第6話 柘榴

「神官さん!」

 ラーリの声が、二人を裂く。

 神官とカミラの注意がこちらに向くと、彼女は重い空気をよけるようにせき払いして、

「果物を一つください」

 青銅の器に人差し指を向けた。


 供物の中でこうと輝いていたのは、丸みを帯びた果物。柘榴ざくろだった。

 

 神官は顔をしかめた。

「本来、捧げものは神のものです。ですが、謎を解いてくださったお礼だ。一つくらいなら天もお許しくださるでしょう」


「あなた……まさか」

 カミラの声が震えはじめる。

 次の言葉を待つように、はくを超える推理テクを怖れるように生唾を飲み込む。

 お嬢は一歩退いた。


 そのラーリ。

 彼女は飴色の瞳を妖しくまたたかせると、不敵な笑み。

(ぐふふ)

 表情には、何者も寄せ付けない凄みがあった。頭の動きに合わせて、両目の光彩が残像を引く。

 彼女は熟れた果実をひっ掴むと、


「お腹がすいたので、食べます」

 素直に言った。

 カミラがずっこけた。





 柘榴ざくろは、手のひらほどの大きさで、実の詰まった程よい重さがあった。

 表面にところどころ薄茶色の斑点が浮かぶ。


 ラーリは親指を果実の頂点に当て、力を込めて押し込んだ。パキリと小さな音がして、硬い外皮にひびが入る。そのひびに沿って、両手でこわごわと実を割ると──

 ルビーのように輝く果肉が、薄い膜で仕切られた部屋の中に整然と並んでいた。


 一粒つまんで口に放り込む。

 甘酸っぱい果汁が舌の上で弾けた。


 ラーリは大口を開けて、美味しそうにかぶりついた。

 

 ラーリは食べる。

 また食べる。

 黙々と食べる。


 放っておくと供物の小山ごと平らげそうな染料師に、お嬢が血管を浮かせた。

「いつまで食べていらっしゃるの? 庶民の辞書にお行儀という言葉はないのかしら」

「お嬢様もいります? 甘いですよ」

 ラーリが種を吐き出しながら言った。

「だーれが貧相な職人から施しを受けますの!」

 カミラの怒声が響く中、甘い匂いに誘われた小鳥たちが、ラーリの肩や頭に集まって来るのだった。





「さて」

 ラーリは腰を上げた。

「なんとも不思議な話ですが、世の中には、元の色をすっかり変えてしまう、魔法の果物があります」

 うるむ唇。わくな瞳。

 ラーリは呪術の前口上のように言葉をつむぎ、依頼人の神官、カミラ、それにつきの面々が見える位置に、食べ終わった果皮かひを掲げた。


 彼女は神像に寄ると、ぽたぽたと落ちる涙をすくい、柘榴ざくろの皮に注いで、折り畳んで揉む。

 そして開く。

 彼女が皮の中を確かめて、再びたたんで、馴染なじませるように揉んだ。


 ラーリが満足した表情で果皮の中を見ると、


 柘榴ざくろふちに、青黒い液体がどろりと作られていた。


「やっぱりですか」

「やっぱり?」

 ラーリが頷き、話についていけないカミラがおう返しをする。


 ギャラリーに向かって、ラーリは楽しそうに尋ねた。

「この濃い染料、どこかで見ませんでしたか?」

 返答はない。

「ヒントはギルド会館ですよ?」

 ラーリはチッチと指を左右に振ってみせる。


 田舎娘の教師っぽい喋り方に、むかつきを覚えながらカミラが考えた。

 ギルド会館にあるものといえば──


(受付にいる耄碌もうろくの老人。掲示板。モザイク画の床。自分の鑑定劇……)

「わかったわ! 千客万来の神聖なるわたくしの宝石鑑定で、前々回に鑑定した黒い宝石の──」

「違います」

 ラーリはお嬢の返答を即座に否定した。

 お嬢の目が吊り上がった。


わかりました! インクですね!」

 仕事仲間の一人が叫ぶ。

「掲示板の指示書の文字は、確かこんな色でした」

「その通りです!」

 ラーリは首を縦に振る。

「インクは普通、炭に油を練って作ります。でも、インクの作り方は一つだけじゃありません。あるもの・・・・を足すと、果物からも濃い染料が生まれます」


 ラーリは黒々とした液体に指を浸すと、手のひらに何かを描いてみせる。歪んだ線。犬のような猫のような、変な動物が現れた。

「何それ。……怖いわ」

「鳥ですよ!」

 ラーリがプンスカと床を蹴った。

 描かれたのは、鳥が鉱石を咥えた絵だった。


 気を取り直して彼女は続ける。

「あるもの。それは、口紅の原料でもある鉄鉱石てっこうせきです」

「鉄鉱石!」

 染料師なら知らぬ者はいない鉱石の名前を叫び、カミラが納得したとばかり手をポンと叩いた。


 果物に含まれるしぶの成分タンニン。タンニンは鉄鉱石と反応して青黒い染料になる。


「ラーリ、あなたの言いたいことが解ったわ。つまり、神像の涙は血なんかじゃなく、〝てつび〟だと言いたいんでしょう? でもこの像は岩を切り出して作られているハズよ。どこにも鉄鉱石が混じるすきがないわよ」

 カミラが神像の表面を撫でた。像の表面は白く、少しも赤っぽくはない。


「隙がなければ、作ればいいんですよ」

 ラーリの口角が上がった。


「豪華絢爛けんらんな石像は表向き。像の腹には鉄鉱石を含む、安物の土壌が詰まっているはずですよ。

 そもそも、この話は初めからおかしい」

 場の空気が変わる。


 ラーリは目の前の神官を一瞥いちべつし、苦笑して告げた。

「血の涙? 天からの災い? なら、お仲間の神官に問うのが筋です。それでも解決しなければ、普通は石工に尋ねるでしょう。

 あなた方は、わたしたち染料師を呼びつけた。高額賞金を付けて。

 まるでエジプト一の染料師であるわたしに挑もうとしているかのようです」

「エジプト一はわたくしよっ!」

 ラーリの陰でお嬢が吠えた。


「不審点は他にもあります」

 ラーリは続けた。

「知らないとでも思っているんですか? 神職に就く者は、ひげって身を清め、素足で神殿の床を踏むものです。あなた方の身だしなみには、神への敬虔けいけんさがまったく感じられません! 本物の神官はどこですか!」

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