閑話10 ブリーダ(オムカ王国遊撃隊隊長)

 さって、勢いよく出てきてしまったけど、どうするっすかね。


「若、まだ敵は混乱している様子。私が100で突っ込みますぞ。若は後から来て投石機を燃やしなされ」


 横からじいが献策してくる。

 爺は数十年も前から俺の家に仕えてくれていたという古強者だ。

 親父の片腕をしていたこともあり、親父が死んだ後も俺のことも支えてくれた。まさに親のような存在だ。


「爺、その若ってのやめてっす。一応、俺も隊長っすから」


「ふふ、わしからすればまだまだ若は若ですじゃ」


 それってどういう意味だよ。そう反論したかったけど、爺には勝てる気がしない。言っていることも理にも適っている。だから渋々ながらも了承した。


「分かったっす。それで行くっす」


「若からの命令だ! 我が隊は先行して露払いする!」


 爺が旗下を従えて駆け足で馬を走らせる。

 その後をまだ速足で走らせるから、少しずつ爺と距離が開いていく。


 なんか嘘みたいだ。

 半年前はこんなことになるなんて思いもしなかった。だって、そのころはまだハカラもロキンも健在で、俺たちは圧倒的な大軍に抑圧されるしかなかったから。


 けれどあのジャンヌという少女が来て全てが変わった。

 俺自身も、どこまでも幼稚なガキだってことに気づかされてしまった。


 あれは恥ずかしかったっすねぇ……。


 だって俺より年下の女の子に叱られたんだから。

 でも、あれは間違ってなかったと今では思う。元オムカの貴族出身だけど、今や没落して山賊に身をやつした頭領の息子。親父が死んでからは誰もが俺をちやほやして反対しなかった。


 そんな俺を本気で怒って叱ってくれた彼女。

 嬉しかったと同時に、情けなかった。こんな女の子がはっきりと未来を見据えて、帝国を倒そうと動いていたんだから。

 俺なんか帝国だなんだ言っても、一歩も動けなかった馬鹿で、世間知らずで、どうしようもない臆病者だった。

 だが彼女はそんな俺を許して、そして共に戦おうと言ってくれた。


 だから俺はここにいる。

 彼女の恩義に報いるために。

 何より、自分たちの夢のために。


 だから――


「今の俺は、強いっすよ!」


 敵の陣に突っ込んだ。

 混乱しているところに爺の100が突っ込んだだけでも大変なのに、さらに俺の隊が別方向から突撃したのだから混乱に拍車をかけることになる。


 俺は手当たり次第に敵を斬って捨てると、


「油、燃やせっす!」


 油を持った兵が陶器をそのまま投石機にたたきつけた。

 そこを火矢を持った兵が火をともしていく。


 燃えた。いいぞ。


 俺たちの期待に応えて、火はどんどんと大きくなりやがて投石機を飲み込んでいく。


 どうっすか、これが俺たちの力っす。


「よし、全軍撤退!」


「若!」


 勝利の余韻から撤退戦の指揮に頭を切り替えたその刹那を狙われた。

 何かが横から来た。


 咄嗟に身をひねって剣を振った。


 パキン


 剣が折れる音が聞こえた。


 硬い物に当たった感触はない。

 少し負荷がかかって、そして木の枝でも折れるように真っ二つになったのだ。


 自分の目を疑った。

 剣が折れたことがじゃない。


 俺より全然細い、ジャンヌさんと同じくらいのほっそりしたドレス姿の少女。

 その少女が、左手を掲げていた。その手の先には鋼の板を掴んでいる。


 俺の剣……。


 その残骸が俺の目で見た事実を肯定する。

 少女が無造作に出した右手に掴まれた剣が、飴細工のように折られてしまったと言う事を。


 だが驚愕はそれだけに終わらない。少女は俺に手を伸ばす。

 その手に嫌悪感を感じた。さらに体をひねる。そうすると手綱が引き絞られ、馬が棹立ちになる。


 放り出された。

 そして見た。


 少女の腕がなんの抵抗もなく馬の腹部に突き刺さり、そのまま首を貫通したのを。

 そのままこちらをつかみ取ろうと動く手が、何か別の生き物のように思えてしまった。


「…………」


 少女の視線が俺を射貫く。

 その目には何も映らない。ただ何が楽しいのか、口元に張り付いた笑みは俺を恐怖させるのに十分すぎた。


 ふと、少女が左手を振った。馬が飛んできた。

 数百キロもある馬の体重だ。押しつぶされれば一たまりもない。だから逃げる。横。遅い。


「ぐっあ!」


 馬の巨体が俺の左半身に直撃し押しつぶした。


 くっ……なんて怪力だ。化け物っすか。


 こんな奴がいたなんて聞いたことがない。いや、これが悪魔。ジルさんとサカキさんが言ってた存在。


 少女は俺に一歩ずつ近づいてくる。

 もちろん俺にとどめを刺すためだろう。


 そんな死の使者に対し、俺は違うことを考えていた。

 投石機の炎に照らされたのは、体中を血に染めた少女。おそらく元は白色だっただろうドレスは白を見つける方が難しいほどに汚れていた。それを美しいと思ってしまったのは自分だけだろうか。

