第1話 船上の攻防

 アストランティア王国がロマシュカ帝国に滅ぼされ、新たな魔王が君臨した事により、世界中は魔物によって蹂躙され始める。

 各地に存在する大国はこの状況を打破すべく不条理な侵略に対して反発し、自らが持つ戦力を総動員し戦いに臨む。

 敵は常人を上回る身体能力を持つ魔物であったが、その大多数が知性を持たぬ存在であった為、人類はこれまで培ってきた知恵を駆使して魔物達に立ち向かい、人類絶滅という最悪の事態は阻止する事が出来た。だが、それでも多くの犠牲を生む結果避ける事は出来なかった。


 それから十年の月日が流れた。あれからも人々の心には平穏が未だに戻っておらず、人類は自らの生活を守るべく魔王軍の脅威へ対抗を続けていた。

 魔王が解き放った魔物達は我が物顔で人里離れた場所を闊歩し続けており、それは青く輝く美しい海も例外ではない。むしろ陸上を生活拠点とする人類にとっては逃げ場が無いが故により危険であり、海を渡る定期船や漁船は目に見えて減っていく一方であった。

 だが、そのような状況の中だというのに恐れ知らずか風に吹かれて海を突き進む一隻の木造船の姿。船上の乗組員達が風に帆の調整の為に忙しく動く中、彼らをまとめる船長は望遠鏡を片手に船首に立っていた。


「今のところは異常無し……か。このまま何事もなく到着出来れば良いんだがな……」


 船長がそう願い、呟きながら進路を見据えている。するとその背後から彼に近づく足音が聞こえてくる。その音に気づき振り返ると、船長達の前には忘れな草のような青い髪色をしたボブカットの少女の姿があった。

 身にまとう薄青色のローブを潮風に靡かせながら少女は微笑み、船長へ労いの言葉をかける。


「船長さん、お疲れ様です」


「ああ、今朝乗せた嬢ちゃんか。調子はどうだ?船酔いとかはしていないか?気分が悪くなったらいつでも言って良いんだぞ」


 少女に対し思いやりの言葉で返すと、少女は船長の気持ちに感謝し、一礼する。


「ええ、私は大丈夫。お気遣いありがとうございます」


 彼女の返答に安心したように一息つくと、改めて前方へと振り向き海の様子を眺めながら言葉を続ける。


「そうか、それなら良かった。中々順調に進んでいるし、もうそろそろ港も見えてくる頃だろう。ただ、ここ最近は魔物の凶暴さも増してきているからあまり油断は出来ないが……」


 一転して深刻な口ぶりに変わる船長の言葉に少女もつられて神妙な面持ちとなる。


「やっぱり魔物の被害は大きくなってるんですね……」


「ああ、つい最近も一人友人が海に出たんだが……帰って来る事は無かった。豪快で、気が合って、この間も一緒に酒を飲んだ。本当に楽しい奴だったんだがな……」


 そう語る船長の顔はとても悲しげであった。しばしの沈黙の後、船長は再び口を開き、語りを再開する。


「でもな、だからと言って海に出ない訳にもいかねぇ。物資の運輸は今の社会の血液だ。止まっちまって物資が行き渡らなくなってしまえば世界中が困っちまう。命を落としてしまう奴だって出てくる。だから俺達がやらなきゃならねぇんだよ。そう、俺達は運んでいるのは物だけじゃねぇ、誰かの未来なんだ」


 そこまで言葉にした後、船長は照れくさくなったのか頭を掻きながら苦笑する。


「……なんて、カッコつけて言ったは良いものの、そうでも思わねぇとやってらんねぇってのもあるわな。元々命がけの仕事だったっていうのに、魔物のせいでもっと危険な事になっちまった。いつか、千年前みたいに勇者様が現れて、もう一度平和を取り戻してくれたらありがてぇんだけどな……」


