いざ、新天地へ
わたしの乗る馬車は、これから山の中へと入っていく。
ライカ村と呼ばれるその村は、この国にたくさんある農村のうちのひとつらしい。
らしい、というのも、実はわたし自身、この村に行くのが決まるまでずっとその存在を知らなかったのだ。
村と何かしらの関わりやルーツがなければ、国民でも名前を知ることはほぼないであろう。そんな辺境の、小さな村の、小さな工房がわたしの就職先。
さて。ここで、わたしがライカ村に就職することになった経緯を軽くお話ししておこう。
錬金術の学校を卒業した人の進路は、主に二つ。就職するか、さらに上の教育機関に進むか。これは他の分野の学校とも同じだよね。
けれど錬金術師はその希少性ゆえに、学生のうちから国内各地のお店や研究機関などから声がかかることも多々ある。それに加え、わたしの学年はたまたま、錬金科の生徒が例年よりも少なかったらしく。
そのおかげで、同級生は進学する人とわたしを除いて、みんな卒業前にが決まっていた。
だから、進路を本格的に決めないといけない時期に入ると、それはもう本当に焦った。
進学には正直、少し興味があった。けれどわたしが入学試験に受かるとはとても考えられなかったし、それに実家だって決してお金持ちとはいえない。学費だって、放課後や休日にバイトをして稼いだお金をいくらかあてていたのだから。
そんな生活のおかげで成長した部分は、多々あると思う。だけどこの先さらに数年間、そんな生活を続けるのはつらい。
だけど、就職活動をするならするで困ったことがあった。
それは言うまでもなく、わたしの壊滅的な成績。
あんな落第点スレスレの、しかも特に実技の成績が飛びぬけて悪い生徒を雇ってくれる学生を雇ってくれる場所がどこにあろう。
食いっぱぐれることがほぼないと言われる錬金術師であるにも関わらず、下手したら露頭に迷うことになるのでは……なんて思っていた矢先、信じられないことに、一軒の工房からわたしにスカウトが来た。
その工房の所在地こそが、今向かっているライカ村というわけだ。
聞いた話によると、その村は山と森に囲まれた小さな平原にあり、三十人いくかいかないぐらいの人が暮らしているらしい。そして、そのほとんどが農家さんなんだとか。
正直、都会や街中の工房で働いてみたかった気持ちが全くないと言えば、嘘になります。
華やかな都市部での生活には、正直憧れる。けれどそういった所の大きいお店には、優秀な人が雇われていくものだ。わたしみたいな落ちこぼれはお呼びじゃない。
それにどんな場所であれ、わたしなんかを雇ってくれた工房には感謝の気持ちでいっぱいだ。
それにほら、都会は家賃とか高いだろうし。その点、ライカ村の工房は、お店の二階に住まわせてくれるらしい。しかも無料で。ありがたいことこの上ない。
資料によると、工房の店主さんはベテランのおばあさんらしい。しかもなんと王立魔術学院の卒業生なんだとか。
王立魔術学院の錬金科といえば、知らない者はいないエリート校だ。といっても、この国で錬金術を学べる学校は、そこかヴェントレジアの二つしかないんだけど。
わたしのような落ちこぼれを雇ってくれて、しかもお店の二階まで貸してくれる店主さんには、精一杯働いて報いなくては。そしてあわよくば、仕事の合間に錬金術を教えてもらえたら、なんて思ったりもしている。
——あぁ。どうか、錬成に失敗してお店の器具を壊しちゃったりしませんように。そんなことをしてしまった日には、きっとクビだろうから。
「……はぁ~」
やっぱり、不安でしょうがない。こんなとき、隣にマリアン先生がいてくれたらなぁ。
い、いや。わたしはもう一人前なんだから。成人はまだでも、これからは大人と同然に扱われるんだから。泣き言を言ってちゃいけないよね。しっかりしなさい、わたし。
……なんて心の中で言ってみたところで、不安が紛れるなんてことはなかった。
実は、工房でのお仕事以外にもう一つ、不安なことがある。
それは、村での人間関係。
当然だけど、これから村に引っ越して暮らす以上、村の人たちとは良好な人間関係を築いていかないといけないよね。
そんなことが、わたしのような人間に果たしてうまくできるのだろうか。
思えばこれまでのわたしの人生って、他者と関わるということが極端に少なかった気がする。
幼い頃は身体が弱かったせいで、ずっと家のベッドにいたし。
元気に動けるようになったら、錬金科に入るために猛勉強の日々。そして学園に入ってからは、勉強とバイトに明け暮れた毎日だった。友達ができたことは一度もない。
それが悪いことだったとは思わない。けれど、もう少し多くの人と関わる経験を積んでおくべきだったかもしれないと、今さらながら思う。
あ、それだけ勉強してたのにどうして成績が悪かったのかっていうのはナシで。こ、これでも筆記の点数はいいほうだったんだよ?
