第16話 記された名と救われた声

鉄柵を抜けた俺たちは、夜の街を駆け抜けてひとまず廃屋へと身を潜めた。


「ここならしばらくは見つからない。みんな、静かにしてて」


子供たちは疲れた様子で頷き、それぞれ壁際に腰を下ろす。


(……今のうちにやっておくべきことがある)


俺は一人、廃屋を出て再び屋敷へと向かった。


表通りから離れた搬入用の裏口。人気はない。


(奴らが出てこられないよう、今のうちに……)


俺は手をかざし、『フィルダン』の力を指先に集める。かつて出会った、粘膜状の肉体で隙間を塞ぐ習性を持つモンスター。その能力の一部を模して、扉の縁に沿って魔力を流し込む。


鍵穴の内部は樹脂のようなもので固められ、蝶番も軋まず動かない。外から見ても異常はないが、中から開けようとしてもびくともしないだろう。一時的とはいえ、十分な足止めにはなる。


「……ふぅ」


小さく息をつき、俺は再び廃屋へ戻った。


子供たちは眠ることもできず、静かに身を寄せ合っていた。


俺はそっと扉を閉め、リオの姿に戻る。


「よし、そろそろ行こう。少し遠いが、安全な場所だ」


そう言って、子供たちを連れて街の中心部にある冒険者ギルドへ向かう。


夜明け前の空気は冷たいが、足取りは確かだった。



「……これはまた、大きな問題になりそうだな」


ギルドの一室。


俺は子供たちを保護室へ預け、ユリーナの直属の上司でもある信頼できる職員──マーベルにすべてを話した。


・子供の誘拐と人身売買の現場を押さえたこと

・内部に衛兵の関与がある可能性

・証拠として、あの屋敷から奪った帳簿とデスモールドの鱗粉


帳簿には詳細な出荷記録と、金額、顧客名──その中には複数の貴族の名も含まれていた。


「衛兵にはまだ通報しない方がいい。中に情報が漏れれば、証拠も子供も消される」


マーベルは頷き、帳簿を慎重に封筒へと収める。


「分かった。まずはギルド内で保護体制を整える。君の行動には深く感謝する」


子供たちは別室でようやく安心したように、眠り始めていた。


「……あのお姉ちゃん、どこ行ったの?」


年長の子がぽつりとつぶやく。


「先に帰ったよ。安心しな」


俺は静かにその様子を見つめた。


すると、小さな手がそっと俺の袖を引いた。

「ありがとう、おにーちゃん」


不意に胸の奥が熱くなる。

感謝されるなんて、考えてもみなかった。

それでも、悪くない──そう思えた。


(もう、誰にも傷つけさせない)


その決意とともに、静かな朝が訪れようとしていた。


──この手で守ると決めた命に、もう一度、確かな夜明けを。



その頃、ちょうど出勤してきたユリーナが、ギルド奥の執務室に顔を出した。


「おはようございます、マーベルさん。……ん?」


重苦しい空気と、目を伏せた職員たちの様子に、ユリーナの眉がわずかに寄る。


「ちょうどよかった。昨夜の件、君にも関係がある」


そう言って、マーベルは机の上に置かれた帳簿と、鱗粉の封じられた小瓶を指差す。


簡潔に状況を説明され、ユリーナは顔色を変えた。


「……あの依頼書で、こんなことになるなんて……」


ギルドの奥で事情を聞いたユリーナが、足早にロビーへと戻ってくる。ちょうど、俺がギルドを出ようとしていたところだった。


「リオ!」


呼び止められて、俺は足を止める。


「マーベルさんから、話は聞いたよ。あの旧市街で、子供たちを……」


言葉を選ぶように一瞬、躊躇するユリーナ。


「本当に、ありがとう。……あなたがいなかったら、きっと間に合わなかった」


「……たまたま、そうなっただけさ」


「それでも、感謝してる。どうか、無理しないで」


俺はわずかに頷き、そのままギルドの扉を開けて外へ出る。


振り返ることなく、朝の光に向かって歩き出した。


俺は街を見下ろせる高台へ足を運んだ。


街の灯りは少しずつ消え、夜明けの空に淡い光が差し込み始めている。


(……俺にできるのは、ここまでだ)


そう胸の内で呟いて、静かに踵を返す。屋敷に巣食う連中の身元を洗うことや、その後の報いを受けさせることは、俺個人でできる範疇を超えている。あとは彼らに託そう。


子供達は親元へ帰れるのだろうか。──願わくば、この先に訪れる変化が、少しでも子供たちの未来にとって、良いものであってほしい。




夜明けの光が街を包み込む中、青年の背は静かに朝靄の中へと溶けていった。

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