第四話


「……さっき『おでこを出した髪型で演技するのは』っていったよね?」

「は、はい……」

「だから、ありがとうっていったんだよ?」


 ……まったく。

 要領を得ない、その顔!

 やっぱり空気読まない、その顔!


 わたしは、海原うなはら君を眺めながら。

 ふと、まだ一ヶ月も経っていない『あのとき』。

 みんなに『あいまい』にされた、わたしが告白したときを。

 ……つい思い出した。



「一目惚れというか……あなたに、恋に落ちました」

 ね・え! ちゃんと、聞こえてたよね?


「だ・か・ら! 君に、恋してしまったの!」

 わ・た・し。はっきりいったよね!



 いま思えば、あのとき。

 な〜んか、いろんな人たちが。

 海原君がなにか口にするのを、邪魔した気がするんだよねぇ……。

 筆頭は、都木とき美也みや。あの人だけれど。

 絶対、海原君を好きな子はもっといる。

 まぁ、いまはそれはいい。

 わたしの中では、『一時休戦』なんだから。



「……でさぁ、海原君はさっきからいったい。なに考えてるの?」

 わたしは、目の前で固まっている彼にもう一度聞く。

「い、いや……。隣に座れといわれて……」

「それがどうかした?」

「だって、隣ですよ!」

「それがなに? 嫌なの?」

「嫌とか、そういうのとは違って……」


 ……ん?

 もしかして、海原君。


「照れてるの?」



 ……このとき、もしわたしがそんなことを聞いて。

 少しでも、彼が顔を赤らめたりしてくれていたら。


 海原君とわたしの未来は、その瞬間から違っていたのかもしれない。


 ただ、どうやら彼はわたしが『色仕掛け』を企てたとしても。

 わたしだけに夢中になれることは『まだ』ない。

 なんだか、そんな予感がした。

 そうそう。わたしの中では、『一時休戦』なんだから……。



「いいから座る! 怪我人のいうことくらい聞いてよね!」

 わたしは、半ば強引に彼を座らせる。

 ただ無理に、隣ではなくて。

 仕方ないから、すぐ近くのパイプ椅子にしてあげた。





「……でね、話しを戻すよ」

 どうやら、波野なみの先輩の目の前に座ることになったようだ。

 ……よ、よかった。

 というか、まだ先輩との距離感がうまくつかめない。


「さっき海原君は『おでこを出す髪型で演技するのは……』っていったよね?」

 ダメだ、距離感どころか、思考回路もまだよくわからない。

「もしかして。ま、まだ根に持っているとか……」

「違うよ、ほんとうに鈍感なんだからぁ……」


 あ、その顔はもう我慢できない。

 コイツは絶望的に気づけないんだな、みたいな感じでしょうか?

 また、やっちゃったかぁ……。


 ところが、波野先輩の目がキラキラしている。

 え、なんで?

