第2話

「こんにちは。こちらはマンション管理AIブライトンです。エレベータに関する不具合や異常、お困りごとがございましたら、ご報告をお願いします。このサービスは24時間体制で対応させていただきますので、安心してご相談ください。どのようなご用件でしょうか?」


 滑らかさのない、電子音のような声だった。

 ここで今熊は思い出した。


 彼が住んでいる「ザ・マンション六本木」は最先端の管理AIブライトンが搭載されている。空調管理やエントランスロックの認証など、マンションの管理業務のほとんど全てがAIで行われており、エレベータの保守管理も例外ではない。


(まさか、非常ボタンの話し相手もやっているとは……)


 眉を顰めながらも、内心は安堵していた。このままエレベータの扉が閉まるのならよし。最悪、スタッフを呼んでくれれば助かる。


「エレベータの扉が閉まらないんだ。助けてくれ!」


 彼の声に電子音は緊急時には相応しくない、ゆったりとしたスピードで話しはじめた。


「エレベータの扉が閉まらない状況は緊急性が高く、迅速な対応が必要ですね。まずは、次の手順で対応をお願いします。


 1.落ち着いて深呼吸をしてください。


 2.現在の状況を教えてください。

  ・あなたはエレベータ内にいますか、それとも外にいますか?

  ・他の人も一緒にいますか?

  ・怪我をしている方はいませんか?


 3.エレベーターの非常ボタンを押してください。


 4.可能であれば、エレベータの階数表示や位置をお知らせください。


 これらの情報を頂ければ、すぐに適切な対応を取らせていただきます。


 ご不安な点があれば、遠慮なくおっしゃってください。一緒に対処していきましょう」


 今熊の心は再び焦燥に満たされた。あと45分で会場に行かないといけないというのに、このAIは扉を閉めるなどせずこちらに質問をしてくる。扉が閉まらないなら、閉まるか試してみる。難しそうなら人間を呼ぶ。そんな1年目の新人でもできそうなことを、AIはせずに「落ち着いて深呼吸しろ」と言うのだ。


(人のことを舐めやがって……)


 彼は怒りを感じながらも落ち着いて質問に答えようとした。


「エレベーターの中にいる。いるのは俺だけだ。怪我はしていない。非常ボタンはもう押している。エレベータの今の位置は……50階だ! なんとかしてくれ!」


「ご報告ありがとうございます。状況を把握いたしました。落ち着いて対応させていただきますので、ご安心ください。


1. まず、あなたの安全が最優先です。パニックにならないよう、深呼吸を続けてください。


2. 50階という高層階での事故ですが、専門の救助隊の出動が必要です。


3. 以下の点にご協力ください:

- エレベーター内の換気口や小さな隙間から新鮮な空気が入ってくるはずです。呼吸を整えてください。

- 携帯電話の電波が届いているようでしたら、バッテリーの節約のため、不要なアプリは閉じておいてください。

- 水分があれば、少しずつ摂取してください。


4. 救助隊が到着するまでの間、こちらで常時通信を維持します。不安なことや気になることがあれば、いつでもお聞かせください。


5. 扉を無理に開けようとするのは大変危険ですので、絶対におやめください。


あなたの冷静な対応に感謝いたします。


もし気分が悪くなったり、状況に変化があれば、すぐにお知らせください。一緒に乗り越えていきましょう」


 ブライトンの回答に今熊は首を傾げざるを得なかった。


(管理センターに通報が行くことはいいことだが、救助隊が来るほどの騒ぎか? それに、このAIの話し方だと俺がエレベータの中に閉じ込められているみたいじゃないか。そんなことはない!)


「エレベータに閉じ込められたわけじゃないんだ。俺の部屋がある50階でエレベータが止まって、下に降りようと乗り込んだんだが、そこから扉が閉まらないんだ」


 すると、トーンを変えずに次のようなことを言ってきた。


「申し訳ありません。状況を誤解しておりました。ご説明いただき、ありがとうございます。状況を正しく理解いたしました。


エレベーターの扉が閉まらない場合の対応は以下の通りです:


1. まず、エレベーターから降りて、安全な場所に移動してください。


2. 扉が閉まらない原因として、以下のようなことが考えられます:

- 扉の軌道に何か障害物がある

- センサーの不具合

- 機械的な故障


3. 扉の周りに明らかな障害物がないか、安全に確認できる範囲で見てください。ただし、危険な場所には近づかないでください。


4. 念のため、マンションの管理事務所やエレベーター保守会社の緊急連絡先に電話で状況を報告してください。


5. 他の方がエレベーターを使用しようとする可能性があるため、可能であれば扉の前に『故障中』などの表示を出すか、他の住人に声をかけて注意を促してください。


6. 修理スタッフが到着するまで、エレベーターの使用は控えてください。階段をご利用ください。


ご不便をおかけして申し訳ありませんが、安全のため、専門のスタッフが到着するまでお待ちください。他に気になることやご質問があればお知らせください」


 長々とした説明を同じ調子で言われて今熊は舌打ちをした。


(申し訳ありません、だと……。ちっとも思ってないくせに)


 心の中で悪態をつきながら、彼はブライトンの言う通りエレベータから降りた。


(扉が閉まらない原因って言ったって、エレベータの前には何も置かれていないし、明らかに故障だろ。他の人がエレベータを使用しないようにって、この階にいるのは俺だけだし、他の住人に声かけって、階段が使えない状況でどうやって他の階へ行けばいいんだよ。しかも、管理会社に自分で電話しろって……このAI、本当にこのマンションの管理をしてるのか?)


 心の中で罵りにながらも、彼は管理会社に電話をしようとした。

 電話をかけようとしたところで、今熊の頭に一人の女性が思い浮かぶ。


 それは、昨夜このマンションで一夜を過ごした佐島幸恵だった。

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