歩いてきた。

「兄上」

「よく戻ってきてくれた」

二人は抱き合った。

「こちらが、噂の王子妃ですね」

兄がユナを見た。

「初めてお目にかかります。アレクサンダーです」

「ユナです。よろしくお願いいたします」

「美しい方ですね。ライルが羨ましい」

「兄上」

ライルが少し困ったような顔をした。

「まあ、詳しい話は後にしましょう。まずは休んでください」

案内された部屋は、村の家より何倍も大きかった。

「すごい部屋ですね」

「王子妃の部屋ですから」

「私一人で、こんなに広い部屋を使っていいのでしょうか?」

「もちろんです」

でも、ユナには少し寂しく感じた。

村での質素だが温かい生活が恋しくなった。

「お姉さん、大丈夫?」

ポンが心配そうに現れた。

「少し戸惑っているけれど、きっと慣れるわ」

「僕がいるから安心して」

「ありがとう、ポン」

夜、ライルが部屋を訪ねてきた。

「いかがですか?」

「とても立派なお部屋ですね」

「でも、あまり嬉しそうではありませんね」

「そんなことは…」

「正直に言ってください」

ユナは少し考えてから答えた。

「村の生活の方が、好きでした」

「そうですね。私も同じです」

「でも、ここでも頑張ります」

「ありがとう。一緒に頑張りましょう」

ライルが手を差し出した。

ユナはその手を取った。

新しい生活への第一歩だった。

王都での生活は、想像以上に大変だった。

でも、愛し合う二人なら、きっと乗り越えられるはずだった。

そして、ポンという心強い味方もいる。

月の光が、宮殿の窓から差し込んでいた。

ユナは月に向かって静かに祈った。

「どうか、私たちを見守ってください」

月は優しく微笑んでいるようだった。

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