草花菓子店の見習い魔女
あまがさ
第1章 これって魔法?①
あなたは魔法を信じる?わたしは信じていなかった。だって、そんなのほとんど科学で説明できるじゃない。
だけどいまは本当にあるんじゃないかって思ってる。
理由?それはね--
1話 これって魔法?
しとしとと雨が降っている。
ひっきりなしに雨の降る6月の午後、窓の外は雨で歪んでぼんやりとしたフィルターをかけたように見えた。
キッチンの中はさっきまで動いていたオーブンのからりとした熱気がただよっている。
部屋の中はクーラーをつけていても、まるでストーブをつけているような気がする不思議な空間になっていた。
きっとドアを開けて一歩外に出ればじめじめとした生ぬるいまとわりつくような空気が漂っているのだろう。
まるでそれはわたしの
気持ちを落ち着けようとわたしはすう、と鼻から息を吸う。
すると雨の香りにかぶさるように甘い香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
ケーキクーラー――焼きたてのお菓子を乗せて冷ますための網のことだ――の上に等間隔で並べられたクッキーの香りだ。
アールグレイの葉を混ぜ込んだアイスボックスクッキーは紅茶の香りがしっかりとしていて、雨の湿った匂いとまざるとどこか切なくて胸がしめつけられる気分になる。
混ぜた生地を棒状にして冷蔵庫で冷やし固め、切って焼くだけという簡単なこのクッキーが、わたしが一番最初に作り方を覚えたお菓子だからだろうか。
(お父さん……)
キッチンで楽しそうに料理をしているお父さんのうしろ姿が脳内に浮かんで、わたしは首を振った。
……やめよう。
思い出したって、いいことなんてひとつもないんだから。
「わぁ、いい匂い!」
静かだったキッチンに突如鈴を転がすような声が響いて、背後からにゅっと細く白い腕が伸びてきた。
「ちょっと
桜貝のような爪でクッキーをひとつつまんだその腕の主――睡はにっこりと笑ってぱくりとクッキーを齧った。
「おいし~。やっぱりぃちゃんの作るお菓子が一番おいしい!」
おっとりとした口調でほほ笑みながらそう告げられると、毒気を抜かれてしまう。
「うん……そう。ありがとう」
「これ、このままパッケージをしちゃっていいやつ?」
サクサクとクッキーをもう1つつまみながら、睡はエプロンをつけて作業台に向かっていたわたしに問いかけた。
「あ!また!……もー。冷めたら半分だけホワイトチョコつけて、それで完成。だからまだ」
「ホワイトチョコかあ~。おいしい……ぜったいおいしい……」
夢見るようにうっとりとつぶやく睡にわたしは半眼になる。
「ちょっと睡、これは商品にするものなんだからね。わかってる?」
「わかってるってぇ」
睡はほわほわとした口調やふんわりと羊のようにカールした長い髪をしている。色素の薄い瞳やビスクドールのように白い肌をしているが――だまされてはいけない。
このクッキーモンスターは気を抜けば作った傍からできたお菓子を味見と言って食べてしまう悪魔の胃袋をもっているのだ。
「あんまり謎の商品
バクさん、という言葉に睡はびくっと肩を震わせた。
「えっ、りぃちゃん内緒にしよ?ほら!」
かじりかけのクッキーをわたしの口に放り込んで「これで共犯!」と睡は胸を張る。
が、今度は背後から細く長い大人の手がのびてきた。……クッキーではなく、睡の頭に向かって。
「な~にが内緒だって?」
「ひっ」
「バクさん、おつかれさまです」
睡にアイアンクローをかけている女性――バクさんは睡の叔母さんでこのお店のオーナーだ。
バクさんはいつも制服のように黒いタートルネックのセーター(今は暑くなってきているからかサマーセーターだ)とブラックジーンズを着ている。ショートカットの髪型とぴんと伸びた背筋をしていて、彼女はその見た目通りさっぱりとした性格をした人だった。
「睡~?商品はあんたのおやつじゃないっていつも言ってるわよねぇ?」
「あだだだだだ!! ごめんなさいごめんなさい!!」
「次勝手につまみぐいしてるところ発見したらその分お小遣いから引くからね!」
ぎりり、と長い指でがっちりと顔面をホールドしていた手をパッと離して、バクさんはこちらを向いた。
「里依紗ちゃんもごめんねぇ、この食欲魔人が」
「い、いえ……そんなこと……」
わたしは恐縮して首を横に振る。
「でも里依紗ちゃんがこの店を手伝ってくれてから助かってるのよ。まだここに来てくれてからひと月も経ってないのにね。もう里依紗ちゃんのいない草花菓子店は想像がつかないわ」
「っ、ありがとうございます……!」
そう言われたことが嬉しくて、でも緩んだ顔をみられるのが恥ずかしくて思わずうつむいてしまう。
そうだ。
わたしがこの店――草花菓子店に初めて迷い込んだあの日。
あの日からきっと、わたしの心には魔法がかかっている。
そしてそれはきっと――。
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