「ど、どうしたんですか?」

「あのね、それって。わたしが舞台に立つの前提だよね?」

「……へ?」

「顔に怪我したからもう無理、とかじゃなくて……」



 先輩が一度、そこで声が詰まって。

 そうか、そうなのか。

 そこでようやく、僕は気がついた。


 波野先輩の顔には、たくさんの涙の跡が残っていて。

 ……鈍感な、僕だからこそ。

 先輩は、うれしかったんだ。



「おでこぐらい、もし傷跡が残っても。またステージに立てるんだって……」

 その涙声は、演技ではない。

「そんな『当たり前』のこと、自分じゃ見つけられなかったよ……」


 病院着でも、包帯姿でも、仮に傷跡が残ったとしても。

 波野なみの姫妃ききは、どんなときだって。

 スポットライトを浴びて、舞台に立てる。


 僕はどうやら、先輩の背中を。

 そっと押すことが、できたようだ。




 ……ちなみに。

 ずっと未来に、とある女優がインタビュー記事で語っていたのだけれど。


「高校時代に、怪我をしたんですけれど……」

 顔というか、額にも怪我をして絶望しかけたけたそのとき。

「同時に、最高の出会いがあったんです!」


 そう嬉々ききとして語って。

 おまけに、あの頃があったからこそ。

「演技の幅と、笑顔の深みが増えました」

 盛大なリップサービスまで、してくれた。


 あのときを共有した誰かは、その記事をみて。

「転んでも、ただでは起きない」

 みたいなことをつぶやいて。

 その隣にいるもうひとりも、よく知っているからこそ……。

 大きくうなずいて、それから笑っていた。





 ……それから迎えた、土曜日の午後。

 部長の病室に、三藤みふじ先輩と見舞いにいった際に。

 文化祭舞台を中止したいと、告げられた。


「ふたりで、じっくり話し合った結論だから、心配無用!」

 怪我の具合からして、現実的な答えではあるけれど。

「……本当に、よかったんですか?」

 僕は波野先輩に会ったときについ、そう聞いてしまった。

「い・い・の。それで決まり!」

 通院は続くが、この日は先輩の『退院記念日』で。

 それもあるのか、先輩が明るく答えている。


「妙なところだけは、ものわかりがいいのよね……」

月子つきこは、いつもひとこと多いよねぇ〜。ね、海原君?」

「あなた、ついでに病院で性格も治してもらえばよかったわね」

 三藤先輩が、いつもの調子で色々いうのは。いつもならいいんですけど……。

「み、三藤先輩。お母様の前ですよ」

 小さな声で、お知らせしたものの……。

 忘れていた! みたいな顔で三藤先輩が慌てて振り返る。

 その瞬間、波野先輩が得意げに鼻の穴を広げたのに気づいたのは。

 病院中で、きっと僕だけだろう。


「いいのよ。娘に親友ができてたなんて、うれしいわぁ〜」

「えっと、ママ……。まだそこまでじゃなくて……」

 ご機嫌な母の前で、波野先輩が珍しく謙虚、というか慌てたようすになると。

「あら、違ったのかしら?」

「えっ?」

「へ?」

 思わず、波野先輩と僕が変な声になる。

 み、三藤先輩。いまなんて……。

 感動した波野先輩が、なにかいいかけると今度は。


「確かに、親友宣言はした覚えがなかったわね……」

 そういうと、三藤先輩はひとりスタスタと歩き出す。

「ちょ、ちょっと! 月子ひどいっ!」

「別に、事実を述べただけよ」

 ふたりが、一応病院内なので控えた声でやり取りをしながら。

 笑顔でバタバタと、エントランスを出ていく。

 いつもと少し違う、三藤先輩のテンションはきっと。

 ようやく少しだけ、安心したのだろう。



「あらあら。あのようすならもう、来週の骨の検査はいらなさそうね?」

 僕の隣で、波野先輩のお母さんが目を細めていて、続いて。

「まったく。あなたも大変ねぇ、海原君?」

 楽しそうな笑顔になった。

 ……と、思ったら。

「あの、海原君」

「は、はい……」

 なんですか、その真顔は?


「……娘を救ってくれて、ありがとうございました」

「い、いえ。そんな大袈裟な……」

 怪我の責任の一端は、委員長として予見できなかった僕にもある。

 そんなことを、僕は伝えてから。

「波野先輩の傷がどうなるかを、忘れたわけではありません」

 消えることのない僕の本心も、真面目な声で口にした。


「そうね……」

 しまった! ご家族相手に、また余分なことを口にした。

 微妙な沈黙に思わず、ゴクリと唾を飲んだのだけれど。

「……それなら、解決法は簡単よ」

 な、なんだかこの展開は。

 とても危険な予感がする……。


「海原君が責任を取って下されば、構わないわよ」

「えっ……」

 思わず、波野先輩のお母さんの目をじっくり見てしまう。

 な、なんですかそのやさしすぎる眼差しは?


「ふつつかな娘ではありますが。このまま末長くお付き合いできます……」

 うわぁ……。

 いきなり予想しない最終回がやってきたんですか、これ!


