第16話 記された名と救われた声
鉄柵を抜けた俺たちは、夜の街を駆け抜けてひとまず廃屋へと身を潜めた。
「ここならしばらくは見つからない。みんな、静かにしてて」
子供たちは疲れた様子で頷き、それぞれ壁際に腰を下ろす。
(……今のうちにやっておくべきことがある)
俺は一人、廃屋を出て再び屋敷へと向かった。
表通りから離れた搬入用の裏口。人気はない。
(奴らが出てこられないよう、今のうちに……)
俺は手をかざし、『フィルダン』の力を指先に集める。かつて出会った、粘膜状の肉体で隙間を塞ぐ習性を持つモンスター。その能力の一部を模して、扉の縁に沿って魔力を流し込む。
鍵穴の内部は樹脂のようなもので固められ、蝶番も軋まず動かない。外から見ても異常はないが、中から開けようとしてもびくともしないだろう。一時的とはいえ、十分な足止めにはなる。
「……ふぅ」
小さく息をつき、俺は再び廃屋へ戻った。
子供たちは眠ることもできず、静かに身を寄せ合っていた。
俺はそっと扉を閉め、リオの姿に戻る。
「よし、そろそろ行こう。少し遠いが、安全な場所だ」
そう言って、子供たちを連れて街の中心部にある冒険者ギルドへ向かう。
夜明け前の空気は冷たいが、足取りは確かだった。
*
「……これはまた、大きな問題になりそうだな」
ギルドの一室。
俺は子供たちを保護室へ預け、ユリーナの直属の上司でもある信頼できる職員──マーベルにすべてを話した。
・子供の誘拐と人身売買の現場を押さえたこと
・内部に衛兵の関与がある可能性
・証拠として、あの屋敷から奪った帳簿とデスモールドの鱗粉
帳簿には詳細な出荷記録と、金額、顧客名──その中には複数の貴族の名も含まれていた。
「衛兵にはまだ通報しない方がいい。中に情報が漏れれば、証拠も子供も消される」
マーベルは頷き、帳簿を慎重に封筒へと収める。
「分かった。まずはギルド内で保護体制を整える。君の行動には深く感謝する」
子供たちは別室でようやく安心したように、眠り始めていた。
「……あのお姉ちゃん、どこ行ったの?」
年長の子がぽつりとつぶやく。
「先に帰ったよ。安心しな」
俺は静かにその様子を見つめた。
すると、小さな手がそっと俺の袖を引いた。
「ありがとう、おにーちゃん」
不意に胸の奥が熱くなる。
感謝されるなんて、考えてもみなかった。
それでも、悪くない──そう思えた。
(もう、誰にも傷つけさせない)
その決意とともに、静かな朝が訪れようとしていた。
──この手で守ると決めた命に、もう一度、確かな夜明けを。
*
その頃、ちょうど出勤してきたユリーナが、ギルド奥の執務室に顔を出した。
「おはようございます、マーベルさん。……ん?」
重苦しい空気と、目を伏せた職員たちの様子に、ユリーナの眉がわずかに寄る。
「ちょうどよかった。昨夜の件、君にも関係がある」
そう言って、マーベルは机の上に置かれた帳簿と、鱗粉の封じられた小瓶を指差す。
簡潔に状況を説明され、ユリーナは顔色を変えた。
「……あの依頼書で、こんなことになるなんて……」
ギルドの奥で事情を聞いたユリーナが、足早にロビーへと戻ってくる。ちょうど、俺がギルドを出ようとしていたところだった。
「リオ!」
呼び止められて、俺は足を止める。
「マーベルさんから、話は聞いたよ。あの旧市街で、子供たちを……」
言葉を選ぶように一瞬、躊躇するユリーナ。
「本当に、ありがとう。……あなたがいなかったら、きっと間に合わなかった」
「……たまたま、そうなっただけさ」
「それでも、感謝してる。どうか、無理しないで」
俺はわずかに頷き、そのままギルドの扉を開けて外へ出る。
振り返ることなく、朝の光に向かって歩き出した。
俺は街を見下ろせる高台へ足を運んだ。
街の灯りは少しずつ消え、夜明けの空に淡い光が差し込み始めている。
(……俺にできるのは、ここまでだ)
そう胸の内で呟いて、静かに踵を返す。屋敷に巣食う連中の身元を洗うことや、その後の報いを受けさせることは、俺個人でできる範疇を超えている。あとは彼らに託そう。
子供達は親元へ帰れるのだろうか。──願わくば、この先に訪れる変化が、少しでも子供たちの未来にとって、良いものであってほしい。
夜明けの光が街を包み込む中、青年の背は静かに朝靄の中へと溶けていった。
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