それでも実技ができなきゃダメじゃないかと言われると……はい、言い訳のしようがありません。
とまぁそんな感じで、人と関わった経験が少ないこともあり、わたしは人付き合いが得意なほうではないのだ。
そんなわたしが寂しい思いをせずに学園生活を送れたのは、マリアン先生という聖母がいてくれたから。……あぁ、学園に帰りたくなってきた。
って、そんなこと言ってる場合じゃないよね。ここまでやってきた以上、もう新天地で頑張るしかないんだから。
初対面の人に会ったら、まずは笑顔ではきはきと挨拶。そして自分から自己紹介。それで大丈夫だって、マリアン先生も言ってたし。
ここで怖気づいていたら、何のために錬金術師になったんだって話だよね。
わたしには、夢があるんだ。だから頑張ろう。頑張るしかない。
ぱんぱんと左右の頬を叩き、自分に喝を入れる。よし、これで気合いが入った。
……ような気がしたのは、ほんの一瞬で。
やっぱりどうしても収まらない緊張を少しでも和らげるため、飴を舐めていたらいつの間にか村に到着していた。
マリアン先生がくれたイチゴ味の飴のビンは、いつの間にかすっかり空っぽになっていた。
馬車を降りると、ここまで送ってくれた御者さんにお礼を言い、わたしは歩き出す。
地面を足で踏みしめる感触が、なんだか新鮮に思える。足がふわふわするような感じがするのは、緊張のせいだろうか。
道の端には『この先 ライカ村→』と記された看板が立っており、その指し示す方向を見ると確かに村らしき場所が見える。
何軒かの建物がぽつりぽつりと建っており、大きな畑が広がっている。イメージ通りの、小さな農村だ。
うぅ、やっぱり緊張するよぉ。
頭の中には、考えようとしているわけでもないのに次々と嫌な想像が浮かび上がってくる。
実は先ほどの馬車は、この村の村長さんが直々に手配してくれたものだったりする。
どうしてそこまでしてくれたのかと言うと、ライカ村のような田舎では、錬金術師という存在は非常に貴重でありがたい存在として扱われるものだからだ。
それなのに、わたしが落ちこぼれなばっかりに、村の皆さんの期待に応えられなかったら……と思うと、胃がキリキリしてくる。
それに、お腹も痛くなってきた。いや、それは飴を食べ過ぎたせいかも?
だけど、だからってここでいつまでも立ち止まっていたら、それこそ待ってくれている皆さんに迷惑がかかっちゃうよね。それにここ、一応森の中だし。魔物とか出たら面倒だし。
というわけでわたしは、意を決して村の方へと再び歩みを進めるのだった。痛むお腹を抑えながら。
すると、なんと村の入り口付近でわたしのことを出迎えてくれる人影があった。
そこに立っていた中年ぐらいの男性は、しばらくわたしの顔を不思議そうに見つめたのちに、こう尋ねてくる。
「君、見ない顔だが……どうしたんだい? この村に何か用かね? それとも迷子になっちゃったのかな?」
心配するような声でそう話しかけてきた男性に、わたしは慌てて自己紹介をする。
「あっ、え、えっと、初めまして! わたし、錬金術師のエルライカ・アルトーと申します!」
そう言ってから、笑顔を作るのも忘れない。
自分から笑顔で挨拶。マリアン先生が教えてくれたことを、さっそく実践してみた。笑顔、うまくできてるかな?
