第2話 岩塩

「あのド田舎染料師はどこで何をしていますの。百は数え終わりましたわよ」

 カミラは腕を組み、指でリズムを刻んでいた。会館の出入り口を睨むが戻って来る人影はなく、仕方がないのでラーリの荷物持ちへ視線をやる。


 えへへ。


 蒼い瞳に見つめられ、荷物持ちは口元を緩めて恥ずかしそうに笑った。だが、お嬢の機嫌が斜めのままだと悟り、彼は表情を戻して口をすぼめた。


 カミラが二百を数え終わる頃。

 会館へ駆けてくる元気のいい足音が聞こえてきた。その音は徐々に大きくなり、

「皆さん、お待たせです!」

 褐色少女のはきはきした声が静寂を破る。


「遅いですわ! あと五つ数えていたら、あなたはギルド会館の敷居も跨げなかったでしょう」

「行きつけの香辛料屋が品切れだったのです。隣の街区まで足を延ばしました」

 ラーリは麻布にくるまれた塊を持ち上げ、ざわつく群衆に向けてドヤッとばかり見せつけた。


「あなた、それ……」

「岩塩です」

 彼女は布を取った。こぶし大の塩の塊が、薄桃色を湛えながら光沢を放っている。


「岩塩なのは見ればわかりますわ。わたくしは、琥珀が本物かどうかを問うていますの。羊肉を塩でいただくか、タレでいただくかの話はしていません」

 カミラは腰に手を当て、偉ぶって鼻を鳴らした。


 小柄の染料師はまたも不思議そうに首を傾げる。

 カミラはだんだんとかんしゃくがたまってきた。瞼の端が吊り上がり気味だ。足は一定のリズムで床を打つ。


 やがて、興味をなくしたと言いたげに、

「皆さま、もう十分でしょう。こんな、どこの馬の骨かも知れない、エセ染料師にかまけるのはよしましょう。カリクレス様。お手を煩わせました。琥珀はこのわたくしカミラが本物と、自信を持って保証いたしますわ!」

 依頼主を建物の出口まで案内しようとする。


 背中を押された貴族は額に汗を滲ませた。後ろ髪を引かれるのか、ちらと隣の染料師に視線を向ける。

「何ですの? カリクレス様までが貧相な女にうつつを抜かして……」

 そこまで言って、何かを察したカミラが、ゆっくりと首を回した。


 彼女の視線の先には──


 優勝した競技選手さながらに、岩塩を頭の上で高々と掲げ、今にも自分に投げつけんとする自信満々の染料師がいた。


「いっきますよー! せーの──」

「ちょっ……ま、キャッ!」


 ごんっ。


 咄嗟にカミラは、少女らしい声を出して手で顔を覆ってしまった。

 鈍い音はしたが、痛くはない。

 彼女が恐る恐る半眼で見ると、

 ラーリは岩塩を、その包みごと投げつけていた──床に。


「どうしたんです? サソリでもいましたか?」

「あ、あなたねえ! 床で砕くならそう言いなさい! まったく、これだからマナーのない田舎者は……」

 何かを勘違いしたお嬢が、耳まで赤くして吠えた。

 ラーリは気にする素振りもない。


 彼女は荷物持ちに礼を言うと、壺や編み籠をかきわけ、石製の小鉢を探り当てた。岩塩の破片を中に入れ、

 ──ガッ!

 小鉢から岩塩を砕く音が響く。

 砕く音は、やがてすり潰す音へと変化した。


 お嬢は慎重に横歩きして、ラーリの仕草を上から眺めた。

「……」

「お嬢様。何もすることがなくて暇ですか? でしたら、お嬢様はわたしの代わりに砕いてください。わたしは次の作業に移りますので」

「んなっ……! あなた、このわたくしに命令するつもり? あなたなんかお父様に頼んで、今すぐ職人街から──」


「依頼主様の宝石鑑定をするんでしょう? いいですか? 鑑定には決して過誤があってはならない。ここは染料師の集うギルドなんですよね。間違えば王宮からの信用はなくなりますよ。そうなれば、首切りはわたしだけじゃ済みません。ここは意地を張るところじゃないでしょう」

