第52話 最低な男
体力の限界だった。
階段を上りきったところで全身が脱力し、一歩も動けない有様。
情けない。体力がなさすぎなんだよな。
だがこうしてもいられない。
ニーアの容体が心配だし、窓から覗く対面の廊下が慌ただしい。
俺が逃げたことが発覚したのだろう。まだここには
だから震える足を叱咤して、ニーアを肩に担ぎながら歩き始める。
行く当てはない。何せ王宮の出口も分からないのだ。
空き部屋でもいい。そこで休憩がてら、ニーアの様子を見れるんだけど……。
「校内案内みたいに看板だしておけよ……って、そりゃ無理か」
なんてとりとめのないことをぐだぐだと呟きながら歩いていると、前の方が騒がしい。
「いたか!?」「いや、まだだ!」「お前はあっちを探せ!」
ヤバい、来る。
とりあえず廊下を曲がり、近場にあったドアノブに手を伸ばす。
――開いてくれ。
その願いを聞き入れたように、ドアは簡単に開いた。
ニーアを引きずるようにして、その部屋に飛び込む。
そこは書庫だった。
オムカのものと比べるとやはり小さいが、本棚の量は圧倒的だ。
幸いにして誰もいないらしい。俺はニーアを床に寝かせると、ドアを閉めて施錠した。
これで当分大丈夫だろう。
「おい、ニーア。おい!」
さっそくニーアに呼びかけ、頬を叩く。
頼む。起きてくれ。
いや、生きていてくれ。
「ニーア!」
「うっ…………」
反応があった!
生きていてくれた!
「ジャン……ヌ?」
「ああ、そうだ。すぐ逃げるぞ。お前と、あとマリアを連れてな」
「……うん」
いつも以上にしおらしく、やわらかい笑顔を見せるニーア。
こいつ……こんな顔もできるんだな。
「ごめ、んね…………」
不意に視界がゆがむ。
涙が出ていた。
その言葉は、ずっと聞きたかった言葉。
そして俺からも伝えたかった言葉だ。
なんだ。やっぱりそうじゃないか。
なんだかんだいって、俺はこいつが好きなんだ。
馬鹿やって、喧嘩して、けど楽しかった。こいつと、マリアと一緒にいるのは疲れるけど、楽しかった。
だから彼女を救えてホッとしているんだ。
俺は涙を袖で拭うと、力強く言った。
「いや、俺も悪かった。でももういいんだ。とりあえずお前は休め。生きて帰るんだ」
ニーアが小さく頷く。
そして再び目を閉じた。
嬉しさの反面、怒りが増す。
こんな目に遭わせたあの女。許せない。
それを引き起こしたドスガ王もドスガ王だ。
なんて、慣れない感情を呼び起こしていたからだろう。
周囲の気配に鈍感になっていた。
「んん! 少し静かにしてくれると助かるんですけどね。
「誰だ!?」
迂闊も迂闊。
何が誰もいないだ。
誰もいて欲しくないという願望でしかなかったじゃないか。
本棚の陰から現れたのは、ローブを身にまとった20代の男。
黒い髪をマッシュヘアーにまとめ、開いているか分からないほど細い目でこちらを見てくる。
「おや、君は……ジャンヌ・ダルク」
こいつ、俺を知っているのか。いや、この国に俺が来ることは周知の事実。なら知られてても当然か。
「これはこれは。失礼いたしました。国王の妻になられるお方に挨拶すらしないでは忠義にもとる。私はマツナガ。この国の宰相をしております」
「宰相……!?」
まさかこの国のトップ2が出て来るとは思わなかった。
しかもこんなかび臭い場所で。
しかもちょっと待て。
その名前、もしかして――
「松永? 日本名?」
「ふっ、切れ者とうかがっていましたが。なかなか粗忽なところもあるようで」
「あっ……その」
あぁもう馬鹿か!
プレイヤーの秘密という、せっかくのアドバンテージを棒に振るなんて!