 少し冗談めかした口ぶりでありつつも、船長の言葉には本心が滲み出ていた。それを聞いていた少女の顔は、笑みを浮かべつつも悲しげ表情をしていた。


「ん?嬢ちゃん、大丈夫か?具合でも悪いのか?」


「……えっ?あ、ううん!大丈夫、気にしないで!」


 意識が上の空となっていた少女であったが、船長のその言葉にハッとなり少し慌てる素振りを見せながら取り繕う。

 「そうか……?」と少し心配しながら呟く船長であったが、少し気まずい空気を変える為にも別の話題を切り出そうと考える。


「しかし嬢ちゃん達、こんな状況で船旅をしようだなんて大した根性じゃねぇか。何か、それだけ大事な目的でもあるのかい?」


 感心した様子で少女に尋ねる船長。すると少女は潮風を浴びながら、遠く海の向こうへと視線を向ける。


「……はい、私達には、やらなければならない事がありますから」


「やらなければならないこと?」


 船長から聞き返す言葉が発されたその瞬間であった。穏やかな波を受けながら進んでいた船に大きな衝撃が襲いかかる。


「きゃっ!?」


「うお!?何だ何だ!?」


 慌てて手すりに掴まりバランスを保つ少女と船長。挫傷したのか、それとも魔物の攻撃か、様々な可能性を張り巡らす中、その揺れは収まるどころか船を更に大きく揺さぶり出した。


「あれは……!?」


 少女が前方を見てそう叫ぶと、彼女らが乗る船の前に巨大な影が波を伴って姿を現す。正体が波に包まれ掴めぬ中、それは船に巨大な触手を巻き付け絡めてきた。


「ちっ……よりによって最悪な奴に出くわしたか……!」


 船長は目の前の事態にようやく確信を持つ。それと同時に、正体を隠していた波が収まり、その輪郭が露わになる。

 一言で表すならそれはまさに『巨大な烏賊』としか言えない。そう、船を襲った巨大な影の正体は、海の大王『クラーケン』であった。


「こうなったら足掻くだけ足掻くしかねぇ!野郎ども!迎え撃て!」


 船長の号令と共に船員達はすぐに大砲に弾丸を詰め込み、クラーケンに向けて撃ち放つ。それは次々とクラーケンの巨体に命中し、爆炎で包んでいく。


「やったか……!?」


 一瞬、勝利を確信する……否、勝利を確信したかった船長と船員達。だが、煙が晴れるのと比例し、一行の表情は段々と強張っていく。


「……嘘だろ……?」


 放たれた砲弾は間違いなくクラーケンの巨体に命中した。煤が纏わりつき、よろめくその姿は無傷ではない事を意味する。攻撃そのものは無意味ではない事はすぐに理解出来た。

 だが、『それだけ』であった。ダメージを与えた事は確かであったが、今の状況を打破する為にはそれではいけなかった。

 ここで確実に仕留めなければ、次に来るであろうクラーケンの攻撃に船は耐えられない。全力で攻撃して『これ』では、間違いなく助からないのである。


「……駄目だ……もう……どうしようもねえ……」


 命が助かる為のチャンスを失った事を理解し、眼の前の絶望的な状況に項垂れてしまう船長と船員達。だが、そのような状況の中、少女一人だけが目の輝きを失わず、まっすぐにクラーケンを見据えていた。


「……嬢ちゃん、もう駄目だよ。港には……辿り着けそうもねえ……本当にすまねえ……」


 力なく謝罪の言葉を繰り返す船長。だが、少女は首を横に振り、船長の言葉を否定する。


「……ううん、大丈夫。だって……」


 次の瞬間、巨大な触手が船に向かって勢いよく振り下ろされる。少女の言葉は届かない、もう絶望しかない。船員達が死を覚悟し目を瞑った……その時の事だった。


 青白い閃光が走り抜け、クラーケンの触手が斬り落とされる。


「……は?」


 数秒後に予期していたはずの未来は訪れず、船に叩きつけられるはずだった触手は、大きな水しぶきを上げながら海の中へと落ちていった。

 状況が掴めないまま船長と船員がやっと前を見る。すると、彼らの目の前には金の長い髪を靡かせた、長耳の青年が剣を片手に目の前の巨大な敵を見据えていた。


「……だって、『彼』がいるから」

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