オオカミ姫の日常

世羅ローア

アタシと白馬の……

 エンジンの回転音が、坂道の角度によって変わる。


 千葉から長野まであっちへふらふら、こっちへふらふらこき使われた軽自動車はお疲れのご様子だ。アクセルを踏んでも「ふぉぉぉん」とやってるアピールするだけ。


 急な坂を上り終え、エンジンが明るく鳴いた。


 その瞬間。すっかり葉の落ちた木々の間を、小さな鳥が矢のように横切った。




「あ、鳥さんだ」




 車の運転だけに集中していたアタシの脳のスイッチが、ごとりと入れ替わった。




「うわ! 見て! 小鳥! お名前はなんていうんだろうねぇ~、可愛い小鳥! ねぇチュンチュン! チュンチュンってスズメかな? アハハ! 君はねぇなんて鳴くんだろうね! あ、行っちゃった!」




 小鳥を見失う。落胆する間もなく急なカーブ。


 カーブで視線が通り、遠くの四つ足の獣が見えた。




「えっカモシカ? カモシカって絶滅しかかってるんじゃなかったっけ? でも猪っぽくもないし、犬っぽくもないし……急に絶滅危惧種に会えるとかアタシヤバ、何らかの加護を受けてるでしょアハハハハハ、ヤバ、アハハハハハハ」




 ミラーに映ったアタシの目はバッキバキに決まっていた。グレーの髪色は、もう少ししたら降る雪みたいだ。山の稜線の向こう側に、太陽がゆっくり落ちていく。




「あぁ、あ、太陽が沈んだ」




 アタシの現実逃避のお喋りは、太陽が沈むのに引きずられて止まった。すると、急に頭の中を、不安の指が柔らかく撫ぜてくる。ひっくり返った蝉のお腹を撫ぜるようなストレス。山間のちょうど開けた道に車を寄せる。夜の山を流して楽しむ余裕はない。頭の中の〝楽しい事リスト〟を探し回る。アタシは、カーナビに付属したDVDプレイヤーに持ち込みの映画をセットした。




 映画はいいよね。


 現実ってテーブルがどれだけ汚れていても、その上に虚構エンタメのランチマットを敷いてくれる。


 アタシはランチマットの下に柔らかい腐敗を感じながら、美しい嘘を観ていた。映画を二本観たところで、急に全ての電源が落ちた。




「あれ? あれれ?」




 ボタンを押しても何の反応もない。エンジンキーを回しても起動しない。慌ててスマホで検索すると、




「エンスト?」




 という状態になっているらしい。エンジンを切った状態でバッテリーを使い過ぎたことが原因らしい。


 スマホで確認すると時刻は午前三時。


 見たくないけど見えちゃったバッテリー残量は5%。


 車を復旧したいけれど、JAFが来てくれるような時間じゃない。


 


 それからは、10月末の高山の夜の冷たさとの戦いだった。


 スマホというか、スマホのバッテリーは冷やすとダメらしい。昔、冷凍庫から品出しのバイトをしていた時、バッテリーはすぐダメになったから知っている。


 卵を守る親鳥のように、スマホを腹に抱く。


 リクライニングを最大にしたシートの上で、忍び寄る冷気で呼気を凍らせて、アタシは朝が早く来るよう祈り続けていた。ぼそりと呟く。




「かえりたくないよぉ、もぉなんにもできないよぉ」




 泣いてはいないけれど、声は、涙で湿っていた。


 ――看護学校から逃げ出して、かれこれ六日になる。


 急性期と慢性期の実習で、私はカラカラのサラサラに燃え尽きた。頭の中は、アタシの地毛みたいなグレーの灰色と呻きと嘆きと苦しみと、それからこの世界すべての悲しみでいっぱいだった。


 六日前、気付いたときには母親に書置きを残してた。




 〝一週間は探さないでください〟


 〝旅に出ます〟




 そしてアタシは夜のレンタカー屋に飛び込んで、残っていた一台をレンタルした。


 疲れが心をぶち抜いて風穴にしていたから、そこから吹き込む風に任せて旅をつづけた。迷い犬の足跡みたい。疲れては車中泊して浅く眠り、疲れ切った日はラブホテルで眠った。




「一週間もあれば何か変わると思ったんだよぉ……」




 アタシの中の、小生意気なアタシが囁く。


 ――変わりましたか?




