第22話

 二限目から四限目プラス三十分の、実質五時間に及ぶ実験を終え、校舎の外に出た時は既に外は真っ暗だった。おまけに何時から降り出したのか、結構本降りの雨が落ちてきている。しかも雨脚は強くなってきているようだ。朝の天気予報は見て来たのでリュックには超軽量の折り畳み傘が入っているが、土砂降りに耐え得るほどの強度はない。トレンチコートは安物だけれど一応は撥水加工が施されているので、それで何とかなると思いたい。

 駅へと向かう通りの店先にある傘立てには、雨傘がたくさん刺さっていた。漏れてくる灯りを横目で見ながら暫く歩き、片側一車線の道路に出る。駅まではまだ距離があると思うと、少々うんざりした。時々走って来る車が水飛沫を上げるので、その度に脇へ避けないといけない。勘弁してくれよと思いながら、信号で立ち止まる。既に視界が曇るほどの土砂降りになっていた。おまけに先程から遠くでゴロゴロと嫌な音がする。そして、その音は確実に、こちらに近付いてくる。

 目の前を路線バスが通り抜けた時、にわかに強い光を感じた。同時に轟音のような雷鳴が響く。一瞬空を見上げ、道路に視線を戻した柚彦の眼の前を、巨大な火の玉が転がるのが見えた。

「……え?」

 以前見たものより少し小さい。そう観察出来た冷静な自分をちょっとだけ褒めたい。サイズが縮小された代わりに数が増え、一つ、少し間を空けて次は連続して二つ。合計三つの火の玉が、柚彦の前を通り過ぎて行った。

 暫く茫然としていたのだと思う。気が付くと目の前に、見た事のあるベンツが停まっていた。

「こんばんは」

 雨粒が付いた窓の硝子が下がり、どこかで見た事のある男性が運転席から声を掛けた。

「乗って行きますか?」

 そう言われて動揺する。誰だっけ?

「えっと……あの」

 どちら様ですかとも聞きづらく、言葉を濁している時に閃いた。あの日、ミムラさんを迎えに来た人だ。

「柚彦くんだよね。さあ乗って」

 先日のミムラさんと同じように少々強引な口調で言われ、柚彦は慌てて助手席に乗り込んだ。

「ご迷惑をお掛けしてすみません。ありがとうございます」

「かまいませんよ、この雨ですからね。前と同じ所までで良いかな」

 発車しかけた途端、運悪く信号が赤になる。一息ついた男性は、柚彦の方を向き笑顔を見せた。一拍置いて言葉を発する。

「見ましたか? 今の火球」

「え? まさか……」

 あなたが起こしたんですか、とも言えずに言葉を呑み込む。少し自慢気な口調に聞こえたのが不気味だった。この人は何者なのだろう。

「球電って言うらしいですよ。珍しい現象が見られました」

「……そうなんですか」

 一般的な呼び名があるのだと知って、何となくほっとした。発生する原因は科学的に解明されているのだろうか。

「具体的には原因は分かってないらしいんですが、雷の発生と関係があるみたいですね」

「……へえ」

 何となく会話が続かなくなって、気まずい空気が流れた。何か喋らないと失礼な気がして、柚彦は質問を絞り出した。

「ところで、よく僕だって分かりましたね」

 あの大雨の日に少し話をしただけなのに凄い記憶力だ。しかも今日も土砂降りである。柚彦の方は暫く気付かなかった事が、逆に申し訳なく感じてしまう。

「職業柄、人の顔を憶えるのは得意でね」

 信号が変わり、男性はアクセルを踏んだ。

「莉子が──妹がお世話になってるみたいですね。ありがとうございます」

「え?」

 そうか、ミムラさんの事だ。妹、ということは、この人はミムラさんのお兄さん?

「あいつ本当におっちょこちょいで、しょっちゅう携帯を食卓に忘れて行くんですよ。あの日は、たまたま僕の仕事が休みで在宅していたから良かったものの」

 そう言って朗らかに笑う。

「柚彦くんたちの話は、いつもあいつから聞いてます。あ、申し遅れました。僕、莉子りこの兄の日高仁じんと言います」

「小杉柚彦です。こちらこそ、いつもお世話になっています」

 後方で踏切の音が聞こえ、車が停止した。アパートのすぐ前だ。礼を言って助手席から降りた柚彦に、日高さんは「僕もその内、お店に寄らせてもらいます」と言ってくれた。

 走り去る車のテールランプを見ながら、思い返す。火球はタヌキの仕業ではなかった。そして日高さんはミムラさんのお兄さんだったのだ。

 何か、妙に引っかかるものがあった。漠然とした違和感とでも言おうか……。

「あれ?」

──名字が違う。

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