第二話 四大基底による魔法空間の完全記述

 翌日、シオンは昨日の魔法陣対角化で得られた知見を基に、さらなる解析を進めていた。


 空き教室の黒板には、前日よりもさらに複雑な数式が書き連ねられている。今度は魔法陣の解析から一歩進んで、この世界の魔法の根幹を成す「属性」について数学的に解明しようとしていた。


 この世界では一般的に、魔法は火・水・土・風の四大属性、そして光・闇の上位属性に分類される。だが、シオンには疑問があった。


(何故この六つなのか。そして、何故この分類に意味があるのか)


 前世の知識から考えれば、これらの属性は恐らく、この世界の魔法現象を人為的に分類したものに過ぎない。真の魔法の基底は、もっと根本的な何かのはずだ。


 シオンが取り組んでいるのは、魔法空間の基底変換である。


 まず、シオンは各属性の魔法を数学的に表現することから始めた。火の魔法を f→、水の魔法を w→、土の魔法を e→、風の魔法を a→として、それぞれをベクトル空間の要素として捉える。


 一般的に、魔導師が使う魔法は、これらの属性ベクトルの線形結合で表現される。例えば、ある魔導師の魔法 M →は、


 M→= αf→+ βw→+ γe→+ δa→


 という形で表すことができる。ここで α, β, γ, δ は各属性への親和度を示す係数だ。


 だが、シオンが疑問に思うのは、何故この四つの属性ベクトルが基底として選ばれているのかということだ。


 数学的に言えば、ベクトル空間の基底は無数に存在する。現在の四大属性による基底は、単に歴史的・文化的に選ばれたものに過ぎないのではないか。


 そこでシオンが行ったのは、実際の魔法現象の徹底的なデータ収集だった。


 学院の図書館で過去の魔法実験記録を調べ、様々な魔導師が使った魔法の効果を数値化していく。魔法の威力、消費魔力、発動時間、安定性、影響範囲、持続時間など、あらゆるパラメータを収集し、巨大な行列を作成した。


 この膨大なデータセットに対して、シオンは行列の特異値分解(SVD)を適用した。特異値分解は、データの中に隠れている本質的な構造を見つけ出す強力な手法だ。


 数日間にわたる計算の結果、シオンは驚くべき発見をした。


 実際の魔法現象は、従来の六つの属性ではなく、全く異なる四つの基底によって完全に説明できることが判明したのだ。


 第一基底は「エネルギー生成・操作」。これは物質や空間から魔力エネルギーを抽出し、変換、貯蔵、放出する能力を表す軸だった。従来の火(熱生成)、雷(電気生成)、光(光子生成)、治癒(生命エネルギー生成)などの魔法は、すべてこの基底の異なる発現形態に過ぎなかった。


 第二基底は「物質変性・再構築」。物質の原子・分子レベルでの結合や配列を操作し、その形態や性質を変化させる能力を表す軸だ。

 従来の土(物質生成・操作)、水(氷結・蒸発)、金属(金属生成・操作)、錬金術的な魔法は、この基底に属していた。


 第三基底は「空間歪曲・接続」。物理空間の構造自体を操作し、距離、位置、次元を変化させる能力を表す軸だった。

 転移(ワープ)、結界(空間隔離)、重力操作、幻影魔法(空間の歪みで光を操作)などがここに分類される。


 そして第四基底は「因果律操作・確率制御」。事象の発生確率や因果関係に影響を与える、最も高次の概念だった。

 運命操作、未来視、幸運・不運の制御といった伝説級の魔法がこの基底に属している。


 従来の火の魔法は、実際には「高エネルギー生成・低物質変性・微小空間歪曲・無因果操作」の組み合わせに過ぎない。水の魔法は「中エネルギー生成・高物質変性・微小空間歪曲・無因果操作」だ。


 つまり、この世界の魔導師たちは、本質的な四つの軸を理解せずに、表面的な現象を六つの属性に分類して満足していたのだ。


「これは......完全に新しい魔法理論だ」


 シオンは思わず呟いた。この発見により、魔法の効率は劇的に向上するはずだ。


 例えば、従来の火の魔法で「高い破壊力を持ちながら物質も変化させたい」という場合、魔導師は火と土の複合魔法を使おうとする。


 だが、それは本質的に異なる基底の組み合わせを、間違った理解のもとで混ぜ合わせているようなものだ。


 しかし、真の基底を理解していれば、「高エネルギー生成・高物質変性・微小空間歪曲・無因果操作」という魔法を直接設計できる。これは従来の分類では不可能とされていた特性の組み合わせだ。


 シオンは早速、この新しい四次元基底を用いた魔法の設計に取り掛かった。


 実験台として選んだのは、最も基本的な攻撃魔法である「ファイアボール」だ。


 従来のファイアボールは、火属性の魔法陣を使い、魔力を火の属性に変換して投射する。

 だが、シオンの新理論では、これを四次元ベクトル (0.8, 0.1, 0.05, 0.0) として設計する。エネルギー生成に80%、物質変性に10%、空間歪曲に5%、因果操作に0%の配分だ。


