第9話 『絆のタルト』と女王様のタルト
選考会、当日。
朝の光が差し込むキッチンで、私は完成したタルトをもう一度見つめた。
シオンくんが焼いてくれた完璧なタルト台の上で、ベリーちゃんが見つけてくれた幻のイチゴ『ティンカー・ルージュ』が、私の『トゥインクル・シュガー』を浴びて、朝露みたいにキラキラと輝いている。
これは、私一人のタルトじゃない。たくさんの想いが詰まった、奇跡のタルトだ。
「よしっ!」
私はタルトを魔法の保存ケースにそっとしまうと、決戦の舞台である特別実習室へと向かった。
廊下の途中で、ベリーちゃんが待っていてくれた。
「ミエル! タルト、できたんだね!」
「うん! ベリーちゃんのおかげだよ、本当にありがとう!」
「ううん! ミエルが頑張ったからだよ! 絶対大丈夫、自信持って!」
ベリーちゃんの笑顔に背中を押され、私は大きく深呼吸をして、実習室の扉を開けた。
中に入った瞬間、私は息をのんだ。
部屋の中央に置かれたテーブル。その上に、すでに見るからに完璧なタルトが一つ、鎮座していたのだ。
姫乃ショコラさんのタルトだ。
それは、太陽の光を全て集めて固めたような、まばゆい黄金色のタルトだった。
艶やかにカットされたマンゴー、宝石のように輝くパッションフルーツのジュレ、そして繊細な飴細工で作られた金色の蝶が、まるで生きているかのように羽を休めている。
完璧なフォルム。圧倒的な存在感。クラスメイトたちも、マダム・クレアでさえも、その芸術品のようなタルトに魅入られていた。
勝てるわけ、ないかもしれない……。
私の心に、黒い不安がもくもくと湧き上がってくる。
「では、これより代表選考会を始めます。まず、姫乃さんから、作品の説明を」
マダム・クレアの言葉に、ショコラさんは優雅に一礼すると、プレゼンテーションを始めた。
「わたくしの作品名は『ソレイユ・ドール』――黄金の太陽、ですわ。五種類の希少な黄金果実を使用し、それぞれの酸味と糖度のバランスを、魔法薬学の知識を用いて0.1パーセント単位で緻密に計算。タルト生地のパート・シュクレには、湿気を防ぎ、サクサクの食感を半永久的に維持する高度な保護魔法をかけておりますの。クレーム・ダマンドに忍ばせたカルダモンの香りが、南国の風を運びますわ」
専門用語を淀みなく並べた、理路整然とした完璧な説明。
クラスメイトたちは、ぽかんと口を開けて聞き入っている。誰もが、もう勝負は決まった、と思っていた。私も、そう思っていた。
「……次に、夢咲さん」
マダム・クレアに呼ばれ、私は震える足で前に進み出た。
ショコラさんの完璧なタルトの隣に、私のイチゴのタルトを並べる。
それは、まるで女王様の隣に立つ、田舎娘のようだった。自信が、どんどんしぼんでいく。
「あ、あの……私の、タルトは……」
声が、情けなく震える。
「このタルトは……その、私一人の力で、作ったものじゃ、ありません……。オーブンが、壊れてしまって……」
何を言っているんだろう、私。言い訳みたいじゃないか。
俯きかけた、その時だった。
(ミエルなら大丈夫!)
親友のベリーちゃんの声が、心の中で聞こえた気がした。
(……お前の作る菓子は、優しい味がするからな)
シオンくんの、ぶっきらぼうだけど温かい声も。
そうだ。
私は、一人じゃない。
このタルトは、ベリーちゃんの優しさと、シオンくんの強さと、私の夢、その全部が合わさってできているんだ。
顔を上げた私の瞳に、もう迷いはなかった。
「……訂正します!」
私は、まっすぐにマダム・クレアとクラスメイトたちを見つめた。
「このタルトの名前は、『ティンカー・ルージュと絆のタルト』です!」
ショコラさんが「絆?」と馬鹿にしたように呟くのが聞こえた。でも、もう気にならない。
「このキラキラのイチゴは、私の親友が、私のために見つけてきてくれた、宝物です。そして、このサクサクのタルト台は、私の夢を終わらせたくないと言ってくれた、大切な人が焼いてくれました」
私の言葉に、クラス中がざわめく。「大切な人って誰?」「すごい、ドラマみたい!」なんて声が聞こえる。
「だから、このタルトには、世界一のパティシエールになりたいっていう私の夢だけじゃなくて、私を支えてくれるみんなの、優しくて温かい気持ちが、いーっぱい詰まっています! このタルトを食べた人が、一人でも多く、そんな温かい気持ちになってくれたら嬉しいです! 私のプレゼンテーションは、以上です!」
私は、ぺこり、と頭を下げた。
技術的な説明なんて、一つもない。想いだけの、不器用なプレゼンテーション。
ショコラさんは、「くだらない感傷ですわ」と冷たく言い放った。
でも、それで良かった。これが、私のタルトだから。
シン、と静まり返った実習室で、マダム・クレアが、私の『絆のタルト』を興味深そうな目でじっと見つめていた。
そして、彼女はナイフとフォークを手に取ると、厳かに宣言した。
「では、試食させてもらいますわ」
その言葉が、私の運命を決める、ゴングの音のように聞こえた。
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