第十三話


 講堂の扉を開けると、客席で。

 都木とき先輩と春香はるか先輩が、すでに僕たちを待っていた。


「なんかね。陽子ようこが先に機器室、全部きれいにしてくれてたんだ」

 都木先輩が、暗くもなく。いや、明るくもない声で。

 静かに、僕たちに告げると。

「だから、ステージにいなかったのね」

 三藤みふじ先輩が、そういったあと。

「わざわざひとりで、やるなんて……」

 少し、それは違うだろうと。

 どことなくいさめるような口調で、つぶやいた。


「ま、まぁ。あ、ありがとうございました……」

 どこか違和感を感じながら。僕は、春香先輩にお礼を伝えたものの。

「うん……」

 先輩との会話が、それ以上続かない。



 隣で、波野なみの先輩が。

 小さく、ため息をついた気がしたけれど。

 これもまた、気のせい? ……なのだろう。


 疑い出すと、キリのないことなのか。

 なんだか、ぎこちない動きで。

 ふたりの周りに、みんなが集まっていく。

 えっと……とりあえず座るのかな?

 この場合は、どんな配置にするのがいいのかと。

 そんなことを僕が、考えようとしたとき。


「……ねぇ、海原うなはら君?」

 座席から立ちあがった、都木先輩が。

「ステージに、いってもいい?」

 いつもような明るい声で、僕に聞いてくれた。



「……それがいいね」

 僕よりも先に。

 ただいつもより、静かな声で藤峰ふじみね先生が返事をすると。

「じゃ、移動しようっか?」

 高尾たかお先生が、少しうつむき加減の波野先輩と。

 すでに涙目の、高嶺たかねの背中を押しながら。

 ステージに向かって、歩き出す。


「陽子も、立とうか?」

 玲香れいかちゃんの声が、いつもより少し緊張している気がするのは。

 引退のとき、だからなんだよな?


「うん……」

 春香先輩のその、力無い返事もまた。

 幼馴染のお姉ちゃんの、部活動最後の日だからなのだと。


 ……このときの僕は。

 なにか感じる、違和感の正体を。

 すべては『引退』のせいだと、必死に決めつけようとしていた。



「海原くん……」

 三藤先輩が、僕の肩に少しその長い髪を当ててから。

 いつもの歩幅で、ステージに向かっていく。

「やっぱ鈍いのかな、僕?」

 きっと高嶺に聞かれたら、とんでもなく怒られそうなことを考えながら。


 僕は、一番最後に。

 講堂のステージの九人の輪に、加わった。




「あっというまだったなぁ〜。三年間……」

 都木先輩が、静かに語り出す。

「あ、違うね! 三年になってからが、あっというまだった!」

 先輩は、満足げな声でそういうと。

「しんみりしたのは、嫌だから! 花束とかも、辞退したしね!」

 少し、涙声になりながら。

 ひとり話しを、続けている。


「あのね、みんな……」

 そこで先輩が、言葉をとめたのは。

 高嶺がこらえている涙と、その息づかいが限界で。

「もう、由衣ゆいったら!」

 そういって、先輩がアイツを思いっきり抱きしめにいったからで。


「もう、由衣が泣くか・ら!」

 そのあとは、次に我慢できなくなった波野先輩が続いて。

 それから。

美也みや! 色々と。ご苦労さん……!」

「卒業までは。ビシバシしごいてあげる……!」

 先生たちが、その輪に加わって。

 おんなじように、涙を流しはじめた。



 続いて玲香ちゃんと、三藤先輩が顔を下げたまま。

 輪の外から、みんなの背中をやさしくなでに混じって。


 でも、それだけでは耐えられなくて。

 ついには女子部員全員が一斉に、抱き合って涙して。

 引退する都木先輩の名前を、口々に叫ぶ。




 ……はず、なのだけれど。




「あの……春香先輩?」


 誰かがいわないと、いけないのなら。

 きっとそれは、僕なのだろうと思って。



 ……恐る恐る、声に出した。




「……あー。ごめん!」

 我に帰って、慌てて抱擁の輪に加わろうとする春香先輩を。

 都木先輩が、まっすぐに左腕を伸ばして。

 手のひらを広げて、そこにとまれと告げている。


 涙を流していたはずの、先輩は突然。

「陽子! そろそろはっきり決めなさいよ!」

 聞いたことのないような迫力の、声をあげると。

「聞こえたでしょ! いつまでウジウジしてんの!」

 その場から動けずにいる、春香先輩に。

 僕が初めて見たくらいの大股で、一気に迫っていく。



 ……なにか、不穏なことが起こりそうな気がしたそのとき。

 暗闇に差した、一筋の月明かりのように。

 三藤先輩が、ふたりのあいだに割ってはいってくれたので。

 僕はホッと、しようとしたのだけれど。


 今度はその、三藤先輩が。

「陽子! 美也ちゃんの大切な日なのに、いい加減にして!」


 ……まるで、普段の先輩とは別人のような。

 誰もが驚くような大きな声を、講堂内に響き渡らせた。



 ふたりのあまりの迫力に。

 しばらく固まったままだった、春香先輩は。

「ご、ごめん……」

 それだけ小さく答えると。みんなに背を向けて。

 その場から、走り出そうとしたのだけれど。


 あぁ、今度は……。

 玲香ちゃんが、春香先輩の腕を引っ張ってとめたかと思ったら。


 ……って。


 こ、これはまずいっ!




