第六話


海原うなはら! いまのところは順調だな!」

 さわやかな笑顔で、体育祭実行委員長の長岡ながおか先輩がやってきたけれど。

 大会本部用テントの、反応は複雑だった。


 三藤みふじ先輩が、僕の体操着の袖を引っ張るので。

 ここは、代表していうしかない……。

「ごめんなさい……。ちょ、ちょっとあの……」

「知ってるぜ! クサイだろ!」

「へっ?」

「だから。こんなパンを食わせたお前に、あいさつにきてやったんだ!」


 ふと、周囲を見ると。

 高嶺たかねが同じ一年一組の女子たちに囲まれて、引きつっている。

 あ、玲香れいかちゃんなんて、女子バレー部員たちに抱きつかれている。

 す、すっごいクサそうだ……。



「それでは委員会担当『生徒』考案の、パン食い競争をはじめま〜す!」

 ……そ、そうだった。

 藤峰ふじみね先生のせいで、悲劇の競技は。

 僕たちが考案者だと、濡れ衣を着さされているのだ……。


 来賓用テントの中で、立て続けに悲鳴があがる。

 校長とかPTA会長? それとも、近所の偉い人たちとかだろうか?

 誰だよ、余ったパンを配ったのは……。




 テントの周りでは異様な熱気ならぬ、臭気が漂う中。

 グラウンドでは、次の競技がはじまっている。


「アンタ、わたしと代わってよ」

 怖い顔の高嶺が、僕にいう。

「こんなクサイのに、お昼食べる気にならないし!」

 コイツが食欲がなくすほど、などと感動している場合ではない。

 食べ物の恨みって、確かすっごく恐ろしいんだよなぁ……。


「あと、お土産。まだ残ってたから」

 抵抗すると、悲劇が訪れる。

 高嶺から、例のパンを二袋も渡された僕は。

 絶棒的な気分で、玄関のほうに向かう。

 ところが。えっ! も、もしかして!

 目の前に救世主・山川やまかわしゅんが、現れた。


「よ、よう! 山川!」

 いつになくハイテンションに呼びかけた僕を見て、山川が驚いている。

「おぉ! それ、パンかよ!」

 いや、山川は僕ではなくてパンを見て驚いたのか。

「いやなぁ。どうしても人手が足りないっていわれてさぁー」

 も、もしかしてコイツは。

「でな、文化祭の手伝いにいかされてたんだよー」

 じゃ、じゃぁやっぱり!

「せっかく、俺。パン食い競争エントリーしたのに!」

 や、やったぁー!

 たぶん神様って、玄関のほうからやってくるんだ!


「なぁ、山川」

 よし、この顔は間違いなくご褒美を待っている顔だ。

「ここにそのパン食い競争の、パンがある」

「おっ、スゲェ! し、しかも……」

 そうだよ、山川君。お前はいいやつだ。

「日頃の友情に感謝して、ふたつとも、お前にあげるよ」

「い、いいのか……」

 泣かなくていいから、クサイから早く受け取って……。


「ゆ、友情って。なんかすっげえ、サステイナブルだよな!」

 意味がわからないけど、放っておこう。

 パンをふたつももらえてご機嫌の、山川の後ろ姿に。

 僕は静かに、合掌した。


 ……ちなみにそのあと、ダブルでクサい山川には感謝された。

高尾たかお先生って、やっぱ都会のセンスするよなぁー」

「へ?」

「なんか、初めて食ったけど。大人の刺激って感じで、ウマかった!」

 いったいこいつは、普段どんなものを食べているのだろう?

