閑話

第9話 【閑話 呪われし王国へ、手向けの花を】1

「呪術師ヘレン、いるか!」


 戸口に現れた黒髪で長身の男の声を聞きつけ、長テーブルの隅でレポートを書いていたフード姿の呪術師が反応した。


「いいところに来ましたね、宰相補佐官殿。お探しのものはこちらです。どうぞどうぞ」


 その隣に腰掛けて、呪術師の手元に愛しげなまなざしを注いでいた王弟カイルを手で示す。

 カイルの首には黒い首輪が嵌まっており、同色の鎖がだらりと垂れ下がって伸びていた。鎖の先は呪術師のローブに吸い込まれるようにして、消えている。


「カイル、やっぱりここにいたか。どうしてしまったんだ。最近、呪術部に入り浸りじゃないか」


 嘆かわしい、と言わんばかりにおおげさに顔を手で覆った宰相補佐官・フランシスに対して、カイルはにこにこと笑いながら答えた。


「どうしたのかと聞かれたら、返答としては『隷属した』となるだろうね。奴隷になったんだよ。ヘレンの」


 穏やかな印象を与える美貌で、どぎつい言葉を口にする。

 ああ、とフランシスは地団駄を踏み、憤然としてヘレンに向かって言った。


「さっさと解呪しろ! 王族を奴隷にしてどうするつもりだ!」

「解呪したいのはやまやまなんですけど、この呪いを解くと、元の呪いの効力が復活するだけです。そちらは残念ながら調べが進んでいないので、現状これ以外に打つ手がないんです」


 ヘレンは辟易とした態度を隠しもせず、なおざりな説明をする。

 横でうんうんと聞いていたカイルは「僕は一度解呪して、淫紋を刻み直してもらっても構わないよ」と笑顔で言った。ヘレンは、嫌そうにそちらへ背を向けた。


「だいたい、呪術部なんてデルガト侯爵がいる以外は実態も定かではない、胡散臭い部署だろ。出世とも無縁で、家族が在籍しているなんて知られたら……いや。普段から、目隠しの呪いでもかかっているのかというくらい、話題にもならない、いや、まさかそういう呪いがあるのか? 世間から注目されず仕事を振られないようにする呪いなんてものが! あるのか!?」


 騒ぐフランシスのそばに、ローブ姿の呪術師がひとり、近づいていく。まだ言い足りない様子のフランシスに対して、ぼそりと耳打ちをした。


「兄さん。無駄にカンが良いと消されますよ」

「……!」


 黙らせてから、呪術師は歩き出す。

 そのとき、戸口にもうひとり来客者が姿を見せた。立ち去りかけた呪術師の背中に「美少年~! 今日こそ顔の型取らせて~!」と声をかける。聖女フィリスである。呪術師は振り返らない。

 苦々しく眉をしかめてその背を見送ってから、フランシスは本題を思い出した様子で「呪いらしき件で、確認したいことがある」とヘレンに言う。


「宰相補佐官なんですから、正式な手続きを踏んでまわりくどく依頼してくださいよ。議案が関係部署で送り回されているうちに行方不明になって呪術部まで届かないのが理想ですよ」

「闇に消そうとするな。それくらいならデルガト侯爵に直接依頼する。カイルのときのように」


 じゃあ今回もそれで……と立ち去ろうとするヘレンに、逃がさないとばかりにフランシスが近づいていく。

 そのやりとりをにこにこと見守ってから、カイルはテーブル上に閉じて置いてあった本を開いた。






◆◆◆◆◆



 ルシエルにあてがわれた牢獄には、先住人がいた。

 人?

 かつては人だったに違いない。いまは骨だ。骸骨である。


 どこもかしこもツンとカビ臭く、薄暗く淀んだ空気の中、石の壁に穿たれた鉄杭から垂れた鎖。両腕を吊るされ、膝をついた姿勢で、そのひとは襤褸ぼろをまとったまま骨になっていた。

 ひざまずき、俯いた姿でも、ルシエルより一回り以上大きい。

 骨となる前は、さぞや体格に恵まれた男性だったのではないだろうか。


「はじめまして。私の名前はルシエル・ディ・ザルディーニ。四番目の姫です。今日からここに住むことになりました。どうぞよろしくお願いします」


 高所の窓から差し込む一筋の光の中で。

 ルシエルは、スカートの裾をつまんで、丁寧にお辞儀をする。「王侯貴族の間では、相手によって出方を考え、態度を変えるのを良しとする向きがあります。これがいかに上品ぶっただけの浅慮で、実際はひどく下品な考え方だということを、あなたはよくよく知っておきなさい」とルシエルは母に教えられていた。


(相手が誰であるかによって、自分の振る舞いを決めるのは、自分自身をも貶めること――)


 ルシエルの母親違いの兄マウリシオは、明らかに相手を見て態度を変えている。自分がよく見られたい相手に対しては朗らかな笑みを見せ、丁重に振る舞い、折り目正しく接する。身分の低い者に対しては傲慢で冷たく、厳しい言葉遣いでつまらぬことでも叱責をする。「王族たるもの、無闇にいらぬ愛想を振りまき、下々に勘違いをさせるわけにはいかない。豚になつかれても臭いだけだろう? 私は立場というものをわからせているだけだ」マウリシオは、ルシエルに対して冷ややかに言い放った。


 ルシエルはこのとき七歳。兄よりも、母を信じた。のマウリシオにとって「立場をわからせる」は呼吸するように当たり前のことのようだったが、ルシエルはただ母を信じた。

 だからルシエルは、骸骨に対しても自分の考える言葉で話しかけたのであった。


「私は小さいので、あまりたくさんの場所は使わないと思います。あなたのお邪魔にならないようにしますが、何か気になることがありましたら、なんなりと仰ってくださいませ」


 項垂れたままの骸骨は、何も答えない。

 何も。

 ルシエルは「前を失礼します」と断ってから忍び足で骸骨の前を通り過ぎた。

 汚れた毛布の置かれたベッドの前で振り返り、牢獄の中を見渡す。

 かすかに首を傾げて考え込んでから、微笑んでその言葉を口にした。


「うん、良い部屋です」


 長くここに住んでいるであろう骸骨の前で、部屋を悪く言ってはいけないと思ったのだ。


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