「……かどうか。文化祭を楽しみにしているわ」

「へ? へっ?」

 波野母の、その鋭い眼差しはなに……?


「聞きおよぶところ、放送部に随分とお妃候補が多いと聞いておりまして」

「え、えっ……」

「この目で、しかと拝見させていただきますね」

 う、ウソ……ですよね?

 母まで乱入とか、ないですよね?



 ……ちょうど駐車場の入り口まで歩いてきたのを確認した、先輩のお母さんが。

 いきなり楽しそうに、笑い出す。


「ご、ごめんなさい。あまりに海原君が真面目だったので、つい冗談を……」

「あ、冗談だったんですね……。は、迫真の演技だったのでつい……」

「つい?」

「な、なんでもありません!」


「ちょっとママ、なに楽しそうにしてるの?」

 た、助かった……と思ったのに。

「いえいえ。ちょっと、将来の相談をしていただけよ」

「え、なにそれ? どういうこと!」

「それは、彼から直接聞いてちょうだい。えっと、車の鍵は……」

 続けて、右の背中が引っ張られる感覚がして振り向くと。

「……わたしも、聞いたほうがいいお話しかしら?」

 み、三藤先輩ですよね。やっぱり……。


 波野先輩が、わざとあいだに入りながら。

「これは『波野家』の問題ですので、月子は関係ないですー」

 ギプスをしていないほうの手を、腰に当て。

 勝ち誇ったような顔をする、波野先輩に。

 三藤先輩は、小さく首を左右に振って、それから。

「確かに。『海原家』とは違う世界の話しね。それならお好きにどうぞ」

 余裕たっぷりに、いい返す。

「ちょ、ちょっと月子! いまのはセリフのいい間違い!」

「セリフということは、やっぱり演技だったのね?」

「演技とかいわないで! 月子ってい・じ・わ・る〜」


 ズカズカと駐車場を進む三藤先輩を、波野先輩が追いかけていく。

 そんなふたりの、うしろ姿を眺めながら。

 先輩のお母さんは、もう一度声を出して笑ってから。

「……ありがとう。おふたりがいれば、娘は安心して学校に戻れるわ」

 そんなことを、つぶやいた。



 ……きっとそれは、何気ないひとことなのだろうけれど。

 僕にはかえって少し、重たかった。

 退院したとはいえ頭に包帯、腕にギプス。

 そしてもう一名は、いまだ入院中。

 波野先輩と部長の最後のステージを、奪ってしまった。

 ……その事実は変わらないのだ。


「……海原君、心配しすぎなくて結構よ」

「はい?」

「うちの娘は、あなたが悩むほど弱くはないわ。それに……」

 先輩のお母さんが再び僕の目を、じっと見つめてくる。

「いざというときは、よろしくね!」


 二度目の「お願い」が、どこまで本気で冗談だったのか。

 その頃の僕には、理解できなかった。

 ただ、自分の視野がまだまだ狭いことだけは。

 今回の件で、痛感した。



 結局そのあとは、波野家の車に乗って。

 三藤先輩と僕は、いつもの『乗換駅』まで送ってもらった。

 ……ということは当然。

「乗る電車が違ったから、いままでちっとも知らなかったね!」

「え、ええ……」

「じゃ明日から、同じ電車で通おうね!」

 そう一方的に、宣言されてしまった……。


 おまけに、一学期に『坂の上』高校の放送部を訪問した帰り。

 そこで立ち寄った書店が、まさか波野先輩の家だったなんて……。


「どうりで。品揃えがいいのに、毎回妖気を感じていたのよね……」

 三藤先輩のそれは、まぁ冗談だろうけれど……。

「新刊注文してくれたら、学校に持っていくからね!」

「いいえ、それはダメよ」

「どうして、ママ?」

「そこはいつでもお立ち寄りください、でしょ。……ねぇ三藤さん、海原君?」


 これからは、いくら本の種類が多くても……。

 『その店』に立ち寄るべきか否かは。



 ……極めて慎重に、判断すべき問題となってしまった。



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