 ラーリのもっともな意見に、職人たちが肯き始めた。


「それとも──」

 ラーリは顔を上げ、ちょっと意地悪そうに、でも楽し気な声色で、

「これが終わったら井戸で水を汲むつもりなんですが、そっちがいいですか? 重いですよ? いやあ、惜しいなあ。〝カミラ様〟の一流の乳鉢使いを見れないなんて」


「……」

 そして、カミラは無言のまま群衆を見て、職人たちのキラキラした瞳が自分に向けられているのを知ると、

「……ふんっ! 今回だけよ。エジプト一の染料師のわたくしが、すり潰し方のお手本を見せて上げます」

 ラーリから乳鉢を奪い取った。



 ♢ ♢ ♢



 太陽が少し傾いたアレクサンドリアに、和やかな潮風が流れていく。

 だだっ広い地中海は波の音と共に煌めき、白石で舗装された道路と、赤屋根の街の上をカモメがのんびりと飛んでいた。


 ラーリは、会館の目と鼻の先にある井戸から水を汲み上げ、底の丸い木製容器に半分ほど注いだ。

 容器を抱えて会館に戻る。

 彼女が顔を上げると、すでに塩を完璧なまでに粉にしたカミラが、鼻息を荒らげて立っていた。


 ラーリは面白そうにクスッと笑うと、

「ありがとうございます。水の準備ができたので、塩を投入してください」

「塩水を作るのね」

 ラーリは会館の玄関付近に腰を下ろし、ばしゃばしゃと手で水と塩をかき混ぜた。


 何かが始まりそうな予感に、職人たちは一人、また一人とラーリの元へ集まってくる。


「俺、混ぜます」

 誰かが言った。

「私もやるわ」「僕も」「俺が先だ」

 わらわらとラーリの元へ来て、職人たちは芋の子を洗うようにかき混ぜ始めた。


 ラーリが声を張って問う。

「皆さんの中に、ガラス製の装飾品を身に付けている方はいらっしゃいませんか? 小さいので構いません」

「私、持ってるわ」

 女が進み出て、首に下げた緑黄色のネックレスを渡した。


「何をする気?」

「よく見ていてください」

 お嬢の問いにラーリが答える。彼女は腕をまくり、依頼人の貴族、カミラ、それに人々がよく見える位置に宝飾品を掲げた。


 ラーリは何の迷いもなく、ネックレスをじゃぼんと塩水に沈ませる。

 ネックレスは泡を出して容器に沈み、浮いてこない。

 そして──、やっぱり浮いてこない。





「分かったぞ!」

 依頼者の貴族が割って入った。

「浮くか浮かないかで、テストをするんだな! 確かに、軽い宝石もあれば重い宝石もある! 実に面白い着眼点だ! 琥珀は塩水に浮くのですか? どうなんですか、カミラ様!」


 鼻息荒くにじり寄られたカミラは汗を垂らし、若干の間を空け、ぎこちなく言う。

「と、当然……、浮くときは浮き、沈むときは沈むのですわ」


 ラーリはやれやれと吐息し、

「浮きます」

 正しい受け答えをした。

 カミラの目がまん丸になった。





 ラーリは依頼主の宝飾品を光に透かす。

「どれも同じ見た目、同じ形なんですね」

「最近じゃニセモノのアミュレットが多いと聞いてね。鑑定士に依頼すると銭が飛んでいくだろう。しかも、鑑定士が宝石店と共謀して荒稼ぎするなんて噂も聞く」


「なるほどです。だから染料師の集うこのギルドに来たってわけですか。近頃はガラスの値段も下がってきましたからね。疑うのも無理ないです」

 窓から射し込む光が、蜂蜜のごとく透けるアミュレットを美しく照らしていく。彼女が指の角度を変えるたびに、光っては淀み、また光っては静かにかげるコガネムシ形の石。


「まあ、透け方からして、いかにもニセ……」

 半笑いで言いかけて、ラーリは自制するように口をつぐんだ。

「……感想なら染料師じゃなくたって言える。職人がすべきことは証明です!」

 ラーリは手を離す。

 三つの宝飾品はキラリと光って容器に落ち、水しぶきを上げた。

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