第40話 助言の温度
夕方、第二分室の窓は薄い橙色をはね返していた。
村瀬は机の端に商店のファイルを置き、佐川に経緯を説明した。父の現実、息子の計画、補償金という重さ――語るほど、言葉は紙の上で硬くなる。
佐川は遮らず、ただ頷く。
「まず、補償の枠を整理しましょう。設備更新や改装は対象になり得ますが、事業リスクの穴埋めはできません。制度は“可能性の支援”であって、“成功の保証”ではない」
言い終えると、指先で付箋を一枚ずらした。
「でも最後はご本人たちの決断です。私たちは“線”を示すだけ」
理屈は澄んでいた。けれど胸の中の濁りは消えない。
「……その“線”の手前で、親子が止まってしまったら?」
自分でも幼い質問だと思ったが、口に出ていた。
佐川は少しだけ微笑んだ。
「そのときは、時間を置くか、他の声を入れるか、ですね」
給湯室から戻る途中、ソファに腰を沈めた山田がいた。新聞を膝に置き、湯気の立つ紙コップ。
村瀬が事情をかいつまんで話すと、山田はしばらく天井を見ていた。
「夢見てる奴に冷や水ぶっかけるのは簡単だ」
ようやくこぼれた声は低かった。
「でも、夢が本物かは、ぶつけてみないとわからん。親父の“やめとけ”も本物だ。どっちも正しい。だから揉める」
そこで言葉が切れ、また新聞がめくられた。助言とも独り言ともつかない。
夜道、官舎までの坂を上る。谷の底から川の音がして、遠くのビニールハウスが薄く光っていた。
父の息。息子の息。どちらにも湯気があり、どちらもすぐに冷めるように思えた。
翌朝、佐川が一通の紙を渡す。
「荒谷商工会から連絡がありました。補助金制度の活用で、地元の中小企業診断士が相談に乗れるそうです。よければ、山内さん親子に案内を」
名刺には見慣れた肩書きが並ぶ。失敗を避けるための言葉が、これから幾つも積み上がる気配がした。
村瀬は深く息をついた。
制度は道しるべだ。だが、その道を歩く足は、それぞれの重さを抱えている。
「ご案内してみます」
そう答えた声は、自分のものらしく落ち着いていた。
谷を渡る朝風が、分室の旗を小さく鳴らした。
線と線のあいだに、まだ答えはない。だが、次の一歩は見えた気がした。
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