「変わってないからこんなに苦しいんだよぉ……」




 気分は宿題が山と残っている8月31日――ううん、嘘。ほんとは宿題が手つかずのまま9月3日を迎えた感じ。




「しかもずる休みしてる気分……さいあく」




 気が思いっきり滅入ってきた。アタシの中の、小生意気なアタシが口を乗っ取る。




「ろーちゃんさ」


「子供の時の口癖、やめて」


「いっつも後先考えないじゃん。だからいっつも誰かに迷惑かけちゃうんじゃん」


「やめてっていってんじゃん」


「ろーちゃんさ、なんで看護師になりたかったん? 向いてないよ」




 なんでって、それは、育ての叔父がそうあれと言ったから。


 アタシってなんだろ。


 なんで叔父さんの言うこと、こんなに聞いてたんだっけ?


 アタシはアタシに嘘を吐く。




「アタシね、人間の群れの中で生きてみたいの。人間って、生きるのが好きでしょ? だから、治してあげる仕事に就けばよいと思ったの」


「報われると思ったの?」




 アタシは深々と冷え込む車内で、白い息を何度も吐いてから言う。




「――思ったよ」






 JAFに車を直してもらっている間、アタシはずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


 なぜこの人たちは、こんな山奥に、朝いちばんで呼び出されているのだろうか。


 JAFの人たちはプロだから、文句を言うこともない。だからアタシが代わりに彼らの内面を代弁する。




「チッ。なんで土曜の朝っぱらから木曽なんだよ」


「エンジンかけずに映画観てエンストとか、何やってんだよこの女」




 もう駄目、気がめいってきた。


 アタシは作業を続けるJAFを尻目に、冬を待つ裸の木々の群れを眺めていた。


 水が流れる音がする。音源を求めると、沢があった。木曽の水は透き通って綺麗だ。凍らせて溶けだした、一番あまい水みたいに見える。


 JAFが作業の終了を告げ、清算する。アタシは車中に戻り、ハンドルに突っ伏した。


 自分がダメ過ぎて、全部嫌だった。


 ハンドルを透かして見えるのは、寒そうな木々。これはアタシの心の具象化。美しい物や美味しいものを全部剥がされた寒い姿。


 ハンドルがまるで檻みたい。


 時折、火のように赤い紅葉は、なんだかアタシを責めているお局ナース様を思わせた。


 冬を待つ山間の底冷えする寒さが、薄っぺらなレンタカーの板金を通り抜け、アタシを包んでいる。


 アタシは現実から目を逸らすように、スマートフォンを弄り始める。マッチ売りの少女じゃないけれど、スマホでシアワセなものを見ている内は寒さを忘れられた。




 頭に残っていた〝白馬〟というワードで、シアワセなものを追いかける。


 疲れ切ってると、文字なんて高尚なものは頭に入らない。だって岩に水は入らないでしょ?


 アタシは〝長野 森 カフェ〟とか、とにかく素敵で暖かなものを検索してた。


 すると、一軒の宿が目についた。


 アタシの指が磁石に吸い寄せられた砂鉄のように、宿の電話番号をタップした。




『――――はい。こちらロッジ白馬です。ご予約でしょうか』




「あっ」




 電話したから繋がった。だというのにアタシは、繋がったということに少し驚いた。


 そっか。アタシが電話したんだった。


 いつの間にか、世界から切り離された心地でいた。小さな子の離した風船。それが今のアタシ。ふわふわふらふら、どこかの木に引っかかるまで漂っていく。引っかかれなければたぶん、世界の果てとかに行くんだろう。


 アタシはただ流されるままに、返事をしていく。




「あの、泊まりたくて」


『ご予約ですね。スキー客の方ですよね』




 宿の人の言葉から、白馬はスキーが有名らしい。なんか面白い。




『ご宿泊は12月の何時になさいますか?』


「今日です」


『はい。今日ですね――今日!? 今、もう、四時半ですけど、これからですか?』




 そっかー、四時半かー。


 どうりで暗くなってきたと思ったんだ……アタシは車のエンジンを入れ、ヘッドライトをつけた。枯れた木の枝先が光る。枝に巻きつけられた鉄線だ。同化していて気づかなかったが、木には自殺をやめるよう促す看板があった。




