第3話 報せは、静かに

ギルドへ向かう前、俺は王国の兵によって簡易な詰所に案内された。


ローデンの街が見えたとき、セリナはほっと息を吐いた。


俺が手綱を引く馬の背に、セリナは静かに身を預けていた。歩みは遅くとも街道を進んでいく。

彼女の体を支えながら、何度も崩れ落ちそうになる意識を、俺はただ前を向くことでごまかしていた。


城門が視界に入ったとき、見張りの兵士がこちらに気づいて目を見開いた。そして、慌てて駆け寄ってきた。


「姫君!? そのご様子は……!?」


「軽傷です。瘴霧に当てられましたが、命に別状はありません」


兵士たちの間に緊張が走る。その場にいた何人かがすでに膝をつきかけていたが、セリナが身を起こし、懐から取り出した金の紋章入りの封蝋文書を見せると、全員が正式な礼儀作法で直立した。


高くそびえる石の城壁と、穏やかな日差しの中にある街並み。旅の終わりを告げるように、風が肩を撫でていく。


門の前にいた兵士たちは、すでに近づく俺たちの姿に気づいており、馬の背のセリナを見た瞬間、表情を引き締めていた。セリナの顔を確認するとすぐに直立し、道を開けた。


「ご苦労さまでした」


俺に向けてそう言った兵士の笑顔に、俺は微かに俯いた。


(この一言で、俺が“リオじゃない誰か”だという疑いは、完全に消え去る)


街に入った瞬間、セリナが俺の袖を軽く引いた。


「……リオ、ありがとう。ここまで、きちんと護衛してくださって」


その言葉に、少しだけ迷ってから、俺は“この顔リオ”の声で応じた。


「当然のことをしたまでです、姫」


けれど、心の中では別の声が反響していた。


(そうじゃない。俺は、ただ……)


セリナは王家の医療詰所へ案内され、軍医の診察を受けることになった。

その間、俺には兵士のひとりが声をかけてきた。


「姫の護衛としての簡易聴取を行います。こちらへ」


詰所に通された俺を迎えたのは、年嵩の副官だった。灰色の髪に皺の深い額。礼儀正しく、だが目は鋭い。


「姫はご無事か?」


「はい。軽傷で済みました。現在は医師の診察を受けておられます」


「他の者は?」


「……セリナ姫と俺以外は、全滅しました」


副官はわずかに眉をひそめた。


「……詳しく話せ」


俺は、群棲魔獣の襲撃を受けたことを淡々と述べた。記憶と勘を頼りに、死者を冒涜しないよう慎重に。


副官は途中から書記に何かを記録させながら、最後にこう呟いた。


「なぜ、王家の姫が冒険者の手で護送されていたのか……不可解だな」


声には出さなかったが、その疑問はきっと王都でも共有されるだろう。


「報告は受理した。君はよくやった。“護衛としての誠意ある行動”と記しておく」


それだけを残し、副官は書類を閉じた。俺は静かに礼をして詰所を出た。


残された俺は、リオの記憶を頼りに街の中心部へと向かう。石造りの小さな建物。冒険者ギルド、ローデン支部。


扉を開けた瞬間、熱気と金属の匂いが鼻を突く。視線が一斉にこちらを向き、数秒後には興味を失ったように逸らされていく。


(誰も、俺が“リオじゃない”なんて思っていない)


カウンターの奥にいた女性が顔を上げた。赤茶の髪を巻いた、細身の受付官──ユリーナ。


「あら、リオ? 久しぶりね。その様子だと任務報告かしら?」


俺は表情を保ったまま、一歩前へ出る。


「クラヴィス公国使節護衛任務、完遂報告に来た」


「へぇ、姫様の護衛任務なんて、あんたにしてはずいぶんお堅い仕事じゃない。お疲れ様。……他のメンバーは、先に休んでるの?」


「全滅した。俺ひとりを除いて」


刹那、奥のテーブルで何かが倒れる音がした。コップが割れ、ざわめきが一瞬凍る。


「そう……大変だったわね。……ゆっくり休んで」


あぁと小さく零すように返事し、カウンターを離れようとした。


するといつの間にか背後には、どこか見覚えある男が音もなく立っていた。


黒ずくめの軽装。鋭い目つき。


「……よお、リオ。苦労してるみたいだな」


ノワール。リオのかつての仲間で、盗賊上がりの斥候。軽口と鋭さを兼ねた、ギルドでも知られた皮肉屋だ。


俺は視線を逸らさず、彼の問いに短く答えた。


「……そうだな」


ノワールがゆっくりと近づく。


「……まぁ、冒険者には別れはつきものだ。形は違えど、な」


一拍置いてから、ぽつりと。


「……無事で、よかったな」


ノワールの手がポンっと肩に叩く。


かつてのリオなら、照れ隠しに拳を振り上げたかもしれない。その拳を華麗に避けるノワールを追いかけ回して、ギルドの備品をひとつ壊すまでが“いつもの流れ”だった。


「あの短気坊主も、さすがに今は牙を抜かれた狼ね」


その様子を眺めていたユリーナが、ぼそっと呟いた。

俺は、どこか吹っ切るような、今までしたことのない笑みを浮かべた。


「(人として)生きてたらいつかは通る道、か」


その言葉に、誰もが深く頷いた。

凍りついた空気も、やがていつもの騒がしさに戻っていった。


皮肉なことに仲間を失ったという事実が、“リオ”の変化のカモフラージュになっていた。


やがて、ギルドの帳簿に“任務完了”の印が押される。

その音は、リオの死をそっと帳簿の裏に隠すような、静かな断絶の音だった。

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