16話「開戦」

ざわざわと賑わう大ホールに、学園の生徒たちが集められる。月に一度学園長の有難い話を聞かされる苦行……もとい、全校集会のようなものが行われていたのだ。


漸く終わったと溜息を吐き、エリザはきょろきょろと周囲を見回す。教室に戻ろうとする生徒や、他学年の生徒と少しの歓談を楽しむ生徒で賑わっており、人込みをすり抜けるのは少々面倒だ。もう少し人が減ってから抜けようと考えたエリザは、少し離れたところにジョージとアイラがルイスと話しているのを見つけた。珍しく、キャリーがいない。


何となく、今ならあの輪に入れるような気がして、足を一歩踏み出した時だった。


「……ん?」


耳に届いた、何かが軋む音。話し声で掻き消されそうな程小さな音だったが、確かに聞こえた。


何の音だろうと上を見た瞬間、それに気付く。


「離れて!」

「え?」


悲鳴のようにも聞こえる叫び声を上げながら、エリザは走る。声に気付いたアイラがきょとんとしながらこちらを見ているが、見ている暇があるのなら少しで良いから、その場から離れてほしい。


「ジョージ!上!」


エリザの必死の叫び声にすぐさま反応したジョージは、一瞬天井を見上げると、すぐさまルイスの手を引いて後ろに体を引いた。その直後、エリザが助けようとしたアイラは、別の生徒によって突き飛ばされる。


「あ……!」


ガシャンと、派手な音がホールに響き渡る。一瞬の静寂の後、生徒たちの悲鳴が響いた。


「きゃあああ!」

「誰か!生徒が巻き込まれた!」

「嫌!エリザさん!しっかり!」


足が熱い。動けない。痛みに顔を歪めながら上半身を動かすと、エリザの足は天井から落ちてきた照明に挟まれていた。


「エリザ!」

「殿下は……」

「ご無事だ!お前は……動くな、血が出ている」


顔を青くしたジョージがエリザの体を気遣うが、それよりも隣で倒れている女子生徒の方が気がかりだ。


「キャリー!キャリーやだ!目を開けて!」


半狂乱で叫んでいるアイラがキャリーを揺さぶる。しかし、キャリーの目は開かず、苦しそうに呻くだけだった。


「離れて!」


駆け寄ってきた男性教師たちが、数人掛りで照明を退かそうとするが、重たくてなかなか動かないらしい。ガタガタと照明が揺れる度に、エリザの足が酷く痛んだ。


「何故……一昨日点検をしたばかりなのに……」

「今はそれよりも生徒の救助だろう!」

「誰か!男子生徒も手伝え!」


ジョージが声を張り上げ、数人の男子生徒たちが集まってくる。漸く助け出されたエリザとキャリーだったが、キャリーはすぐさま担架に乗せられ運ばれていく。


「バートレイ、君も……」

「俺が運びます」

「ちょ……」


またこれか!

顔を赤くそめながら、エリザは問答無用でジョージに抱き上げられる。生徒たちが心配そうに見ている中運ばれる事には、慣れることはなさそうだった。


◆◆◆


治療ご、屋敷に帰されたエリザは、自室のベッドの上で包帯でぐるぐる巻きにされた足を見つめながら、エリザは眉間に皺を寄せる。


ゲームのシナリオ中で、集会後に照明が落ちてくるというイベントがあった。だがそれは、エリザが仕組んだ事で、狙いはアイラだった。


ジョージルートに入っていると、格下に婚約者を取られる事が許せないという身勝手な理由で、エリザは取り巻きに指示をして、普段アイラが座っている席のすぐ傍に落ちるよう、照明を吊り下げている金具に細工をさせるよいうイベントだった。


「私は何もしていない……指示なんてする筈もない。それなら犯人は……」


ブツブツと呟きながら、エリザは苛立ったように髪を搔き乱す。折角肩の傷が良くなったというのに、今度は右足だ。


ルイスとアイラ、ジョージに怪我が無かった事は喜ばしいが、キャリーが巻き込まれた。何故あの場で飛び込んできたのか分からないが、彼女が転生者ならば、照明落下イベントが起きる事は予想できたのかもしれない。


「エリザ、入るぞ」

「お父様……」

「学園には抗議している。お前が怪我をするなんて……」

「殿下にお怪我が無かったのですから、良いではありませんか」

「だからといって、お前が怪我をして私が怒りを覚えないとでも?」


怒り心頭といった顔の父は、眉間に深々と皺を刻む。エリザは父親似のようで、不機嫌そうな顔をしていると本当にそっくりに思えた。


「骨は折れていないようだが、暫く学園は休みなさい」

「はい……」


もうすぐ恋人たちの日。目の前でルイスがアイラに贈り物をする光景を見るのが楽しみだったのに、残念ながら見られそうにない。しょんぼりと肩を落とし、エリザは素直に返事をするしかなかった。