 あるいはそれが走馬灯だったのかもしれない。


 ま、しょうがないっす。

 最後の投石機は燃えた。ジャンヌさんの作戦は成功した。

 

 残念だけど俺はここまでっすね。

 でも悲しくはない。彼女が生き残れば、きっとオムカは再興する。俺の夢がかなうのだ。ざまぁみろっす。


 だから後はこの少女に蹂躙されるがままに終わるだけの時間だったのだが――


「う……時間……あぁ!」


 不意に少女は足を止め、何か苦しそうに悶え始める。

 彼女の手が空を舞う。何かを掴み損ねて悶える。


 なんだ? 何が起こったっすか?


「若っ!」


 爺の声。部下を率いて助けに来てくれたのだ。

 ようやく思考が現実の地面に足をつけた思いだ。


「すまないっす!」


「小言は後です、今は離脱を!」


 敵も混乱から立ち直り始めている。確かにこれ以上の長居はマズい。

 10人ばかりが俺の周囲に集まって馬を持ち上げる。


 その間に爺は100で少女に突っ込む。

 通常なら若い少女1人に過剰な兵力だろう。

 だが誰もが見ている。あの少女の異常さを。


 今は大人しくなっているが、いつまた死をまき散らすか分かったものじゃない。

 だからここで討ってしまった方がいい。爺の判断は間違っていない。


 間違っているとしたら、彼女の異常さの方だった。


 人と馬が吹っ飛んだ。

 俺と共に戦ってきた仲間が、上下に真っ二つにされ、首がはね飛ばされ、内臓をぶちまけて人間ではないモノに落とされた。


 一瞬だった。


 停止していた少女が動き出したとき、その手には剣が握られていた。見たことない、反りをもった細い剣。

 刀身が投石機に灯った炎に黒く照らされ、そこに禍々しい何かを感じる。


 それが一撃で10人ほどの人間と馬を屠ったのだ。

 その光景を見て爺と部下が躊躇する。


 その様子を見て少女は、


「あは……あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははっ!」


 笑声。

 ゾッとした。

 この世のものとは思えない、狂ったような悲鳴。

 恐怖にかられた数騎が突っ込む。だが少女はそちらを向きもせず、右手の剣を振るう。するとバターでも切断するかのように、人間と馬が真っ二つになる。


 人間技じゃないっす……。


 俺を負かしたニーアの武技も冴えていたが、これはそれとは桁が違う。

 ただ単に、人を殺すために特化された禍々しい技。あれに勝てる人間がいるのかと思ってしまう。


 そして虐殺が始まった。


 俺が馬の下敷きになった足をなんとか引き抜くまでの時間、わずか十数秒。

 その間に、50人以上がバラバラの肉塊になって消えた。


「若、馬に乗れますか」


 俺を助けた部下が耳元で叫ぶ。

 それほど周囲は混戦でうるさい。


「乗れる、全軍撤退っす」


「はっ!」


 だが遅かった。

 態勢を整えた敵が矢を放ってきたのだ。

 俺の周りの兵たちも次々に倒れていく。乗るはずの馬も矢を受けて倒れた。


 くそ、こんなところで……。


 そこへ一頭の馬が飛び込んできた。


 乗れ。馬の目がそう言った気がした。

 夢中でしがみつく。左腕と左足が動かない。けど乗れる。乗った。


 そのまま馬に任せて走る。

 背中に矢。全身を激痛が走る。だが我慢っす。


 だがそれ以上の衝撃が背中側から来た。


「若! 生き延び、御家を再興なさいませ!」


 爺!?

 まさか。そうだ、これは爺の馬だ。


 背後を見る。どこにいるか分からない。

 けどあの混戦の中に留まったのだ。


 馬なくしてこの混戦を生き延びるのは不可能だろう。

 爺は俺に馬を、命を、未来を託したのだ。


 涙は出ない。

 泣いているくらいなら、生き延びてエインにしっかり復讐する方が建設的だと思ったから。


 矢。今後はわき腹。

 腹の矢傷はマズい。いや、死んでたまるか。俺のために犠牲になった爺、そして部下たちのため。


 何よりジャンヌさん。

 彼女のために、俺はまだこんなところで死ねない。


 だから――


 もう一本、矢が来た。

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