「ああ、そうだったのか。失礼、話は聞いて……って、ええっ!? き、君がそうなのかい!?」
わたしの言葉を受け、にわかに驚愕の表情を浮かべる男性。
こうなる予想はしてたけど、やっぱりわたしって錬金術師に見えないんだろうか。
「は、はいっ。あっ、ちょっと待ってください」
わたしは慌てて、鞄から一枚のカードを取り出す。
鮮やかな薄水色のそのカードは、陽の光を受けてきらきらと微妙な光を放つ。そこに刻まれているのはわたしの名前と出身校、協会の紋章、そして『5』の数字。
等級認定証。大陸錬金術師協会が発行する、錬金術師の実力の証明書みたいなものだ。
このカードの色と数字が表すのは、錬金術師の実力の度合いを示す『等級』。
わたしは五等級。下から二番目のランクだが、一通りの基礎的な技術と、ある程度の応用的な技術が認められた等級であり、これが取れれば見習い卒業と言われているレベルだ。
一応、協会に認定された錬金術の学校を卒業すれば六等級が自動的にもらえる仕組みになっているが、五等級までなら正直、在学中でも勉強すれば取れてしまう。
そのため、よほどスケジュールに余裕がない人以外は、卒業前に五等級まで取ってしまうのが一般的だ。
レベルの高い就職・進学先を目指す人は、五年生になる前に五等級を、五年生で四等級を取ってしまったりすることもある。
きらりと光るそのカードを一目見ると、男性は「おぉ」と声を漏らし、それからわたしの方へと向き直った。
「さ、さっきは取り乱してしまってすまなかった。よくぞこの村へ参られた、歓迎するよアルトーさん」
男性は笑みをつくってそう言い、丁寧にお辞儀した。わたしも反射的に会釈を返す。
「若いとは聞いていたが、まさかこれほどまでだったとは」
「あはは……し、信じてもらえてよかったです」
「いや、疑ったわけじゃないんだ。ただ驚いてね。こんなに小さい子が来るとは。いやはや、世の中にはすごい子がいるもんだなぁ」
ち、小さい。
卒業前、『本当に錬金術師かどうか疑われたら、まず認定証を見せなさい』ってマリアン先生に言われたけど、もしかしてこうなるのを見越してのことだったり……?
い、いや、それはないよね。実際、錬金術師を名乗る人が本当にそうかどうかなんて、見た目じゃ分からないんだし。先生はわたしが同年代より小さいからじゃなくて、錬金術師としての一般常識を教えてくれただけだよね。うん、絶対にそうだ。
認定証を持っていなければ錬金術師を名乗れない……って法律はないけど、実際、求められたときにこれを見せられないとまず信用はされないのが世の中だ。
等級認定証には、錬金術でしか作れないオリハルコンという金属が使われており、その上、協会の上層部の人しか知らない方法で加工を施しているおかげで、偽造することはまずできない。
だからこそ、これを持つ錬金術師は一定の信用を得られる。
この微妙で美しい輝きこそ、誰にでも一目で分かる本物の証というわけだ。
「まだ十歳ぐらいだろう? 立派だなぁ、そんなに幼いうちから学校を卒業して働きに出るだなんて」
「じゅ、十歳……あの、わたし、十三歳なんですけど……」
「……えっ? そ……それは……本当、かい?」
おっと。なんてことだ。おじさんがさっきよりもさらに驚いた顔をしたぞ。
「あっ……い、いや、すまない、また疑うようなことを言ってしまって。そうか、君はうちの娘と同い年だったのか。またまた失礼したね」
幼い子供を宥めるような声で、おじさんはそう言った。わたしが落ち込んでいるのが顔に出てしまっていたのだろうか。
いい人……なんだろうけど、その態度は余計にショックです。
「そ、そうだ、まだ私の自己紹介をしていなかったね。私はこの村の村長、コストという」
よろしく、と言ってきたおじさん——村長さんに、わたしは慌ててお辞儀と「よろしくお願いします」を返す。
この人、村長さんだったんだ。だからわたしのことをずっとここで待っていてくれたんだね。
意外と若いなぁ。“村長”ってもっとご年配のイメージがあったけど。
「こんな辺境の村まで来てくれて、本当にありがとう。感謝するよ」
「い、いえ、そんな。こちらこそ、わたしのような者を受け入れてくださって、感謝です」
「はは。君のような立派な若者が、そんなに謙遜してはいけないよ。こんな小さな村だがどうぞよろしく、アルトーさん」
うぅ、わたし、そんなに立派じゃないです。むしろ立派とは真逆の存在です。
