第18話 望木海士:2。

2:曽田力

 

 友ちゃんがヒナちゃんねるの正体を探し始めて、僕は少し戸惑っていた。


 友ちゃんがどれだけ彼を推しているのか、今まで語ってくれた内容から理解できないはずがない。直接会えて嬉しかったと話していた友ちゃんの瞳は、宝石のようにキラキラと輝いていて、本当にヒナちゃんが大好きなんだと口よりも物語った。


 それでも彼は、ヒナちゃんのことを知りたいという。


 知ってしまえばかつてのように推せなくなるかもしれないというのに、それでも事件に関わっているかもしれないからと彼は歩みをとめようとはしなかった。


 そんな彼に触発されてしまったのか、僕は宮古朱梨さんについてどうしても気がかりだった。


 残念ながら僕は朱梨さんを覚えていないけど、勝ちゃんが彼女が亡くなった箸をぼんやり眺めていたのは忘れられない。そして、そんな彼に声をかけ、タンポポを握っていた少年が誰なのか……それが知りたかった。


 朱梨さんは、本当に事故で死んでしまったのか……。


 だから僕は、部活にいつもとは違う気持ちで赴いている。


 望木海士。同じ東保育所出身だけど、彼と話し始めたのは中学で同じ演劇部に入ってからだった。


 残念ながら、引っ込み思案な僕は望木くんとは仲が良いとは言えない。同じ保育所からの縁で友ちゃんと勝ちゃんとはよく話すけど、望木くんとは知り合い程度の付き合いだ。


 彼は僕と住む世界が違う。


 キラキラとしたオーラをまとい、常に自信に満ち溢れた佇まいの望木くんは他人を自分よりも下のものだと思っている。


 演技に関しては確かに群を抜いて上手で、ステージに立ってしまえば彼は完璧な役者だった。


 とはいえ、それはステージでの話だ。普段の彼は思ったことをそのまま口に出すことが多く、それ故のトラブルも多い。実力があるからと先輩たちは目をつぶってくれるが、同輩には冷ややかな目で見られることもしばしばある。それに後輩は実力のある彼の見下す言葉に泣いてしまう子も多かった。


 そんな彼と話すのは気が引けるが、なら友ちゃんに彼の秘密を暴きに行きなと背中を押すことをできなかった。話をほとんどしないとはいえ顔見知りの僕の方が、望木くんも少しは取り合ってくれる気がするのだ。


 「あの、望木くん」


 「ああ、ちょうどよかったよ。曽田くん」


 台本を読みながら一人、部室の角で座る望木くんに声をかけると彼は長い髪をサラッと払い鋭い目で僕を見上げた。意外な言葉に首を傾げていると、望木くんは開いていた台本を静かに閉じた。


 「次の美女と野獣のステージなんだけど、君、ボクのメイクしなよ」


 「え、僕が!?」


 以前友ちゃんにも話したが、望木くんは化粧もうまい。普段の演劇では自分で化粧を施し、完全に何処かの王子様になりきっているのだ。


 そんな彼が僕の手伝いを必要としているなんて、僕はあまりの驚きに言葉を失った。


 望木くんは僕を見かねたのかはぁとため息を吐くと、癖になった右手で髪の毛をかき分けるポーズを取る。


 「ボクが直々に命じてるんだよ、光栄に思いなよ」


 「それは、えっと……ありがたいけど……あの」


 別に望木くんに化粧をすることは嫌ではないが、それよりもこれは話の対価にしてもいいのではないかとあまりよくない気持ちが込み上げてきた。対価を求めるなんて酷いとは思うけど、話を聞いたって減るものはないのだ。申し訳ないが利用させてもらおう。


 「化粧はいいけど、そのかわり話を聞かせてくれないかな」


 「話?」


 「この前、友ちゃんが聞きに来てたと思うけど……朱梨さんのこと」


 朱梨さんの名前を出すと、望木くんの眉毛が僅かにピクリと上がった。


 自信に溢れた顔が険しくなり、鋭い眼光が僕に刺さる。急にピリついた空気に、僕は思わず息を呑んだ。


 「話すことなんてないよ。ボク、知らないし」


 「5年、君の演劇と素の状態を見てきたんだ。嘘かどうかはわかるよ。君はステージに上がらなかったら演技ができないでしょ?」


 「よくわからないけどさぁ、君たちって、ボクがヒナちゃんねるとでも思ってるの?」


 「思ってない」


 望木くんの問いに、ハッキリと答える。僕は彼がヒナちゃんねるではないことをわかっている。


 「でも、朱梨さんのことは知ってるでしょ? 何で隠すの? やましいことでもあるの?」


 「やましいことなんてあるわけないじゃないか! 幼児だよ? 何も覚えてないさ。君だってその朱梨って子のこと覚えてないんだろう?」


 「覚えてるよ。君と朱梨さんが仲悪かったこと」


 「は」


 もちろんそれは嘘だった。


 でも、こんなこともあろうかと僕は朱梨さんと望木くんの関係を勝ちゃんから聞いた。


 部活に来る前にバイトに行こうとする勝ちゃんを呼び止めると苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、僕の問いには答えてくれた。


