第1章 これって魔法?⑦
「うわぁ……!」
そこはオレンジ色のあかりがきらきらと灯る、小さなお菓子屋さんだった。
正面にはショーケースとカウンターがあり、左手にはコの字を描く棚がある。
その上には様々な焼き菓子が並んでいて、右手にはイートインスペースだろうか。二人掛けのテーブルが2つと4人掛けのテーブルが1つ置かれていた。
あたりには焼き菓子の甘い香りとハーブの不思議な香りが混ざっている。まるで夢の中にあるような、現実離れしたお店に思えた。
「私の名前は
「あ……扇原……
わたしの名前を聞くと、少女――睡は笑みをさらに深くして「運命かな」とぽつりと言った。
「え?」
「ううん、なんでもない。ねぇ、りぃちゃん。電話はお店のを好きに使っていいけど、まずはお近づきのしるしにお茶でもどう?ごちそうするわ」
「えっ」
いきなり下の名前を、それもあだ名で呼ばれてわたしは動揺した。
「ほらほら座って。アレルギーとかない?」
「な、ない、です」
外にある椅子と同じ、黒いアイアンでできた猫脚の椅子に腰かける。
外のものと違うのは、座る部分にもちもちとした素材のベルベット生地のクッションが置かれているところだった。
「ちょっとまっててね」
睡がカウンターの奥――おそらくキッチンがあるスペースに引っ込んだのを見送ると、わたしはきょろきょろとあたりを見回した。
店はこぢんまりしているわりに圧迫感がないのは天井が高いからだろう。上を仰ぐとゆっくりと回転するシーリングファンが空気をかき回しているのが見えた。
「おまたせ~!」
丸いトレイを持った睡がこちらに戻ってきた。
わたしの前にコースターと氷のたっぷり入った背の高いグラスを置くと、手にしたポットの中の液体を注いだ。
「わっ……!」
それは真っ青な液体だった。
透き通った深い青をしたそれがカラン、と氷を鳴らしながら注がれる。
「綺麗でしょ?今からこれに魔法をかけてあげる」
「魔法?」
「そう、とっておきの、りぃちゃんを笑顔にする魔法。みてて」
睡はわたしにそう宣言すると、金色の装飾がついたミルクジャグから黄色い液体をグラスに注いだ。
すると注がれた先から青かった液体が鮮やかな赤紫に変わっていった。
「すごい……」
これって、もしかしなくても……。
「ね?すてきなまほ--」「これってバタフライピーティーよね!?」
睡にかぶさるようにわたしは前のめりに言った。
「すごい、すごい……!本物みたのはじめて!
今入れたのって黄色かったしレモンか何かだよね? PHバランスでこんなにきれいに色が変わるってほんとに魔法みたい……素敵……」
うっとりとつぶやくわたしに、睡はいぶかしげな表情でわたしを見た。
「ちがうわ、これは魔法よ。私がかけたの」
「魔法みたいにみえるかもしれないけど、これは化学現象だよ」
「魔法だってば!」
「か・が・く!!」
平行線の言い合いにお互い肩で息をしながら、わたしは言った。
「……よしわかった。ここ、食用重曹はある?」
その言葉に睡はふん、と鼻を鳴らす。
「舐めないでよ。ここお菓子屋さんよ?あるに決まってるじゃない」
「そう。じゃあそれと、もう一杯バタフライピーティーをくれる?わたしがそれで科学を証明してあげるから」
睡はしぶしぶといった様子で新しいグラスにお茶を注いだ。
それから袋の上をクリップで留めただけの重曹をテーブルにどんと置く。……さっきまでとはえらいちがいだ。
「バタフライピーにはテルナチンというアントシアニン――色素の一種のことね。弱酸性だと今みたいに青色なんだけど、レモンを入れたりして酸性に傾くと赤紫に変わるの。だけどこうやって重曹を入れてアルカリ性に傾くと――」
お茶の中にティースプーンに乗せた白い粉を落とすと、その部分から色が変わっていく。
「青緑色に変化する性質があるの」
深い青から優しく青みがかった緑色に変わったそれをみて、睡はプルプルと体を震わせた。
(あっ……やっちゃった……!こんな、人が信じてるものを頭ごなしに否定して、傷つけるつもりじゃなかったのに……!!)
