vol.18 群れの最期と、その先へ

 Hexaelカンパニー編第10話は、八重社長の不在から立ち直れない組織に、ヴェスパ・グローバルのCOO・香坂玲蘭が来訪し、M&Aの提案が置かれるところから始まります。

 短い猶予と試行錯誤ののち、会社は吸収合併を受け入れ、秋庭梨沙は退職という選択をします。

 “ヘクサエルという群れ”の終章。その出来事を、ミツバチの生態と重ねながら見通していきます。


◆ 群れが終わるとき――崩壊というかたち

 第10話では物語上の脚色として“M&A=吸収”を用いましたが、実際のミツバチ社会では、他群への「移籍」や「吸収」などは基本的に起こりません。とりわけスズメバチ(Vespa)の襲来を受け、防衛に失敗した群は、巣門突破から短時間で成蜂が次々と失われ、幼虫・蛹は持ち去られ、最終的に群全体が淘汰されて消滅します。それは“収束”ではなく、群としての死です。

 したがって、ヘクサエルのヴェスパ傘下入りという展開は、自然界の厳しい結末(群の消滅)を物語的に置き換えた比喩です。現実の蜂の巣で起きるのは「形を変えて生き延びる」ではなく、「羽音そのものが途絶える」。企業の世界におけるM&Aは生存のための制度的な回路ですが、ミツバチの生態の現場では、敗北はその群の終焉を意味します。

 この乖離を明示したうえで読むと、第10話は「組織としての死」を直視しつつ、人に残る基準や所作だけが次の場へ受け渡されていくというテーマが、よりくっきり浮かび上がります。


◆ 巣を出る蜂――分かれてなお続く羽音(修正版)

 物語では、秋庭の退職が“分蜂”――つまり新たな巣へ飛び立つ行為として描かれました。けれど、ミツバチの現実世界では、ヘクサエルのように女王を失い、スズメバチ(ヴェスパ)に襲われた群には、もう次の巣をつくる力は残されていません。群れが外敵に敗れたとき、働き蜂たちは巣と運命を共にします。逃げ延びる個体があっても、再び群として再生することはない。つまり、群の滅亡=死です。

 秋庭の退職、そしてすでにヴェスパに吸収された「ネクターリンク」の黒瀬も、実際の蜂の社会では“生き延びた者”ではなく、“群れと共に命を終えた者”として描くのが正確です。彼女たちは比喩の中で人間として歩き出したように見えても、ミツバチの現実ではその瞬間に羽音が途絶えている。

 だからこそ、この章の“退職”という演出は、死を人間社会の言葉に置き換えたものでした。

 群れとしての終わりを、人の世界の希望に置き換えることで、彼女たちの営みを少しでも永く伝えようとした――この章には、そんな願いが込められています。


◆ 捕食者の論理と生態系の秩序

 スズメバチは、ただ恐ろしい存在ではありません。昆虫界の頂点に立つ捕食者として、生態系の秩序を整える役割を担っています。弱った群れを淘汰し、環境のバランスを保つ。彼女たちは「壊す者」であると同時に、「整える者」でもあるのです。

 香坂が見せたのも、その二面性でした。ヴェスパのやり方は冷たく見えても、混乱した市場を立て直し、群れの命を別のかたちでつなぐという“再配置の力”を持っていました。秋庭が最後に感じた温かさは、その矛盾を抱えた現実の温度です。

 生態系に善悪という尺度が通じないように、組織の世界にもまた、“必要な捕食”があります。スズメバチは、恐れられながらも、命の循環を守る存在。怖いほどに美しく、残酷なほどに正確なその行動は、自然が選んだ最も合理的な秩序のかたちなのです。


◆ 受け継ぐもの――“羽音の言語化”で終章を超える

 蓮見めるの言葉――「終わる群もあります。でも、次の季節に強い群が残る」――は、物語の中では希望として語られました。けれど現実のミツバチの世界で「終わる群」とは、静かな“死”を意味します。女王を失い、蜜源を絶たれた群れは、やがて羽音を止め、自然の循環へ還っていきます。