 新しい魔法陣を黒板に描き、四次元基底での計算を進めていく。各基底の固有値と固有ベクトルを求め、最適な魔力配分を算出する。


 理論上、この魔法は従来のファイアボールと同等の破壊力を持ちながら、消費魔力は60%、発動時間は40%になるはずだった。


 計算を終えたシオンは、実際に魔法を発動してみることにした。


 教室に設置された実験用の的に向かって、新しい理論に基づいた魔法陣を展開する。

 従来の火属性の魔法陣とは全く異なる、四つの軸を中心とした複雑な多次元幾何学模様が空中に浮かび上がる。


 魔力を注入すると、魔法陣は美しい光を放ちながら四次元空間で回転を始めた。そして――

 轟音と共に、従来とは明らかに異なる炎の塊が的に向かって飛んでいく。


 結果は、理論値を大幅に上回る成功だった。


 威力は従来のファイアボールの1.5倍、消費魔力は55%、発動時間は35%減少。完全に既存の魔法を凌駕する性能を示したのだ。


 さらに注目すべきは、この炎が単なる熱エネルギーではなく、的の物質構造まで変化させていることだった。木製の的が、炎に触れた部分で金属のような光沢を帯びている。


「物質変性の成分が働いているのか......」


 シオンは満足げに呟いた。


 だが、これはまだ始まりに過ぎない。四つの基底を理解した今、シオンの頭には更なる可能性が浮かんでいた。


 もし、この四つの基底軸を自在に操ることができれば、従来の魔法の分類を完全に超越した、全く新しい魔法体系を構築できるはずだ。


 特に、第四基底の「因果律操作・確率制御」は、エルフや魔族でさえ完全には理解していない領域のはずだ。ここに数学的アプローチを適用できれば、彼らを圧倒的に上回る魔法が可能になる。


 シオンは黒板に新たな数式を書き始めた。今度は、四次元魔法空間における最適化問題だ。


 与えられた制約条件(消費魔力の上限、発動時間の制限、安全性の確保)のもとで、目的関数(威力、効率、安定性の重み付き和)を最大化する問題として定式化する。


 これは非線形最適化問題であり、ラグランジュ乗数法を用いて解く必要がある。


 L(x₁, x₂, x₃, x₄, λ₁, λ₂, λ₃) = f(x₁, x₂, x₃, x₄) + λ₁g₁(x₁, x₂, x₃, x₄) + λ₂g₂(x₁, x₂, x₃, x₄) + λ₃g₃(x₁, x₂, x₃, x₄)


 ここで、x₁からx₄は四つの基底への配分、λ₁からλ₃はラグランジュ乗数、g₁からg₃は制約条件だ。


 偏微分を計算し、クリティカルポイントを求める。


 ∂L/∂x₁ = ∂f/∂x₁ + λ₁∂g₁/∂x₁ + λ₂∂g₂/∂x₁ + λ₃∂g₃/∂x₁ = 0

 ∂L/∂x₂ = ∂f/∂x₂ + λ₁∂g₁/∂x₂ + λ₂∂g₂/∂x₂ + λ₃∂g₃/∂x₂ = 0

 ∂L/∂x₃ = ∂f/∂x₃ + λ₁∂g₁/∂x₃ + λ₂∂g₂/∂x₃ + λ₃∂g₃/∂x₃ = 0

 ∂L/∂x₄ = ∂f/∂x₄ + λ₁∂g₁/∂x₄ + λ₂∂g₂/∂x₄ + λ₃∂g₃/∂x₄ = 0


 この連立方程式を解くことで、理論上最適な魔法の配分を求めることができる。


 計算を進めていくと、興味深い結果が得られた。


 最適解は (0.3, 0.3, 0.3, 0.1) という、四つの基底にほぼ均等に配分された魔法だった。これは従来の属性魔法の概念からは全く想像できない組み合わせだ。


 この魔法は理論上、中程度のエネルギー生成、中程度の物質変性、中程度の空間歪曲、そして僅かな因果操作を組み合わせたものになる。


 従来の魔法分類では全く存在しない、新しいタイプの魔法だ。


 シオンは早速、この最適化魔法の設計に取り掛かった。

 四次元空間での魔法陣は、従来の二次元的な円や多角形ではなく、四次元超立方体(テッセラクト)の構造を持つ。


 この複雑な幾何学構造を三次元空間に投影して描くため、シオンは射影幾何学の知識を駆使した。


 テッセラクトの各頂点は四つの基底の組み合わせを表し、辺は基底間の遷移を表す。面は二次相互作用、体積は三次相互作用、そして四次元体積は四つの基底すべての相互作用を表現する。


 この魔法陣を描き上げるのに、シオンは丸一日を要した。


 完成した魔法陣は、従来の魔法陣とは全く異なる美しさを持っていた。まるで宇宙の構造を表現したかのような、複雑で調和のとれた幾何学模様だった。


 魔力を注入すると、魔法陣は四次元空間で回転を始め、虹色の光を放った。


 そして発動した魔法は、シオンの予想を遥かに超えるものだった。


 的に向けて放たれた魔法は、まず中程度の熱エネルギーを発生させ、的の表面を加熱した。


 同時に、物質変性により木材の構造が変化し、より硬い材質に変化した。空間歪曲により、的の周囲の空間が僅かに歪み、光が屈折して的が揺らめいて見えた。そして因果操作により、本来なら偶然に頼るはずの魔法の命中精度が向上し、完璧に的の中心を捉えた。


 この魔法は、単一の効果ではなく、四つの基底が協調して作用する統合的な効果を示していた。


 威力、精度、安全性、効率性、すべてにおいて従来の魔法を上回る性能を示したのだ。


「これが......真の魔法か」


 シオンは感嘆の声を上げた。

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