 「よく髪引っ張ったり、髪の毛にのりをつけてたりして泣かせてたんだよね? でも本当に忘れたの?」


 「……」


 望木くんの台本を握る手に力がこもる。クシャッと握られた美女と野獣の台本は後輩が次の演劇のために必死で探してきたものだった。


 「……」


 望木くんの目が揺らぐ。この顔でわかる。彼は朱梨さんを忘れてなどいなかったのだ。


 「どうせハッタリだろう? 曽田くん、君は朱梨のことを覚えてなんていないじゃないか。それなのにボクと朱梨が仲悪かったなんて何でわかる? 君の記憶力がよくないことは、ボクは部活で見てきてよく知ってるんだよ」


 「覚えてたのは僕じゃない。勝ちゃんだよ、都筑勝浬。彼の記憶力の良さ、小中高一緒に過ごしたんだからわかるでしょ?」


 「都筑……」


 勝ちゃんの名前を出すと、望木くんは眉をピクピクと動かし、あからさまに口を尖らせた。


 都筑勝浬は僕とは違い、とても目立つ生徒だった。特に小学校と中学校では不良というイメージで、他人への態度も悪く、また取り巻きのような人たちとつるんでいたこともあり悪評が広がっていた。それと同時に成績は常にトップで学年の誰にも負けない学習能力を持っていたことも有名だった。


 当然、保育所から勝ちゃんと共に過ごしてきた望木くんも勝ちゃんと殆ど関わりがなくてもその評判は耳に入っているはずだ。だからこそ、彼の名前に動揺するのだ。


 「信用できないなら勝ちゃんに電話かけて確認してもらう」


 「は?」


 「お願いだよ、望木くん。僕たちどうしても朱梨さんのことを知りたいんだ。些細なことでもいいから教えてほしい」


 お願い、と僕は頭を下げた。


 反応はない。僕はすぐに頭を上げる。望木くんはピクピクと口元をひきつらせながら僕を睨んでいた。


 重い沈黙だった。僕が頭を下げたのを後輩たちがチラチラ見てヒソヒソと何かを言っている。僕はそれを視界の隅で確認しながら、つい大きく息を吐いた。


 「……ボクの話したことを都筑に言うのかい?」


 「え?」


 「言わないなら、話してあげても良い」


 何で勝ちゃんに言ってはいけないんだろう?


 でも、そもそも朱梨さんやヒナちゃんについて調べているのは僕と友ちゃんなのだ。別に勝ちゃんに話す必要はない。


 「約束するよ。勝ちゃんには言わない」


 「ふーん……。じゃあ、言うけどボクは朱梨が嫌いだった。ブスで鈍臭いからね。で、都筑は朱梨のことが好きだった」


 「え? それって何で知ってるの?」


 「逆に都筑の友だちだっていうのに何で知らないの? 都筑は朱梨とよーく遊んでたんだよ」


 「……」


 覚えていなかった。全く、宮古朱梨さんについて僕は覚えていなかった。


 更にいうと勝ちゃんが朱梨さんのことを好きだったというのも知らなかった。勝ちゃんの記憶力については一目置いていたので、仲が良くなくても当然覚えていて不思議ではなく、だからこそまんまと勝ちゃんが他人のように振る舞っていても気付かなかった。


 「でも、何でその話を僕たちに隠していたの?」


 「都筑がどんなにボクたちより記憶力が良くても、昔のことは曖昧でしょ? で、昔のこと蒸し返してほしくなかったんだよ。幸い、ボクのことはあまり覚えていないみたいだったから」


 「……蒸し返されたら困ることしてきたの?」


 「別に大したことじゃないよ。ちょっとからかっただけ。……もういいだろう? 都筑には言わないのでよ。あと、化粧もちゃんとやってよね。約束なんだから」


 「それは……わかったよ。話してくれてありがとう……」


 話してくれたことに感謝を伝えるが、僕は浮かない気持ちに唇を噛む。望木くんが隠していたことは、つまり宮古朱梨さんをいじめていたということだった。そして、それを朱梨さんの友だちであった勝ちゃんに知られたくなかったのだ。


 淡々と話す彼からは朱梨さんへの申し訳なさとかなくて、ただ過去のことだと割り切っているようだった。それが何だかやるせなくて、でも当時のことを覚えていない僕には何一つ言えることなんてなかった。


 そして、気になるのは勝ちゃんだ。


 宮古朱梨さんと友だちだった。もしそうだというのなら、どうして友ちゃんに朱梨さんの情報を手渡したのか。そして、本当に彼は望木くんのことを覚えていないのだろうか。


 ……とりあえず、友ちゃんに話そう。


 「望木くん、ごめん。今日はこれで帰るね」


 「え? 君、小道具だよね? 準備できてるわけ?」


 「家で作れるものは作るよ」


 望木くんに別れを告げ、僕は部長にも用事があると伝えて部室を後にする。先ほどまでヒソヒソと話しながら僕を見ていた後輩たちが不審そうに目を細めていたが、あえて見えないふりをした。

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