その考えに、はっと私の脳内にわたしを叱りつけたお母さんの姿がよぎった。
(お母さんも、もしかしてこんな気持ちだった? もしわたしがお菓子を作りたいって、その理由もきちんと説明していたら……)
あやまろう、お母さんに。……だけどその前に、一番に謝らなきゃならないのは――。
「ね、ねぇ」
「……わ」
ばっ、と睡が顔を上げると、わたしにずんずんと近づいてきた。
「え?え?まって、暴力反た――」
「すごいわ!! あなたも魔法が使えるの!?」
きらきらした瞳でわたしの手を取った睡は、興奮した様子でぶんぶんとそれを上下させた。
「いや、だからこれは……」
「私、ママ以外に魔法使いに会ったのは初めてよ!」
「は、はあ……」
わたしが困惑してされるがままになっていると、カラン、と再びカウベルが鳴って誰かが入ってきた。
「ただいま〜。ねえ睡、夕ご飯なんだけどさあ……ってあらお客さん?」
そこには、すらりと背筋が伸びたショートカットの女の人が立っていた。
(睡のお母さん、かな……?でもあんまり似てないような……)
涼やか、という言葉が似合いそうなその人の言葉に睡はパッとわたしの手を離して言った。
「バクさん!そう、この子はりいちゃん!魔法が使えるの!!」
違う、というまもなく睡はバクさん、と呼んだその人に身振り手振りを交えながらわたしがした実験――ようはリトマス試験紙がわりにお茶を使っただけなんだけど――を魔法だと言いはりながら説明した。
「ふうん……そう。すごい魔法だね」
「でしょう!? ねえりぃちゃん!!」
ぐるん、とフクロウのようにわたしを振り返った睡は、とんでもないことを言い放った。
「私と一緒に魔女修行をしない?」
「え、ええ――――!?!?」
「いいでしょ?いまみたいな魔法が使えるなら、きっとりぃちゃんもママみたいな……ううん、ママより立派な魔女になれる!」
紅潮した顔でわたしを見つめる睡に、わたしは戸惑っていた。
「こーら睡!無理強いをしちゃダメ」
バクさんが腕に手をあてて睡を叱る。
「だってぇ」
「あんたの気持ちもわかるけど、まずは落ち着きなさいってば。……ところで睡。あんたはいったいどんな魔法をかけようとしてたの? ちょっと叔母さんに教えてごらんなさい」
しょんぼりした睡は、しかしバクさんと呼んだ女の人の隣に行ってぽしょぽしょとなにごとか耳打ちをした。
「へえ……。そう、わかった」
そう言って女の人はわたしを振り返るとにこっと笑った。
「さて理系の強いお嬢さん。はじめまして、この菓子店店主の
まるで大人の人に対するみたいにきちんと挨拶されて、わたしはあわてて姿勢をただした。
「は、はじめまして!扇原里依紗です!すみません閉店時間にお邪魔して!」
がちがちに固まって頭を下げたわたしに鈴木さん (バクさん……?どっちで読んだらいいんだろ)はケラケラと笑って『頭をあげてよ』と言った。
「全然構わないわよ。っていうかこの魔女モドキに無理矢理連れてこられたんでしょ?」
「そんなこと……!」
魔女モドキ、と言われことに無言の抗議をする睡を横に、わたしはここにきた経緯を説明した。
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「へえ……そうだったの」
「はい。でもここ、本当に素敵なお店でびっくりしちゃいました。わたしもこんな場所で自由にお菓子が作れたらなあ……」
そう言ったわたしにバクさんはうーん、と何かを考えているように上を見た。
「それじゃあ里依紗ちゃん。よかったら睡と一緒に魔女修行してみる気ない?」
「えっ!?」
「と言ってもあたしは魔女のことなんかよくわからないから、修行場所を貸す代わりに普段はこの店のお手伝いをしてもらうのが条件だけどね」
そう言ってぱちん、とウィンクをしたバクさんの言葉をきいて、わたしはまるで行き止まりだった道の隣に、いきなり道が現れたかのような気分になった。
「ほ、ほんとですか!?」
「もちろん。でもあたしは厳しいよ〜? なんてったって掃除やお店番はもちろん、店に出すお菓子作りも手伝ってもらうつもりなんだからね!」
「〜〜〜!!!!」
あまりの興奮にわたしは笑みが止まらなくなっているのに気付いた。
「それに……睡のかけた魔法もしっかりかかってるみたいだしね」
ほら、と指を刺された先には窓ガラス。そこに反射して満面の笑みを浮かべるわたしがいた。
「『笑顔になる魔法』、ききめはバッチリみたいね」
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