「これから泊まりたいんですけど、無理ですか?」


『あぁー……ロフトみたいになっているとこなら、大丈夫ですけど……お一人ですか?』


「一人です。友達いなくて、っていうか友達といるという圧に今のアタシじゃ耐えられなくて……」




 アタシはふと気づいて財布を開けた。


 一万円札が一枚、千円札が四枚……それから小銭が……はっぴゃく、きゅうひゃく、きゅうひゃくごじゅう……




「あの、五千円くらいで、泊まるの難しいですかね……? ご飯も何もいらないんで!」


『素泊まりですか、あぁ、まぁ……ちなみにお客様のご到着予定は何時ごろですか? 今どのあたりですか?』


「山です。山にいます。白馬まであと150kmくらいだと思います!」


『周りに何が見えますか?』


「山ですね……自殺防止の看板と、木と、岩と……さっき鳥もみた気がします。あ、ここ崖際の駐車場だったんだ、こわ~」


『すぐ来てください』






 辿り着いたロッジは素敵な場所だった。


 外壁は赤い木で、なんだかヨーロッパの古い館みたい。雪はまだないけれど、急な屋根がいずれココが真っ白になると告げていた。


 ロッジの中は暖かかった。チェックインの書類を記入すると、奥に通された。食堂の隣の広間には暖炉があり、程よい間で置かれた丸太の椅子が、在りし日にここで交わされた楽し気な会話や歌を思わせた。


優しそうな宿屋のご主人が、アタシを部屋に案内するためにやってくる。




「お部屋はコチラに――」


「――あの!」




アタシは突然、財布の中身を全部出した。




「これが、アタシの全財産なんですけど――これ全部で、三日、ここに泊めてくれませんか?」




 一泊五千円で、三泊一万五千円。


 さらけ出した全財産は、微妙に届いていない。


 ご主人が困っている。アタシは更に三つ指をついて頼み込む。




「これが全部なんです! お願いします!」






 奇跡だった。


 ご主人は三泊を受け入れてくれたし、素泊まりって話だったのに、ご飯も出してくれた。


 それはお客さんに出す豪華な料理じゃなくて、家族で食べる優しい味のご飯だった。


 初日に食べた寄せ鍋の肉団子がすごくすごくおいしくて、アタシは宿屋のご主人と女将さんに感謝を伝えたくて、




「美味しい、すっごく美味しい!」




 って言い続けたし、二人がアタシの過去を聞いてきたら包み隠さず答えた。




「父親がいないんですよ」


「それで親戚の家に引き取られて、上手くいかなくて、お母さんはいるんですけど、再婚してからは微妙で」


「看護師になって自立したかったんですけど、あんまり上手くいってなくて」


「アタシ、二留しちゃってて……ちょっと死にたいなって思ったり」


「でもほんと、旅の最後にお二人に会えてよかったです! 生まれ変わってもまた会いたいってくらいです!」




 二人は何が楽しいのか、アタシの話を聞いて、優しい顔でずっと頷いていた。


 そのあとデザートももらい、お風呂ももらい、ルンルン気分で廊下を歩いていたらひそひそ声が聞こえてきた。低く押さえた声は、ご主人のものだ。


 盗み聞きはいけないと思いつつ、何の話だろうと注意する。髪の中に隠していた狼耳が立った。




「――アレ自殺だよ」




 え? 違うんだが? 限界がきて旅に出ただけなんだが?


 アタシが唖然とする中、女将さんが応える。




「――やっぱりデザートがプリンじゃ、自殺を留めるには弱かったんじゃない?」


「でもおめぇ、ケーキとかだとほんとに〝最後〟感が出るだろ。心中する心境になれって、子供にケーキとかパフェとか食わしてからいきてぇべ? ……まだ二泊ある、まだ自殺を止めるチャンスはあるはずだ」


「私、今日、あの子の部屋の隣で寝るわ。怪しい物音がしたら踏み込みましょう」




 恐ろしいほど心配されていた。アタシはわざと大きな音を立てて歩きながら、




「あー良いお宿ダナァ! 生きる気力が湧いてきたなぁ!」




 と叫んでおいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る