第3話 Problems

 今日は軽音部の練習日。私は久しぶりに部活に顔を出すことにした。そういや夏休み入ってから一回も練習行ってなかったしな……。


 私たちが通っている石神高校は、大きなボート池がある公園のすぐ近くにある。最寄りの駅を出て商店街を抜けて坂を降りるとボート池に出る。そして池に沿って歩いて勾配のキツい坂を登ると学校にたどり着く。言葉にすると簡単だけど、これが夏となると結構しんどい。校舎に着く頃には汗だくになってる。私は地元の人間だから自転車で通っているけど、それでもあの坂がね……。


 軽音部の部室は旧視聴覚室跡地だ。広さは結構なものだが、壊れた机や椅子なんかが廃棄されて積まれているので、物置というかゴミ処理場みたいな趣がある。だから軽音楽部とかいう軽薄でやかましい(と思われがち)な部活にあてがわれたのだろう。うちの高校は何故だか知らないけど一年生は上の階の教室を使わなければならず、一番外れの一年一組の向かいに部室があるので、結局進級しても上の階まで登って来ないといけない。今日はギターを背負ってないから多少はマシだけど、もう私はかなり汗だくになっている。


 部室の前の廊下には既に一年生の子らが座り込んで練習しているのが見えた。夏休みだからドアが開けっ放しになっている部室に入ると、何人かの後輩達が声をかけてきた。

「あれェ、麻衣子先輩、ご無沙汰じゃないですか」

「本堂先輩が探してましたよ、今年バンドで出るってマジですか」

「また『傘がない』演ってくださいよォ」

 春の新歓ライブでの井上陽水が奇妙にウケたせいか、私は妙に一年の男子達に絡まれる。なんだお前ら私に興味あんのか? もうやらねェよ…、陽水先生は…。好きだけどさ。

「キミ達ィ…。まー、いいや。今日さぁ、姫ェ、じゃなかった、大貫遙香って来てる?」

「大貫先輩なら屋上じゃないッスかね。ギターとスコア持って出てくの見ましたよ」

 後輩の一人が屋上の方を指差しながら教えてくれた。

「さんきゅー。今日はあの娘に用があって来たんさ。んじゃね」

 また何か言ってる後輩達はほっといて、部室を出て屋上に向かおうとすると、軽音部の部長である本堂剛史が廊下の向こうから歩いてくるのが見えた。今年の文化祭はバンドで出たいという希望は連絡しておいたが、一応挨拶と詫びはいれておくかぁ。

「おつかれ部長ォ、ごめんねー。バンドの枠ってまだ空いてたァ?」

「枠は空いてっけどさぁ、もーちっと早く連絡よこせよなァ。で、面子は? あと何曲やんの?」

 優秀な部長だ。話が早くて助かるね。まぁ枠が空いてるのはなんとなくわかってたけど。

 うちの軽音部、部員が一番多いのは一年生だ。興味本位でとりあえず入る子は多い。しかし飽きたり挫折したりと、一年の文化祭が終わってしばらく経つ頃には半分近くが幽霊部員と化す。上級生は受験があるから二年の文化祭が終わると引退して、ほとんどの人は部に顔を出さなくなる。それを考えると私の代はかなり生き残ってる方なのかな? てかそれ考えると去年の三年生は何だったんだ……。皆文化祭普通に出てたし…。


「面子は私とゆっこ。あと茜。曲は二曲かなぁ。かなり突貫工事になりそうだし」

 茜の名前が出たことで、手帳にメモを取りながら聞いていた本堂くんの手が止まる。

「お前、茜って、あの木村茜か? 空手やってるおっかねー女だべ? あいつ軽音入んの?」

 茜さん……。あなた相当コワモテで有名になってるみたいよ……。私の知らないとこで何かやってんのか? 苦笑しつつ説明をする。

「そー。そのおっかない木村茜。ダイジョーブだよォ、中学の頃からの私の友達だしさぁ。ベースやってくれるって言うから」

「お、おう……。まー、佐藤がそう言うンなら別に俺は構わないけど…」

 『入部届はさっさと持って来させろよ』との言葉を残した本堂くんと別れ、今日最大の目的である大貫遙香の説得に向かうべく、私は屋上へと急いだ。


 屋上に続く階段を登っていると、ギターの音が聞こえてくる。姫だろう。よかった、すれ違いにならなくて。今日を逃すと日がないし。あれ、この曲聞き覚えがあるな……。お姉の部屋で聞いた記憶がある。

