第7話 割れたタルトと妖精のイチゴ

選考会まで、あと一週間。


その日から、私はキッチンに住み着くみたいに、タルト作りに没頭した。


「フルーツタルト……フルーツタルト……」


図書館に行っては、山のような専門書を借りてきて、レシピをノートにびっしりと書き写す。生地の配合、クリームの混ぜ方、フルーツの飾り付け。ショコラさんに勝つには、まず基本を完璧にしなくちゃいけない。


でも、知識と実践は全くの別物だった。


パリンッ!


「ああっ、また……!」


サクサクの食感の決め手になる、パート・シュクレというタルト生地。これが、何度やっても型に敷き詰める途中で割れてしまうのだ。


バターが溶けすぎてる? 粉の混ぜ方が足りない?

原因を考えては、また一から作り直す。その繰り返し。


「ミエル、すごい集中力だね。でも、ちょっと休憩しなよ」


「ううん、まだ頑張れる!」


ベリーちゃんが持ってきてくれたジュースにも、ろくに口をつけずに、私はボウルに向かい続けた。


焦りだけが、バターみたいに私の心の中で溶けて、どんどん広がっていく。


時間だけが、刻一刻と過ぎていく。


そんな私の姿を、ベリーちゃんは心配そうにずっと見守ってくれていた。


そして、試作に失敗して、私がついにキッチンでへなへなと座り込んでしまった日のこと。


「ミエルっ!」


ベリーちゃんは、私の両肩をガシッと掴んだ。


「生地やクリームも大事だよ。でも、ミエルは一番大事なことを忘れてる!」


「一番、大事なこと……?」


「そうだよ! フルーツタルトの主役は、誰が何と言ってもフルーツだよ! 最高のフルーツがあれば、ミエルのタルトは絶対に最高の味になる!」


その言葉に、私はハッとした。

そうだ。私は、ショコラさんの技術に追いつくことばかり考えて、自分の得意なことを見失っていたかもしれない。


食べる人が笑顔になるような、キラキラしたフルーツ。それを見つけることこそ、私のやるべきことなんじゃないかな。


「最高のフルーツ……」


「そう! そして、フルーツのことなら、この私に任せなさい!」


ベリーちゃんは、ドン!と自分の胸を叩いて、にっと笑った。


彼女の得意魔法は、フルーツ系の魔法。果物の気持ちが分かったり、一番おいしい瞬間を見つけ出したりできる、すごい魔法なのだ。


「私、ミエルのために、世界一のフルーツを見つけてくるから!」


そう言うと、ベリーちゃんは風のようにキッチンから飛び出していった。


私は、その頼もしい後ろ姿を見送りながら、もう一度、ぎゅっと拳を握りしめた。


ベリーちゃんが、私のために頑張ってくれている。私も、彼女が持ってきてくれる最高のフルーツにふさわしい、最高のタルト台を作らなくちゃ!


そして、選考会を二日後に控えた日の夕方。


「ミエルー! 見て見てーっ!」


ベリーちゃんが、目をキラキラさせながらキッチンに駆け込んできた。その手には、小さなバスケットが抱えられている。


ふわり、とキッチンいっぱいに広がる、今までかいだことのないくらい、甘くて芳醇な香り。


バスケットの中を覗き込んだ私は、思わず「わぁ……」と声を漏らした。


そこに入っていたのは、イチゴだった。


でも、ただのイチゴじゃない。


一粒一粒が、まるでルビーの宝石みたいに、内側から光を放っている。形も、愛らしいハートの形をしていて、ヘタの緑色さえも生き生きと輝いている。

「これ、『ティンカー・ルージュ』っていう、幻のイチゴなんだよ! 魔法植物園の奥の、妖精しか知らない場所にだけ実るんだって! 私のフルーツアンテナが、ビビビッて反応したんだ!」


ティンカー・ルージュ……。


妖精が育てたイチゴ。


一粒、口に入れてみると、信じられないくらいの甘さと、ほんのり爽やかな酸味が、口いっぱいに広がった。食べただけで、体がぽかぽかして、幸せな気持ちになる。


「すごい……! すごいよ、ベリーちゃん! ありがとう!」


「へへーん、すごいでしょ! これなら、ショコラさんのタルトにも絶対に負けないよ!」


最高のフルーツを手に入れた私に、もう怖いものはなかった。


ベリーちゃんの想い、そしてこのティンカー・ルージュの想いを、絶対に無駄にはしない。


私は、今までで一番集中して、タルト作りに取り掛かった。


不思議なことに、あれだけ失敗していたタルト生地が、今度は嘘みたいに綺麗にできた。アーモンドクリームも、滑らかで最高の出来栄えだ。


あとは、これを焼くだけ。


このタルト台が焼きあがれば、あとはこのティンカー・ルージュを飾って、私のトゥインクル・シュガーをかければ、完成だ。


私は、完成したタルトの型を持って、魔法のオーブンの前に立った。


選考会は、明日。もう時間がない。


「よし、お願いね!」

オーブンの扉を開け、スイッチに手をかける。

いつもなら、スイッチを入れると、オーブンの扉にある魔法陣が青白く輝き始め、庫内の温度が上がっていくはずだった。


なのに。

「……あれ?」

スイッチを入れても、魔法陣はうんともすんとも言わない。


何度かカチカチとスイッチをオンオフしてみる。でも、ダメだ。


オーブンの扉の魔法陣は、チカッチカッと、弱々しく点滅を繰り返すばかりで、全く熱くならない。


「うそ……どうして……?」


他のオーブンも試してみる。でも、全部同じ状態だ

った。


どうしよう。

これじゃ、タルトが焼けない。

せっかく、最高の材料がそろったのに。

せっかく、ベリーちゃんが、幻のイチゴを見つけてきてくれたのに。


「そんな……」

私の目から、じわり、と涙がにじみ出てきた。


時計の針が、無情にもカチカチと音を立てて進んでいく。

選考会は、もう、明日に迫っているのに。


キッチンに一人、立ち尽くす私の手の中で、焼かれる前のタルト生地が、どんどん冷たくなっていく。


もう、ダメなのかな……。

絶望が、私の心を真っ暗に染め上げていく。その時だった。

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