第4話 カフェテリアと、ひみつのマフィン

「うーん、作りすぎちゃったかな……」


パティシエ科の放課後、自主練習用のキッチンで、私は焼きあがったばかりのレモンマフィンが並んだカゴを前に、うれしい悲鳴をあげていた。


今日のテーマは「誰かを元気にするお菓子」。私は、太陽の光をいっぱい浴びたレモンを使って、爽やかな香りのマフィンを焼いてみたのだ。


「すっごくいい香り! ミエル、また腕を上げたね!」


隣で練習していたベリーちゃんが、つまみ食いをしながら目を輝かせる。


「でも、こんなにたくさん、どうするの?」


「うーん、ベリーちゃんもたくさん食べてくれたけど、まだこんなに……。寮のみんなにも配ろうかな」


「それもいいけどさ」と、ベリーちゃんはにひひ、と笑った。「せっかくだから、カフェテリアに持っていって、色んな人に食べてもらうっていうのはどう?」


「ええっ、カフェテリアで!?」


学園のカフェテリアは、お昼休みや放課後になると、全学科の生徒たちが集まる学園一の交流スポットだ。パティシエ科の生徒が作ったお菓子が、日替わりで並ぶこともある。


でも、知らない人に「食べてください」なんて、私にできるかな……。


「大丈夫だって! ミエルのマフィンは、絶対にみんなを元気にできるよ!」


ベリーちゃんに背中を押され、私はマフィンが入ったカゴを抱えて、ドキドキしながらカフェテリアへと向かった。


カフェテリアは、想像通りたくさんの生徒で賑わっていた。


たくましい体つきの魔法騎士科の人たち、ローブを着て難しい本を読んでいる魔法薬学科の人たち、綺麗な音色のする方からは音楽科の人たちの楽しそうな声が聞こえてくる。


(うわぁ……すごい……)


あまりの人の多さに、私はすっかり気後れしてしまった。カゴを抱えたまま、壁際でオロオロするばかりで、誰にも声をかけられない。


やっぱり私には無理だったかな……。


そう思って、トボトボと帰ろうとした、その時だった。


「――だから、今日の訓練は厳しすぎたんだって」


「シオンも、少しは休めよ。お前、最近根を詰めすぎだ」


聞き覚えのある声に、私の心臓がドキッと跳ねる。

見ると、カフェテリアの入り口から、あの風間シオンくんが仲間らしき騎士科の生徒たちと入ってくるところだった。


「わっ!」


私はとっさに近くにあった観葉植物の影に隠れた。なんで隠れちゃうんだろう、私!


でも、心臓はバクバクうるさいし、顔は熱いし、とてもじゃないけど、まともな顔で彼を見ることなんてできない。


シオンくんは、仲間たちの言葉にも「別に」と短く答えるだけで、テーブル席に静かに腰掛けた。でも、その横顔は、なんだかすごく疲れているように見えた。前に会った時よりも、目の下のクマが濃くなっているような……。


「あー、疲れた! 疲れた時には甘いもんだよな! 俺、限定サンデー食ってくる!」


シオンくんの隣に座った、元気そうな男の子がそう言って席を立った。


その言葉が、私の耳に、まるで天啓のように響いた。


(疲れた時には、甘いもの……)


私の手の中には、みんなを元気にするために作った、レモンマフィンがある。


シオンくん、疲れてるみたいだった。


もしかしたら、このマフィンが、ほんの少しでも彼の力になれるかもしれない。


(でも、急に知らない子からマフィンを渡されたら、迷惑かな……)


(ううん、でも、でも……!)


頭の中で、勇気の天使と弱気の悪魔がケンカを始める。


どうしよう、どうしよう……。


その時、私はふと、シオンくんが窓の外をぼんやりと眺めているのに気づいた。その青い瞳は、すごく綺麗だけど、どこか寂しそうに見えた。


――よしっ!


私は、カゴをぎゅっと抱え直すと、観葉植物の影から飛び出した。


一歩、また一歩と、彼のテーブルに近づいていく。心臓の音が、カフェテリア中の人に聞こえちゃうんじゃないかってくらい、大きく鳴り響いている。

そして、ついに彼の目の前にたどり着いた。


「あ、あのっ……!」


私の声に、シオンくんが不思議そうな顔でこちらを向く。綺麗な青い瞳と、真正面から目があってしまって、頭が真っ白になりそう。


「か、風間シオン、くん、ですよね……? この間は、助けていただいて、ありがとうございました!」


「……ああ」


「あの、これっ! よかったら……食べてみませんか……?」


私は震える手で、カゴの中から一番形が綺麗なマフィンを一つ取り出して、彼の前に差し出した。


「自主練で、作りすぎちゃって……。その、誰かを元気にしたくて、作ったマフィン、なんです……」


シオンくんは、私の手の中のマフィンと、私の顔を、不思議そうに何度か見比べた。


彼の周りにいた仲間たちも、「なんだなんだ?」と興味津々な顔でこちらを見ている。恥ずかしくて、もう逃げ出したかった。


長い、長い沈黙。


やっぱり、迷惑だったんだ……。


そう思って、マフィンを引っ込めようとした、その瞬間。


すっ、とシオンくんの手が伸びてきて、私の手からマフィンを受け取ってくれた。


「……」


彼は無言のまま、マフィンを一口、ぱくりと食べた。


もぐもぐ、と静かに咀嚼する。


どうかな……。お口に、合ったかな……。


私が祈るような気持ちで見つめていると、シオンくんが、ほんの少しだけ、驚いたように目を見開いた。


そして、ぽつり、と呟くように言った。


「…………優しい、味がする」


え……?


「甘いだけじゃない。……なんだか、温かい」


その言葉は、騒がしいカフェテリアの中では、私にしか聞こえないくらい小さな声だった。


でも、私の心には、どんな大きな声よりもはっきりと、温かく響いた。


「……ありがとう」


最後に、彼はもう一度そう言って、少しだけ口の端を緩ませた。笑った、と呼ぶにはあまりにもささやかだったけど、私にはそれが、世界で一番素敵な笑顔に見えた。


彼はマフィンを手に持ったまま、仲間たちに促されて席を立ってしまう。


私は、その後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと同じ場所で立ち尽くしていた。


手の中には、もうマフィンはない。


だけど、胸の中は、マフィンよりもずっと甘くて、温かくて、幸せな気持ちでいっぱいになっていた。


「優しい味……」


彼の言葉を、宝物みたいに胸の中で何度も繰り返す。


私のトゥインクル・シュガー、ちゃんと、シオンくんの心に届いたんだ。


顔中を真っ赤にしながら、私はカフェテリアを後にした。


足取りは、来た時よりもずっとずっと、軽やかだった。

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