第89話 王女の恋

 ジャンは学院を卒業してからも三年間、騎士団に勤めていた。

 その間、ほとんど帰ることは無く、騎士団専用の宿舎で有事のために待機していた。

 そのため、自宅に帰ることはほとんどなく、不定期な休暇でも同僚と日ごろの憂さを晴らしていたので、ヴァイオレットと出会うことは無かった。

 だが、三年目に国王テオドールが退位し、新国王ランドルフが即位したことを期に、ロラン家から王家にジャンを家督相続者として準備させたいという申し入れを行い、臨時の訓練官を引き受けることを条件にジャンの退団が許可された。


 晴れて自由の身になったジャンは、それからは毎夜、舞踏会に出入りし、瞬く間に王都の人気者になって行った。

 評判は評判を生み、噂は噂を生んで社交界には無くてはならない存在になったのである。

 実はジャンが舞踏会に足繁く通うようになったのは、テレーズの指示だった。

 彼女は社交から離れて軍人となっていたジャンに、錆を落としなさいと自分が選んだ舞踏会や音楽会、晩餐会に行かせていた。

 そんなジャンに誰よりも早く心を奪われたのは、ヴァイオレットだった。


 ヴァイオレットは、テレーズの助手としてジャンに来た招待状の選別やジャンの衣装の選定を手伝い、連絡役を任されていた。

 その夜に向かう家の情報や、招待に欠席する家への手紙や花の用意なども引き受け淡々とこなしていたが、ジャンを見るたび、その精悍な様子や、見送る時に自分に向ける優しい笑顔、家族と語らっている時の屈託のない様子に、気が付くと心を奪われ知らずにその姿を追ってしまっていた。

 一人になると、ジャンのことを想い、眠りにつく時には夢に彼が出て来ることを祈ったりした。


 そんな様子に気が付いたのは、テレーズだった。

 ある日、テレーズはヴァイオレットを休憩に誘い、お茶を飲みながら訊ねた。

「あなたジャンのことが好きなの」

 突然聞かれたヴァイオレットはカップをもったまま、固まり、テレーズの考えていることが分からずについ謝る言葉が口から出た。

「すみません」

 テレーズはそれを聞くと宥めるように笑顔で言った。


「謝る事なんてないわ。好きならそれでもいいけど、そのままでいいの?」

 ヴァイオレットはテレーズの思いがけない言葉に顔を上げた。

「それはどういう意味でしょうか」

「そのままの意味。あなたはジャンをどうしたいの」

「どうしたいって。考えたこともありませんでした」

 それを聞くとテレーズは声を上げて笑った。


「好きでも、そのままじゃ何も起こらないわよ。あなたがジャンをものにしたいの、どうなの」

「好きになってもらいたいとは思っていますけれど、どうしたいかと言われても」

 テレーズはヴァイオレットの頬を愛おしそうに掌で包んだ。

「私はあなたが好きよ。でも、王女様の恋に手を貸したなんてことが分かったら牢屋に入れらてしまうかしら。もしそうなったらヴァイオレットは私を助けてくれる?」

 冗談ぽくテレーズはそうヴァイオレットに言った。

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