第34話 街角のありがとう

 カフェのドアを開けると、甘くて柔らかな香りにふわりと包み込まれる。

 ミルク、はちみつ、そして焼きたてのスイーツの匂い。


「わぁ〜……」


 ソラの目が一瞬でとろけるように輝いた。

 小さな鼻をひくひく動かしながら、ショーケースの前にぴたっと張りつく。


「これだ、これ! 濃厚とろとろミルクプリン・はちみつソースがけ!」


「……名前が長すぎる」


 店員の女性が、ラドリーに微笑みかけた。


「先ほどの騒ぎ、見てましたよ。ありがとうございます。協力員さん、そして……猫ちゃんも」


「いや……まあ、仕事だ」


 ソラは自信満々に胸を張った。


「ボク、街を守る補佐なんだよ! しっぽふりふり頑張ったよ!」


 二人は奥の窓際席に案内され、間もなくプリンが運ばれてきた。

 透明なグラスに盛られたそれは見るからにやわらかそうで、上にはとろりとはちみつが流れていた。

 ソラはスプーンを器用に操り、ひとくち口に含むと目を細めた。


「……っ、しあわせ……っ」


「……甘いな。でも悪くない」


 ふたりの間に、少しだけ静かな時間が流れた。

 すると隣の席にいたおばあさんが、ふと話しかけてきた。


「あなた達が、あの鳥を捕まえてくれたのね。本当に助かったわ。帽子を持っていかれた時は、どうしようかと思ったのよ」


「おばあちゃん、帽子、もどってきた?」


「ええ、おかげさまで。ありがとうね、猫ちゃん」


 ソラは嬉しそうに、ちょこんと頭を下げた。


「また何かあったら、ボクたち、駆けつけるよ!」


 その笑顔はまるで太陽のようで、ラドリーは眩しさに目を細めた。


「ラドリー。今日、がんばってよかったね。みんな、笑ってくれたよ」


「……ああ。そうだな」


「ボクね、もっともっと幸せになりたいの。だから、これからもいっぱい頑張るよ。ラドリーにも街のみんなにも、たくさん『ありがとう』って言ってもらえるように」


「……なら、手を抜くなよ。来週も巡回はある」


「うん!」


 窓の外では、夕方の光が街をやさしく照らしていた。

 その穏やかな光の中で、ラドリーの目元が少しだけ、やわらかく綻んだ。


 こうして、ちいさな騒動は「ラドリー班」によって解決された。


 それからしばらく、ラドリーの名は商業区のおばちゃんたちの間で「真面目でイケメンな協力員さん」として、ソラは「元気な白猫のかわいい補佐さん」として、密かな人気を博するようになる。


 ラドリーが、それを知るのは——もう少し、あとになってからだった。


   ◇


 その夜。警備局の詰所で、マイロがくつろぎながら報告書を書いていた。


「なんだか最近、お前のこと隊長って呼びたがるやつが増えてきたぞ?」


「やめろ」


「いやいや、実際、あの落ち着きは助かってるってみんな言ってる。俺もそう思う。街に向いてんだよ、お前」


「……そうかもな。少し、だけどな」


「少しが始まりさ。んで、白い相棒はどこ行った?」


「パン屋で香りの研究中だ。エネルギー補給に余念がないらしい」


「最高じゃん。今度、俺も一緒にたい焼きダンクやらせてもらおうかなぁ」


 夜空の下、街灯がほのかに光る路地。

 そこに、ふわふわの白猫がひょっこり顔を出す。


「ラドリー、帰ろー! 今日の夜ご飯、グラタンがいい!」


「……ああ、今行く」


 ソラの瞳は、あいかわらず澄み渡る空の水色をしていた。

 けれど、その奥には——ほんのすこし、満たされつつある何かが、確かにあった。

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