「ふむ……なるほど、君もプレイヤーということですね」
「あぁそうだ。その通りだよ」
「これは驚いた。いや、男性みたいな喋り方をするんですね」
「…………なんだよ、男で悪いか」
ふてくされるように吐いた言葉。
もう
すると少しの沈黙の後、マツナガは大きな口を開いて笑い始めた。
「ぷっ……くくくははは!」
「悪かったな! 好きでやってんじゃないんだよ!」
「いや、失礼。どのような人かと思いきや、プレイヤーでしかも男だとは思いもよらず。ドスガの王も落ちましたな。何も知らず、妻に迎えようとは」
「え?」
「いや、こちらの話。しかし不思議ですな。現代人でしかもオムカにこの人ありと言われたジャンヌ・ダルクが、ここまで愚かだとは」
「愚か?」
さすがに面と向かってそう言われたことはないので、少し憮然とした。
「おっと、これは言葉が過ぎましたかな。どうも私は余計なことを喋ってしまう」
言葉遣いは丁寧で、態度も柔和。
だが
この男はまさにそれだ。
失礼どころかうさん臭さも感じる。
そう、人当たりのよさそうな笑顔を浮かべながらも、最後の最後で裏切る。
そんな感覚を抱かせるのだ。
だから本能がそう告げている。
――こいつとは深くかかわるな。
だから智謀がそう告げている。
――こいつを取り込め。
相反する想いが交錯する。
敵にしても味方にしても危険な男。
それがこのマツナガの第一印象だ。
「おやおや、そう警戒しないでもらいたいですね。私はこれでも紳士的に話し合おうとしているのですが。ほら、そうでなければ今頃君は衛兵に捕まっているころではないですか?」
確かに。人を呼ぶならもう呼んでるはずだ。
それなのにそうしないのは何かあるのか。
「いえ、ただ私は他のプレイヤーというものを知らないので。少しお話したいと思ったのですよ」
「話?」
そんなちんたらしてていいのか?
だがここが突破口。力で来られたらどうしようもないが、それは俺のフィールドだ。
「ならどうだ。お前もオムカに来ないか? 一緒に戦って元の世界に戻ろう」
「ふむ、私がドスガを裏切ってオムカにつくと。悪くはない話ですね」
好感触。
ならここは押す!
「今なら好待遇で迎えられる。女王を助け出せれば、その功績でそれも可能だ。どうだ、こんな非道の国にいるよりは、俺たちと一緒に――」
「お断りします」
「え?」
「ですからそのお誘い、お断りします」
食い気味に言われ、一瞬反応できなかった。
まさか断られるとは思ってもみなかったから。
「な、なんでだ」
「まず第1にオムカという国。四方を敵に囲まれた陸の孤島でしょう? そんな危険な国、冗談じゃありません」
「それならシータとは同盟を組んで、ビンゴとは停戦している。ワーンスともまた国交を戻そうとしているから問題はない」
「続いて第2。私はこの国の宰相なんですよ? これ以上の待遇を提案するなら、それこそ国王にでもならないとつり合いが取れません」
「残念だがそれは無理だ。が、今と似た立場で国政にも関与できるよう高位のポストを用意する。それに俺が全力でサポートするから他に文句は言わせない」
「そして第3。君は今、非道の国と言いましたが……なんでそう断言できるのです?」
「そ、それは……」
だってあの国王だぞ。
初対面に服を脱げとか言い出す男だぞ!
