第七十二話『赤いバスの通学路』

「赤いバスって、知ってる?」


誰かがそう言い出したのは、夏休み前のことだった。


通学路の坂道には、小さなバス停がある。

朝の登校時間には黄色いスクールバスが通るだけで、

午後になると、誰も使わなくなるような場所だった。


だが、ある日を境に、夕方六時ちょうど。


そこに、真っ赤なバスが止まるのだという。


宮下凪(みやした・なぎ)はその話を聞いたとき、

嘘だと思った。


けれど、なぜか気になってしまった。

そして、ある夕方、ひとりでそのバス停に向かった。


学校帰りの荷物を抱えたまま、

わざと遅くなるように歩き、

六時ぴったりに、その場所へ。


時計の針が重なった瞬間、

本当に“赤いバス”が現れた。


それは、旧型の観光バスのような形だった。


つや消しの朱色。

ナンバープレートの文字はかすれて読み取れない。


バスのドアが、音もなく開いた。


運転席には誰もいない。


なのに、中から風が吹き出してきて、

背中を押されるように凪の足が一歩、踏み出した。


乗ってしまった。

気がついたら、席に座っていた。


車内はがらんとしていて、他に誰もいない。


……いや、いた。

最後尾の左端に、誰かが座っていた。


制服姿の女の子。

うつむいていて顔は見えなかった。


でも、時折、わずかに肩が揺れていた。


泣いていたのだ。


バスは静かに動き出した。


どこを走っているのか、まったくわからない。

車窓の外には景色がなかった。

ただ、灰色の霧のようなものが流れていた。


凪は、後ろの子に声をかけようとした。


「……だいじょうぶ?」


返事はなかった。


だが、女の子の肩は、さらに大きく震えた。


その時、バスが急停車した。


ドアが開いた。


そこには、古びた神社の鳥居のようなものが見えた。


バスの床に、紙が落ちていた。


それには、こう書かれていた。


「次、あなた」


凪は咄嗟に立ち上がり、バスの外へ飛び出した。


バスはすぐさまドアを閉じ、音もなく走り去っていった。


翌日から、凪は通学路を変えた。


あのバス停には近づかないようにしていた。


しかし、夏休み明け。


友人が、こう言った。


「ねえ、凪。昨日、赤いバス、見たよ。乗ってたよね?」


心当たりがなかった。

でも、友人の目は、確かに何かを“見ていた”。


その日から凪は、毎晩同じ夢を見るようになった。


窓のないバス。

誰もいない車内。

そして、最後尾で泣き続ける“もうひとりの自分”。


あとがき

第72話は、バスという“公共”かつ“閉鎖空間”を舞台にした話です。


誰もが乗るはずのバスが、時間をずらすことで“異界”に変わる。

そしてそこに“いつのまにか座っている自分”という入れ替わりのモチーフを取り入れました。


赤いバスは、筆者がかつて夢で見た存在に由来しています。

何度も出てくる“同じ形”の乗り物には、何かが宿るのかもしれません。


次回は、第73話『この町には、駅がない』

“存在しないはずの駅”で待つ者たちの話となります。


物語が続く力は、読者の応援と反応です。

どうか、いいね・フォローで背中を押していただけましたら幸いです。


── 吉岡隼人


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