第23話 決戦前夜と、ふたつのしるし

「――聴いてください! 私たちの歌を!」


私がマイクを通して叫んだあの瞬間から、リハーサル会場の空気は一変した。


私たちのパフォーマンスは、それまでのどの練習よりも力強く、一体感に満ちていた。その気迫は、他の出演者やスタッフたちにも確かに伝わったようだった。


リハーサルが終わると、あちこちからヒソヒソと声が聞こえてきた。


「おい、見たか? Stella Maris……」

「ああ。七瀬って子、ただの新人じゃないな。完全に場の空気を支配してた」

「ECLIPSEの二人を従えてたぞ。優勝候補、本命かもな」


ステージ袖で、NEMESISの黒月零司が、私を値踏みするような目で見ながら、不敵に笑った。


「……フン、少しは面白くなってきたじゃねえか」


姫宮サリナさんもまた、まっすぐに私を見つめ、「ますます負けられないじゃん」と、静かに闘志を燃やしていた。


ライバルたちが、私を、私たちのユニットを、真の好敵手として認めてくれた。その事実が、私の心を奮い立たせた。





そして、サマフェス本番の前夜。


私たちは、奏くんのスタジオで、最後の確認作業を終えた。


やるべきことは、すべてやった。あとは、明日、この身に宿した全てを、ステージに捧げるだけ。


スタジオには、心地よい緊張感と、嵐の前の静けさが流れていた。


「なんだか、あっという間だったね」


床に座り込み、朝陽くんが天井を見上げながら言った。


「美空ちゃん、最初は学校を間違えたって、屋上でメソメソ泣いてたのにさ」


「う……そ、それは言わないでください……」


「フン。だが、お前が初めて歌うのを聴いた時、鳥肌が立ったのは覚えてる」


奏くんが、壁に寄りかかったまま、ぽつりと言った。


二人の言葉に、これまでの全てが、走馬灯のように蘇る。


分厚いメガネの奥で、ただ憧れのアイドルを追いかけるだけだった私。そんな私を見つけ出し、光の中へと引っ張り出してくれた、二人の王子様。


「朝陽くん、奏くん……」


私は、二人に向かって、深々と頭を下げた。


「お二人がいなかったら、今の私はいません。本当に、本当に、ありがとうございます」





スタジオからの帰り道。


夏の夜の、少しだけ湿った空気が、私たちの肌を撫でていく。


寮まであと少しというところで、朝陽くんが私の前に回り込み、真剣な瞳で私を見つめた。


「ねえ、美空ちゃん」


「は、はい」


「明日の約束、忘れないでね。俺、本気だから」


その言葉に、昨日の夜の、彼の告白予告が蘇る。心臓が、ドキリと大きく音を立てた。私は、彼のまっすぐな視線から逃れるように、でも、確かに頷いた。


そのやり取りを、奏くんは、少しだけ離れた場所から、黙って見ていた。その表情は、嫉妬とも、諦めともつかない、複雑な色を浮かべている。


私の寮の、すぐ目の前。別れの時。


それまで黙っていた奏くんが、おもむろに私に近づいてきた。


「おい」


「は、はいっ!」


彼は、何も言わなかった。ただ、私の手を取り、その手のひらに、固くて、小さな何かを握らせた。

見ると、それは、彼がいつも使っている、黒いギターピックだった。星のマークが刻印されている、彼のトレードマーク。


「え……こ、これ……」


「……別に、深い意味はない。お守りだ」


奏くんは、そっぽを向きながら、早口で言った。


「俺の魂、お前に預ける。だから……最高のステージにしてこい」


そう言い終えると、彼は私の返事も聞かずに、すぐに背を向けて歩き去ってしまった。


朝陽くんは、その光景を、少し驚いたように、そして、何かを全て察したかのように、静かに見つめていた。


私の右手には、朝陽くんとの、未来への甘い約束。

左手には、奏くんからの、不器用で、でも何よりも熱い、魂のしるし。


二つの、あまりに大きすぎる想い。


寮の部屋に戻っても、眠れるはずがなかった。

窓の外には、綺麗な月が出ていた。スマホを開くと、憧れの瑠愛ちゃんのSNSが更新されている。


『明日は、未来の星たちが生まれる瞬間を見届けに行きます。楽しみ』


その言葉が、私の胸に重く、そして温かく響いた。

恋の行方も、夢の行方も、全ては、明日のステージで決まる。


私は、右手の約束と、左手の魂を、ぎゅっと握りしめた。






決戦の日の朝。


目覚めた私の心は、不思議なくらい、澄み切っていた。


楽屋の鏡に映る自分を見つめる。もう、そこに迷いはない。


「奏くん、朝陽くん。見ててください」


「私の、私たちの、最高のステージを」


舞台袖へ向かう。


廊下の向こうから、ライバルたちの気配と、地鳴りのような観客の歓声が聞こえてくる。


夏の太陽が、まるで私の新たな門出を祝福しているかのように、眩しく輝いていた。

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