なんだか、わたしなんかがここに来たのが申し訳なく思えてきた。
で、でも。村長さんが優しそうな人でよかった。村で一番立場が上の人となれば、何かと関わることも多いだろうからね。
懸念していた要素の一つがすっと消えていくのに安心しつつ、わたしは村長さんに促されて村の中へと入っていった。
村長さんのあとを黙ってついていくと、やがて一軒の家の前へとたどり着く。
表札には「コスト」の文字が記されていた。そうか、ここは村長さんの家なんだ。
「申し訳ない、アルトーさん。本当なら、村長が責任を持って村の中を案内するべきなんだろうが、実はこの後、私は手が離せない用があってね。案内をしてあげられないんだ」
「い、いえいえ、そんなの全然大丈夫ですよ!」
「代わりに、ここからは私の娘に案内を任せても構わないかね?」
「はい、もちろんです! むしろ、ご丁寧に村の案内までしてもらえるなんて、こっちが悪いぐらいです……!」
わたしがそう言うと、村長さんは笑って「君はとても礼儀正しくていい子だね」と言った。
そ、そうかな? これぐらい、普通だと思うけど。
にしても、村長さんの娘さんかぁ。確かさっき、わたしと同い年って言ってたよね。
学園の同級生はみんな年上だったし、後輩ですら年上が多かったから、同い年の子と接するのは新鮮だ。
どんな子なんだろう。仲良くなれるかな? 気さくで優しい村長さんの娘さんなら、きっといい子なんだろうなぁ。
なんてことをわたしが考えている横で、村長さんは家の戸を開き、その隙間から少し顔を覗かせながら、娘さんのものらしき名前を呼んだ。
するとほどなくして、こちらに足音が近づいてくる。
つ、ついにご対面か。どきどき。
玄関先にやってきた女の子を指し示しながら、村長さんはわたしの方に向き直って言う。
「紹介するよ。私の娘のクローシアだ。さっきも言った通り、君と同い年だよ」
クローシア。そんな珍しい名前をした彼女は、一言で言い表すならとっても可愛い女の子だった。
亜麻色とクルミ色の中間ぐらいの色合いをした髪の毛はウェーブがかっていて、白いリボンで上品に結ばれている。
エメラルド色の瞳は鋭く尖っており、正直言ってものすごくタイプだ。お人形さんなんじゃないかと思ってしまうぐらいに可愛い。それはもう、すごく。
……なんだけど。
この子、本当にわたしと同い年?
というのもこの子、ものすごく小さいのだ。小柄なわたしですら見下ろせてしまうぐらい。
わたしがこんなことを言うのもなんだけど、顔立ちも幼いし、言われなければ何の疑いもなく、十歳程度だと思ってしまいそう。
そんな幼さも相まって、ものすごくかわいい。まるで天使みたいだなぁ。
なんて思っていると、クローシアさんがふいに口を開く。
「こんな小さいのが、学園を卒業した錬金術師なの?」
「…………えっ?」
「それにあんた、本当にあたしと同い年?」
えっ? い、今この子、何て言った?
衝撃のあまり、わたしは思わずフリーズしてしまう。見た目の可愛さから抱いていた先入観が、一瞬にして崩れ去った。
小動物みたいで愛くるしい美少女の口から、まさかこんなぶっきらぼうな言葉が出るなんて。
「こ、こら、クローシア!」
慌てた様子で、彼女の父である村長さんが声を荒げる。
「すまないね。うちの娘は世間知らずな所があって、失礼な態度を……全く、娘にも君のことを見習ってほしいぐらいだよ」
娘に代わり、村長さんが申し訳なさそうに謝ってきた。
「やっぱり、案内は私がした方が……」
「い、いえ! 全然大丈夫です! その……わたし、学園に同い年の子がほとんどいなくて。だから、その、クローシアさんとお話ししてみたいなぁって……」
わたしがそう告げると、村長さんは少し案ずるような態度を見せつつも、「それなら」と頷く。
「クローシア。アルトーさんはお前と同い年でありながら、努力を重ねて錬金術師になった立派な方なんだ。そんな方に失礼なことを言ってはいけないよ」
「はぁ、分かった分かった」
クローシアさんは村長さんの小言に鬱陶しそうに頷くと、わたしの手を引いて歩き出した。
「しょうがないわね。さ、行くからさっさとついてきなさい」
「は、はいっ……! よろしくお願いします!」
「クローシア! お前、本当に分かっているのか!?」
村長さんの家を離れていくわたしたちの背後から、そんな声が飛んできた。
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