 僕は、一瞬だけ。

 山川と、一度だけ弁当を一緒に食べてみたいと思った。




 ……異臭が、ほんのり残る放送室では。

 玲香ちゃんが、放心状態のまま座っていた。


「あ、すばる君かぁ……。由衣ゆいちゃんと代わらされたの?」

「う、うん」

「そっかぁ。さすがのわたしも、まだ食欲ない……」

 きっと、頑張って換気してくれたんだね。ありがとう玲香ちゃん。


 とはいえ、まだお昼を食べる気にもやっぱりなれず。

「歯磨き、いこっか?」

 ふたりとも、この臭気を少しでも自分の体から遠ざけることで一致した。

 まず、僕のクラスに寄って。

 それから非常階段を登って、三階の二年一組に向かう。

 玲香ちゃんとふたりで、そのまま中央の水飲み場にいくと。

 ふたりで並んで、無心で歯を磨きはじめて。

 そうしたら……。


「……えっ、えっ!」

 誰かの声がして、ふたりで振り向くと。

 二年生の女の子たちが、驚いた顔で僕たちを見ている。

「あぁ、歯磨きしてた〜」

 玲香ちゃんが、なんてことないという感じでいったのだけれど。

「そ、そうなんだ……」

「お、お邪魔しました〜」

 いそいそとふたりが、その場から離れていく。


「なーんか、誤解されちゃった?」

 僕がいたから、一年生の水飲み場と間違えたのか?

「いや、そういうことじゃなくてね……」

 玲香ちゃんは、そのあとの言葉は飲み込んだみたいで。

「ま、別にわたしはいいけどねぇ〜」

 イタズラっぽく僕を見て、ニコリと笑った。



 そのときふと、別の視線を感じて。

 ふたりで首をそちらに向けてみたところ……。

「あ、どしたの?」

「えっと……ちょっとロッカーに荷物取りに……」

 同じく休憩中なのか、そこには春香はるか先輩が立っていた。


「……で、ふ、ふたりは?」

「歯磨きだけど?」

「歯磨きに、きていました」

 状況的に、事実でしかないのだけれど。

 どうして、先輩はそんなに驚いているのだろう?





 ……さすがに、ちょっと驚いた。


 それがわたしの、偽らざる感想だ。

 『姉』になると、宣言したし。

 そんな『想い』は、とっくに封印できたと思っていた。


 だからなのかな、この驚きって?

 どうして、ふたりで並んで歯磨きなんてしているの?

 昴は、一階で歯を磨けばいいよね?

 玲香はそのあいだに、ここで磨いておくよね?

 それから、また部室かどこかに戻ればいいよね?


 まぁ、授業のある日ならともかく。

 体育祭の日だから、なにかの流れで一緒に磨きするとか。

 このふたりなら。

 いや、あるいは別の組み合わせでも。

 ……ひょっとしたら、わたしだって。

 『自然』にやっているかもしれない。

 

 でも、なんでだろう……。

 心が少し、ざわついた。


「あ、もういかないと!」

 ふたりから慌てて離れるように、わたしは階段を駆け降りた。

 ロッカーにいくといったのに、逆戻りするなんて。

 なんか変だよね……。

 でもあのまま一緒に、同じ廊下を同じ方向に向かうことが。

 わたしにはできなかった。


 たぶん月子つきこが知っても、由衣ちゃんでも、姫妃ききちゃんでもそう。

 こんなわたしみたいなリアクションは、しないだろう。


 なんか、変だよこれ。

 わたしもう、『忘れたはず』なのに。



 ……この気持ちって、いったいなに?


 いつか、誰かと海原君が。

 いや、『弟』の昴が。

 誰かと、一緒になる未来を。


 わたしは平然と、受け入れられるはずだったのに……。




 開いた窓から、運動場の歓声が聞こえる。

 と、とりあえず。

 グラウンドにでも、いってみよう……。



「あ、あの。春香さん……?」


 えっと。こんなときなのに……。

 五組の男子だよね、確か?



 ……そのあと、なぜだか。



「忙しくて、時間が取れるかわからなくてもいいのなら……」



 わたしは、自分で発してしまった言葉の。

 意味だけは、わかっても。

 その意図に、混乱し続けていた。



 ……この『文化祭デート』は、誰のため?



 ……わたしはいったい、どうしたいの?



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