「……佐藤……麻衣子?」

 曲名を思い出す前に声をかけられた。

 姫こと大貫遙香。屋上に続く踊り場でギターのスコアを広げて練習していたようだ。夏だというのに肌は全く焼けていない。よく手入れがされているであろう長い髪は凄く暑そうに見えるが、その表情は涼しげなものだ。

「お疲れ、姫ェ。屋上にいるって聞いたからさぁ」

「……その姫っていうの、よしてよ……バカにされてるみたいで、好きじゃない…」

 むくれた顔で遙香がスコアをめくる。いかん、いきなり機嫌損ねたか?

「ごめん、そーいうつもりじゃないのよ。ほら大貫さんさぁ」

「遙香でいい」

「ありがと。まず遙香の髪型が姫カットだし…」

 私の言葉に遙香がキョトンとした表情になる。

「姫…カット? これそうなの?」

「知らないの? 今世間じゃそういう髪型があンの」

「……知らなかった」

 いつも美容師の人にテキトーに任せてるから…、と遙香は黙ってしまった。バカにしてるわけではないということが少しは伝わったのかな? 私は言葉を続けることにした。

「まぁ…、あと去年遙香がライブで『月光』歌った時かな、スポットライトが当たって、なんか小さい頃読んだ『かぐや姫』の挿絵みたいに見えてさ、うん、それで『あ、この娘は姫だわ』って思ったんだよね」

 特に何も考えずに素直に喋ってしまったけど、これ私相当恥ずかしいこと喋ってない? かなりキモいよね? 引かれた? ドン引き? おい、何か言ってよ……。

二人して真夏の踊り場で黙り込んでしまった。

「とにかくよ! 悪意や他意は無いから! 遙香が嫌だって言うなら二度と言わないから! これはマジに約束する」

 

 慌てた私の言葉に、そう、多分知り合ってから、初めて――――

 彼女、遙香が微笑った。


「――いいよ。麻衣子がウソ言ってないの理解ったから。あだ名付けられるとか……、今まで無かったから…、てっきり…そう思っただけだから…、もう、平気」

 遙香の言葉に安堵する。そして二人で笑った。

 安心した私は当初の目的を思い出して話題を切り出すことにした。

「今日はさ、遙香にお願いがあって来たんよ。今度の文化祭さ、バンドで出ようと思ってるんだけど、ギター弾いてくれないかな? 遙香、メチャクチャギターも上手いって聞いてるからさ」

 私の突然の申し出に、遙香が再度さらにキョトンとした表情になる。

「バンド……? ギター……? 私と?」

「うん、どう?」

 

少しの沈黙の後、遙香が口を開いた。


「ごめんなさい、麻衣子とは組めない」

 

抱えていたギターを壁に立てかけて、真剣な表情で遙香は言葉を続けた。

「麻衣子のことが嫌なわけじゃないの……。むしろ今日ちゃんと話せて良かったって思ってる……。でも麻衣子とは組めない。ライバルだって思ったの、去年の文化祭で」

 遙香の言葉に、ゆっこが言ってた対抗意識の件を思い出す。

「去年の文化祭で麻衣子が歌った『月のしずく』、あれ、本当に良かった…。ギターはちょっと…アレだったけど…、歌は本当に良かった。私以外にも本気で音楽やろうとしてる人がいるって……、そう思ったから」