 それでも、その死は無駄ではありません。蜜や巣の跡が、次の花や命を育てる。残された蜂たちの行動が、次の群れの知恵として刻まれる。ミツバチは、死の中にも未来を残す生き物なのです。

 ミツバチの祖先が地上に現れたのは、恐竜がまだ歩いていた白亜紀の頃。

 その姿は今のように柔らかな金の毛をまとってはおらず、むしろ獰猛な狩人に近かった。

 やがて花が咲き、香りが満ちる時代が訪れると、彼女たちは蜜を選び、丸みを帯び、羽音を優しく変えていった。

 幾千万年の時間を経て生まれたそのフォルムは、花との約束の証。

 ミツバチは進化の果てに、いのちを繋ぐ最も柔らかな形を選んだのです。

 ヘクサエルの終焉もまた、その連鎖のひとつでした。秋庭や花守たちが八重の基準を胸に別の場所で働く姿は、まるで古い巣から新しい花畑へと散っていく働き蜂のよう。群れは消えても、仕事の姿勢や、誰かを思う手つき、判断の温度――それらが“羽音の言語”として受け継がれていきます。

 ミツバチは太古の昔、恐竜の時代から氷期を越え、幾度もの環境の変化をくぐり抜けてきました。その小さな羽音は、命をつなぐリズムそのもの。

 人の社会も同じです。組織が変わっても、理念が潰えても、そこに生きた人の誠実さがあれば、またどこかで花が咲く。

 ヘクサエルの終わりも、“滅び”ではなく、“継承”のひとつのかたちでした。


◆ 総括――羽音は、働くという祈りのかたち

 ここまで「六角ラボ」を読んできたあなたは、きっと気づいたはずです。

 これは、単なるミツバチの生態の解説ではありません。働くという営みの中に、自然が宿してきた秩序とやさしさを見出すための“鏡”でした。

 巣を守る蜂たちの動き――それは人の職場にも似ています。

 基準を保つ者がいれば、育てる者がいて、支える者がいる。誰かが前に出れば、誰かが静かに風を送る。その連携の中で群れは生き、仕事は意味を持つようになります。

 ミツバチの社会は、効率ではなく循環でできています。花から蜜をもらい、巣で命をつなぎ、また花へ返す。

 その一連の流れのどこにも“無駄”はなく、すべてが次の命を支える構造になっている。

 人の仕事も本来、そうあるべきなのかもしれません。数字のために働くのではなく、誰かの暮らしを少しでも甘く、あたたかくするために働く。その積み重ねが、社会という大きな巣を支えているのです。

 その視点を取り戻すことが、忙しさに追われがちな現代の「はたらく」を、少しだけ優しくするはずです。


 八重梓という女王が象徴したのは、「命をつなぐ秩序」。

 秋庭梨沙が貫いたのは、「揺るがぬ基準」。

 花守柚葉が守ったのは、「群れの温度」。

 そして、蓮見めるたちが気づかせてくれたのは――働くことが、祈ることに似ているという真実でした。


 ミツバチの羽音は、太古から一度も絶えたことがありません。

 どんな嵐のあとでも、彼女たちは巣を整え、また飛び立つ。そのリズムを人の社会に重ねることで、私たちは“仕事”の中に“いのち”を見ることができる。


 六角ラボはここで終わります。

 けれど、蜂たちの羽音のように――

 静かに、確かに、あなたの働く場所のどこかで、

 この物語の続きは息づいていくのです。



◆ 羽音の終わり、はじまり

 看板は降りても、基準は歩く。

 群れは解けても、羽音は残る。

 終わりの風に、次の巣の匂いがまじる。

 あなたの手の温度が、ここからの巣を温める。


――六角ラボ 完。

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