「私にとってはよき理解者であり、よき友だと思っております。確かに多少苛烈なところはありますが、意外と素直で聞き分けの良い人なんですよ」
「そんな馬鹿な。お前は見てないのか。略奪に遭った町の人々を、搾取されるだけ搾取されてどん底にいる人たちを。そして不当に殺された人たちを!」
「残念ながら、国民の暮らしぶりが悪い事と、君主として有能であることは直結しません。現にこうして勝っています」
「卑怯な手を使ってだろ! 女王を騙して、のこのこと訪問したところを捕らえる。鬼畜の所業だ!」
「騙すのが何故悪いのです?」
こいつ、この言葉。
何ら迷いなく言いやがった。
心底不思議とまで思っているような表情を浮かべる男に、唾を吐きかけたい思いだったが何とか堪えて反論する。
「そりゃ騙すこと自体が悪い事だろ」
「騙すことが悪い? そんな馬鹿な。人は騙すものですよ。いえ、生物すべてがそうと言って良い。罠、擬態、
「歴史の講釈はたくさんだ。騙すことが正? ふざけんなよ。そんなもん騙した方が悪いに決まってるだろ!」
「それを君が言いますか? 聞いていますよ、君の活躍を。敵を騙し、貶め、果てには命を奪う。おやおや? 自分の利益だけを追求する私と、他者の命を奪う君。どちらが悪者ですかねぇ?」
「それは……」
言葉に詰まる。
俺がやってきたことを言い換えれば、確かにそうだったのだから。
ずっと目を背け続けてきたことを、浮き彫りにされた思いだ。
「……俺のは戦いだ。戦争なんだ。綺麗ごとだけじゃやっていけないから、だから!」
「なるほど仏の嘘は方便、武士の嘘は武略でしたっけか? 素晴らしい言い逃れですね。そうやって騙したことを正当化する。私のと何が違うのです? この騒乱の世界で、生き残るために戦うなら武士も同然。そうなれば私も武略ということになりませんか?」
「違う! そんなものじゃない! お前らのは悪質だ! 悪意がある! 人質を取って、降伏を迫るなんて人の弱みに付け込む、そんなこと俺は絶対にしない!」
「それは立場の違い、見解の相違というものです。血を流すことなく勝つことこそが至上だと昔の兵法家は言ったでしょう? 私はそれを実行しているだけのこと。それに、君がそういう弱みに付け込む方法を一度も取らなかったとでも?」
「――――っ!」
思い出すのはハカラに対してのこと。
思い出すのは南郡に対してのこと。
悪質でないと言えば嘘になる。
悪意を持たなかったと言えば嘘になる。
弱みに付け込まなかったと言えば嘘になる。
それに目を背け、俺は……。
「おや、黙りこくってしまいましたね」
「黙れ」
「いえ、黙っているのは君の方です」
「戯言を――」
「おっと、怖い怖い。ふふ、そうですね。これ以上は弱い者いじめになってしまいます。ですからお話はこれくらいまでにしておきましょうか」
よくもいけしゃあしゃあと。
弱い者いじめとか、よく言う。
「……あんた、最低だな」
「ええ、よく言われるんですよ。こんなにも誠実に応対しているのに。酷いものです」
白々しい。
分かった。こいつの特性が。
こいつに善悪の社会的基準はない。
ただ自己があるだけ。
自分が善いと思ったから、自分が悪いと思ったから。
その判断基準は全て自分だ。世間の常識なんて関係ない。
だから、その基準が合わない人間とはとことん相性最悪だろう。
俺がそうだ。というか大多数の人と合わないに違いない。
「どうしましたか?」
「別に」
「ふふ、そう怖い顔をしなくてもよいではないですか。これでも楽しかったのですよ。この世界の人間ととことん話が合わなくて。え、そんなことも考えられないのですか? ということばかりなので、このようにディベートすることすらできなかったのですから。今回は良い刺激となりました」
「そりゃどうも」
「そう、そっけなくしなくてもよいではないですか。そうですね。ではお近づきのしるしに、そして議論に付き合ってくれたお礼として1つ君の願いを叶えましょう」
「願い?」
「ええ。そこの少女。彼女を王宮の外に出します。それが今の君の願いでは?」
倒れたニーアに視線を向ける。
呼吸も弱く、早く医者に見せたいのは確か。
だがこうもいきなり言われて信用できるのか。
ここまで自分で自分の信用度を落としておきながら。
俺の
この笑顔が曲者だ。ひょっとしたら、という思いを抱かせてしまう。
「問題ありません。これで君が恩を抱いてくれたなら、それはそれで私にとっては好都合ですから」
「好都合?」
「ええ。正直、ドスガ王は悪くないのですが、ああいうタイプが長続きしないのも確か。万が一を考えて、身の振り方を考えるのも臣下の役目でしょう?」
なるほど。万が一、ドスガが負けた時の保険。
俺に恩を売って、自分だけ助かろうというつもりか。
つくづく最低な男だ。
俺とは合わない。
――だが
「本当にニーアを助けるんだろうな」
「ええ。そこの彼女だけは助けましょう。君はもちろん王の元へ戻ってもらいますが。なに、悪いようにはしません。あとは君が私を信じるか信じないかですよ」
ここまでめちゃくちゃ言っておいてよく言う。
だがここでの俺に選択肢はなかった。
断れば俺は捕まるだろう。
そうなったらニーアがどうなるか、考えたくもない。
だから俺の答えは決まっていた。
「分かった。それだけは信じよう」
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