 ……悲しく、乾いた音が。


 講堂の中に、寂しく響く。


 ただ、『また』というか。

 玲香ちゃんがピンタしたのは、春香先輩ではなくて。

 とっさに顔を出した僕の……。

 左頬で……。


「ちょっと玲香! なにしてんの!」

姫妃きき、黙ってて!」


 ……な、なんだかこの展開は。

 前にも、あったような……。



「……いまのは……ダメですよ!」

 高嶺が泣きながら、玲香ちゃんと春香先輩を。

 ギュッとまとめて、抱きしめる。


「はいはい、みんな冷静に!」

 藤峰先生が、手を叩いて声をあげながら。

 僕に久しぶりに、ウインクする。

 でもそれ……いたわっているというよりむしろ。

 笑いとか、こらえてません?

「玲香。『一応』さぁ、海原くんに謝ろっか?」

 えっ、高尾先生?

 そこ、なんで『一応』なんですかっ!


「……えっと、ごめんね。すばる君」

「まぁ、前よりは痛くなかったし……」

「当たり前でしょ!」

「えっ?」

「陽子に、そんな強くするわけないじゃん!」

 れ、玲香ちゃん……。


「なんか、ちっとも反省してなさそ……」

 そこまでいいかけた僕に。

 藤峰先生が、手のひらをフワフワさせながらストップをかけると。

「そりゃまぁ、仕方ないでしょ?」

「……えっ?」

「だって、なにも。わざわざさぁ、顔出さなくても……」

 久しぶりに、『女王』というか『悪魔』になったこの先生は。

 ここで話すのをやめると。

 耐えきれなかったらしく、ついにひとりで笑い出す。



 ……でも、いまの僕には味方がいて。

 三藤先輩が、そんな先生に冷めた視線を注いでいて。

 き、きっと。

 僕を心配してくれていて。

 だから、笑った高尾先生を怒ってくれるんですよね?


「……ねぇ、海原くん」

「はい?」

「いったいいつ、玲香にピンタされたの?」

 そ、そこなんですかぁ……。


「……えっと。姫妃ちゃんと『対決』する前だっけ?」

 立ち直りの早い高嶺が。

「えっと、確か前作『告白したって、終われない』第四章第十一話だっけ?」

 淡々とした表情で答えてから、僕を見てくる。

 あぁ、なんという無駄な記憶力。

 ただまぁ……そのとおりですけど……。


「そう、なのね」

 み、三藤先輩?

 な、なんですかその表情は?


「玲香に先を、越されてしまったわ……」

「えっ……」

 い、いまなんと……?

「でも一応、読み直してみようかしら」

 い、いや。そういうことですか?


「なんか可哀想だけど、楽しみだねっ!」

 あぁ……都木先輩まで。

 なんだか妙な方向に、壊れてしまったらしい……。





 ……昴君。

 なんだか、『また』ごめんね。


 本当は、昴君の顔が見えたので。

 慌てて、勢いをゆるめたの。

 わたしは本気で、陽子にピンタをしようとしていたよ。


 月子も美也ちゃんも、あと先生たちもさ。

 どうしてそんなに、陽子をかばうわけ?


 放送部、辞めたいなら辞めればいいじゃん!

 わたしは、その気持ちの一因がわかるだけに。

 陽子に、とっても腹が立つ。


 昴君と、わたしたちがいるから。

 自分の『恋する』気持ちが、整理できないから。

 あなたは『まだ』、悩んでるんだよね?


長岡ながおか先輩と『文化祭デート』して、心が揺れちゃった」

 いっそのこと、そういえばいいのに。

 誰も責めないよ、勝手にしなよ。

 それともわたしが、みんなに代わりに伝えてあげようか?



 ……誰が好きかなんて、陽子の自由だ。


 失恋が理由で辞めても、新しい恋がしたくて辞めてもいいけど。

 そんなの、自分で決めなよ。


 美也ちゃんなんて、ボロボロになってでも。

 海原君にちゃんと、気持ちを伝えたんだよ?

 陽子は、これまで。

 美也ちゃんに、たくさんたくさん。

 お世話に、なったんだよね?

 だったら引退の日に、悩みごととか。

 残さないであげてよ……。



 わたしはこのとき、もう一度。

 この気持ちを、陽子にぶつけようとした。



 ……だけど、そのとき。


 姫妃が、わたしの手をやさしく引っ張って。

 小さな声で、耳打ちした。


「玲香はもう、嫌われなくていいよ……」

「えっ?」

「あとは、まかせて」

 ……って、ちょっと姫妃!


 いったい、なにするつもりなの?





「……ねぇ、とっても嫌なこと。いまから話させてね」

 ……玲香。

 あなたはよく、頑張った。

 まぁ、ちょっとやりかたは不器用だけれど。

 玲香だから、それでいい。


「みんな許してね! わたし、性格悪いから」

 うん、前置きはこれでいい。


 ……最悪の場合。

 わたし放送部から、追い出されちゃうかな?


 ……でも。

 それでもこれは、わたしの役目。


 海原君が、舞台に立たせてくれた。


 玲香は、そんな海原君に。

 もう、嫌われる必要はない。

 美也ちゃんは、海原君のことで。

 これ以上、悲しむことはない。


 あと月子も、由衣も。

 いつか、わかってくれたらそれでいいから……。



 わたしは、みんなに。

 たくさんの、感謝の気持ちをこめながら。



 春香陽子に。



 ……まっすぐに目を向けて、語りはじめた。



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