「伯爵家の令嬢も怪我をしたのだろう?そちらの方が重傷だとか」

「ええ……キャリーさんも暫くはお休みでしょうね」

「心配だ。見舞いの手紙を書いておこう」

「ええ、そうしてくださいな」


にっこりと微笑み、エリザは溜め息を吐いている父に何故照明が落ちてきたのかを聞く。運ばれてから、エリザは詳しい話を聞けずにいたのだ。


「まだ調査中とのことだが、金具が緩んでいたそうだ。一昨日点検をしたばかりだそうだが……業者が手を抜いたのだろう」

「学園が手配した業者が、そのような事をするでしょうか?王族や貴族が通う学園ですのに」

「……では、お前は他に原因があると?」

「不確実な事は言ってはいけない。そう教えてくださったのは、お父様でしょう?」


にんまりと笑ったエリザに、父はぱちくりと目を瞬かせ、娘と同じようににんまりと笑う。


「好きに動け。ただし、わかっているな?」

「ええ勿論。私を誰だとお思いですの?」

「私の愛しい娘だ」


お休みと娘の頭をぽんと撫で、父は静かに部屋を出て行った。母は怒り狂って学園に乗り込んで行ってから、未だ帰宅していない。きっと、もう少ししたら怒鳴り散らしながら帰ってくることだろう。


煩くなる前に眠ってしまった方が良い。

ぱたりとベッドに倒れ込み、エリザは静かに目を閉じる。ゆっくりと、意識が沈み込んでいく。思っていたより疲れたらしい。


遠くで誰かが何かを話している声が聞こえたような気がしたが、一度閉じてしまった目が開く事は無かった。


◆◆◆


エリザとキャリーが怪我をした翌日、学園中の空気が重かった。それをひしひしと感じているジョージは、不機嫌そうな顔で廊下を歩く。


「クレムセン様!よろしいでしょうか!」


どうして一人にしてくれないのだ。ここ最近、毎日のように女子生徒に囲まれる。名前も顔もよく知らない女子生徒に囲まれるのは気分が悪いし、正直怖いと思う事もある。


自分よりも小柄で、力でねじ伏せる事は簡単だというのに、何人も一斉に囲んでくると、恐ろしい。


「……何だ」

「私、アリス・マッカーソンと申します。エリザさんの友人ですわ」

「知っている。君はよく見かけるからな」

「覚えていてくださって光栄ですわ。……エリザさんの様子はいかがですか?」


エリザの友人なら、少しは話しても構わない。きちんと名乗ってから話し始めるだけの礼儀があるのなら、なおさら。


「何故、俺にそれを聞く?」

「婚約者が怪我をしたのですから、お見舞いに行かれたでしょう?」

「……いや」

「何故!」


有り得ないと目を見開いたアリスは、次の言葉が出て来ないのか、口をぱくぱくさせるだけ。時々「あ」とか「え……」という声は漏れるが、言葉にはなっていなかった。


「怪我をしたばかりで休みたいだろうと思っただけだ。君にとやかく言われる事ではない」

「女心をご存知無いのですか?こういう時は、傍にいてほしいものです」

「あれは、そういう女ではないだろう」

「エリザさんを何だと思っているのです」

「……君こそ、俺たちを仲睦まじい婚約者だと勘違いしているようだ」

「事実でしょう。休暇中二人でお出かけされたと、エリザさんが嬉しそうにお話くださいましたよ」


しれっとした顔で言ったアリスの顔を、ジョージはまじまじと見つめる。まさか、あの女が?と信じがたいが、アリスは「町の雑貨屋さんに行ったのでしょう?」とにっこり微笑んだ。どうやら、エリザが二人で外出した事を話したのは本当らしい。


「ああ、いけない……こんな事を話したいのではないのです。エリザさんに良からぬ噂が」

「は?」

「照明を吊り下げていた金具が緩んでいたのは、エリザさんの仕業だという噂が流れています」

「何故だ」


有り得ない。眉間に皺を寄せアリスを睨んだが、彼女を睨んだところでどうにもならない。睨まれたアリスは怯むことなく、ジョージの顔を真直ぐに見つめながら言葉を続ける。


「一年生時のエリザさんの行いが、報いとなったようです」

「……まさかとは思うが、殿下と親しくしているハボット嬢を狙ったとでも?」

「ええ、その通りです」

「もしその噂が本当だったとして、何故エリザはハボット嬢を助け、怪我をした?」

「お傍に殿下がおられたからです。殿下が巻き込まれては、大変な事態になりますからね」


ふう、と小さく溜息を吐き、アリスはカチカチと爪を鳴らす。綺麗に整えられた爪が傷むのではないかと思ったが、あまりにも有り得ない噂に、ジョージは小さく舌打ちをした。


「あれは馬鹿だが、そこまで馬鹿ではない。話は終わりか?」

「一つ、忠告いたします。あまり噂を軽視しない方が宜しいかと。特に、我々女は噂を上手に使いますから」

「……覚えておく」


アリスとの話を切り上げ、ジョージは再び廊下を歩き出す。時々すれ違う生徒たちが、ジロジロと見ている事に気付く。先程まで全く気にしていなかったが、アリスの忠告を聞いた後だと、「あれが例の……」「あの人ももしかしたら」と噂話をしている声に気が付く事が出来る。


「……成程」


ジロジロと見られる事に居心地の悪さを感じながら、ジョージは話している数人をじろりと睨みつける。


睨まれて黙るくらいなら、最初から聞こえないように話せば良い。黙った事に満足して、ジョージは背筋を伸ばして歩き続ける。


怪我が治ったばかりで再び怪我をした婚約者は、今頃何をしているのだろう。今日は見舞いに行っても良いだろうか。会ってくれるだろうか。


今まで不仲だったとは思えない程、派手な顔をした婚約者が恋しくてたまらなかった。

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