 真剣に紡がれる言葉に、私は言葉を返すことが出来ない。

「軽音部の人達って……、根気強くないし、すぐ誰と誰が付き合ったとか別れたとか、そういうのばっかりで……、どんどん部員も減ったし…、でも、麻衣子は違う人だって思った。だから負けたくないなって。私ももっと上手になって…歌も、楽器も……、だから、ごめんなさい」

 言葉を紡ぎ終えると遙香は深々と頭を下げた。

 私は何も言えないでいた。

 こんなにも誰かに真剣な言葉を、感情をぶつけられるなんて――――初めてじゃなかったけど、でも、やっぱり、その度に、心が――揺さぶられる。


 私はこれほど真剣に音楽に向き合っていたわけじゃない。

 バンドをやろうと思ったのだって、智美に大島くんを寝取られた腹いせに等しい。

 でも――――音楽が、歌が好きだって気持ちは本当だ。

 だから一人でもステージに立てた。そう思ってる。誰かに合わせるのではなく、私が本当に好きな曲を歌いたかったから――――


 どうにも今回の急造バンド、やっぱり本気でやらなくちゃダメみたいだ。


 私は立ち上がって笑顔で言葉を返す。

「オッケー。急に無理なお願いしちゃってゴメンね。私も遙香とちゃんと話せて良かった。初めてかも。誰かにライバルだなんて言われたのさ」

「怒ってない……?」

「怒んないよ。むしろ燃えたよ。いや、これから燃えるよ? 負けない。私も、ガンバる」

「……ありがとう、麻衣子。私も負けない。練習、するね」

 多分、今この瞬間、私と遙香はライバルだけれども、本当の意味で友達になれた気がする。

 だからこそ、その気持ちに報いなきゃ。

 私の表情から何やら見て取ったのか、遙香が尋ねる。

「……その、麻衣子さ、バンドで何やるの?」

 うぐぐ……イタいとこ突いてこないでよ……

 しかしウソや見栄を張るのも好きじゃない。情けないこと極まりないが私は率直に返答することにした。

「いやー、申し訳ないンだけど、実はまだ何ンにも……。メンバーの当てを見つけただけというか……」

「……もうすぐ二学期だよ…?」

「言わないでよそれ~」

 これ以上ボロを出す訳にはいかん。

「遙香は? てかさっき何弾いてたの?」

 私が尋ね返すと、遙香が広げていたスコアを閉じて表紙を見せてくれた。

「なにこれ…『無罪モラトリアム』…? 椎名林檎! そっか、さっきの『歌舞伎町の女王』か! え~、遙香が林檎! 意外だわ~」

「…そうかな…? 昔から好きなんだけど…。部室にスコアもあったし、ちょうどいいかなって」

「いや~、いいよいいよ~。意外性のある選曲って大事よ~」

「麻衣子の得意技だもんね?」

「言うなしそれ。な?」


 それから少し話し込んだ後、私は遙香と別れ学校を後にした。

 遙香と話せたのは本当に良かった。

 けど、同時に焦り始めていた。

 短い時間でどうにか形にしないといけない……。

 ゆっこのドラムは大丈夫。茜は…根性も度胸もある。きっとどうにかしてくれる。

 でも私は? 一人の弾き語りしかやったことがない。エレキギターは…まぁお姉かおとんの借りるとして…、でもギター・ボーカルとしてサマになるまで仕上げられるだろうか?

 考え始めると不安は尽きない。

 しゃーない……、やはり知恵を借りるしかないか……。姉の…。


 今夜には私の姉、佐藤芽衣子が大学のサークル旅行から帰って来るはずだ。

 口は悪いが音楽に関する情熱には間違いない姉の顔を思い浮かべる。

 まーた『アァ!? 行き当たりばったりでバンド始めたァ? マジにアホでしょアンタは…』とか言われるんだろうな……。でも頼らざるを得ない。私は自転車のペダルを踏み込み、帰路を急いだ。

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