第4話「"あの人"の声に似た転校生」
転校初日。
音楽科のある聖響学園の門をくぐる。胸が、緊張で早鐘を打っている。いや、これは私の緊張? それともヒイラギの——?
「落ち着いて」
自分に言い聞かせる。
教室に入ると、二十数人の生徒たちが一斉にこちらを見た。
「転校生の篠崎こよみです。よろしくお願いします」
頭を下げる。
拍手が起こった。みんな優しそうで、少し安心する。
「篠崎さん、楽器は何か?」担任の先生が聞いてきた。
「ピアノを、少し……」
「へぇ、じゃあ今度聴かせてもらおうかな」
隣の席の女の子が笑顔で話しかけてきた。栗色の髪をツインテールにした、明るそうな子だ。
「私、美咲! よろしくね」
「よろしく」
美咲はお喋り好きらしく、休み時間になると学校のことを色々教えてくれた。
「音楽科っていっても、みんな楽しくやってるから。あ、でも定期公演の時期は地獄だけどね」
「定期公演?」
「学期ごとにあるの。生徒が演奏を披露する発表会みたいなもの」
演奏会か。もしかしたら、そこで——
「ねぇ、ヒイラギって知ってる?」
美咲が突然聞いてきた。
ドクン!
心臓が大きく跳ねた。
「え、あ、うん。名前くらいは……」
「私、大ファンなの! 亡くなっちゃって本当にショックで……」
美咲の目が潤む。本当にヒイラギのことが好きだったんだ。
「実はね」美咲が声を潜めた。「この学校に、ヒイラギの歌い方にそっくりな人がいるの」
「えっ?」
「3年の律先輩。声質も歌い方も、本当に似てて。初めて聴いた時、ヒイラギが憑依したのかと思った」
律——
その名前を聞いた瞬間、心臓がまた反応した。今度は激しくじゃない。懐かしむように、愛おしむように、ゆっくりと。
これは——
* * *
放課後、美咲に連れられて音楽室に向かった。
「律先輩、よくここで練習してるから」
廊下を歩いていると、歌声が聞こえてきた。
♪ 風に乗せて 想いを届けよう
その瞬間——
ドクン!ドクン!ドクン!
心臓が、今までにないくらい激しく脈打った。
この声——!
「ほら、似てるでしょ?」
美咲が言うけど、私は答えられなかった。
似てるなんてものじゃない。これは——
音楽室のドアが開いていた。中を覗くと、一人の男子生徒がギターを抱えて歌っている。
黒髪で、背が高くて、ヒイラギとは正反対の男性的な顔立ち。でも——
その歌声は、確かにヒイラギを思い出させた。
いや、違う。
ヒイラギが、この人を知っている。
心臓が教えてくれる。大切な人だって。守りたい人だって。
「あの子」——?
ふらふらと、音楽室に入っていく。
律先輩が、歌を止めて振り返った。
「あ、ごめんなさい、お邪魔して……」
「いや、いいよ。君は?」
「転校生の篠崎こよみです」
「俺は律。月島律」
律先輩が微笑んだ。優しい笑顔。
でも、その瞬間——
膝から力が抜けた。
「こよみちゃん!」
美咲の声が遠くに聞こえる。
心臓が、悲鳴を上げているみたいに暴れている。痛い。苦しい。でも、それ以上に——
切ない。
どうして? なんでこんなに切ないの?
「大丈夫? 保健室行く?」
律先輩が心配そうに覗き込んでくる。その顔を見た瞬間、涙が溢れた。
「ご、ごめんなさい」
慌てて涙を拭く。でも、止まらない。
「こよみちゃん、どうしたの?」美咲が背中をさすってくれる。
「何でもない、ちょっと疲れただけ……」
嘘だ。
心臓が、律先輩を見て泣いている。会いたかった、ずっと会いたかったって。
でも、これはヒイラギの感情。私のじゃない。
「水、飲む?」
律先輩がペットボトルを差し出してくれた。
「ありがとうございます」
水を飲みながら、チラッと律先輩を見る。
心配そうな表情。優しい目。ヒイラギとは全然違うのに、どこか繋がりを感じる。
「もう大丈夫です。突然すみませんでした」
「気にしないで。転校初日で緊張してたんでしょ」
律先輩が、また微笑んだ。
その笑顔を見て、心臓が優しく脈打つ。
ああ、そうか。
ヒイラギは、この人の笑顔を守りたかったんだ。
* * *
「ピアノ弾けるんだって?」
落ち着いてから、律先輩が聞いてきた。
「少しだけ」
「良かったら、今度一緒に演奏しない? 俺、バンドやってて、キーボードを探してたんだ」
バンド?
「『リバース』っていうんだけど」律先輩が続ける。「まあ、学内だけの趣味バンドだけどね」
リバース。逆流、逆転という意味。
なんだか、運命的な名前だ。
「私なんかで良ければ……」
「やった! じゃあ今度、他のメンバーも紹介するよ」
律先輩の嬉しそうな顔を見て、心臓がまた優しく跳ねた。
この人と音楽を作る。
それは、ヒイラギの願いでもあるのかもしれない。
「あの、律先輩」
「ん?」
「ヒイラギのこと、知ってますか?」
聞いてしまった。
律先輩の表情が、一瞬曇った。
「……ああ、知ってるよ。すごいアーティストだったよね」
それだけ?
もっと深い関係があるはずなのに。心臓が、そう訴えている。
でも、これ以上は聞けなかった。
「じゃあ、また明日」
律先輩が音楽室を出て行く。
その背中を見送りながら、私は楽譜のことを思い出した。
『心臓の歌』
もしかして、あれは律先輩に向けて作られた歌なのかもしれない。
ヒイラギが最後に残したメッセージ。
「届けなきゃ」
小さく呟く。
でも、どうやって?
まだ分からない。律先輩とヒイラギの関係も、この心臓が抱えている秘密も。
ただ一つ確かなのは——
運命の歯車が、動き始めたということ。
「こよみちゃん、帰ろ」
美咲に促されて、音楽室を後にする。
廊下を歩きながら、胸に手を当てた。
ドクン、ドクン。
ヒイラギ、あなたは何を伝えたいの?
律先輩に、何を残したかったの?
答えは、きっとこの心臓が知っている。
少しずつ、紐解いていけばいい。
焦らなくても、きっと——
真実にたどり着ける日が来る。
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