第43話 状況整理、次期作戦
どれくらい、そうしていただろうか。
兄の罪と私の罪。その全てを一身に背負い泣き崩れたレノーアを、ただ抱きしめ続けていた。冷たい石造りの書斎で、二人の涙だけが、温かい。
その途方もない静寂を破ったのは、耳元で微かな音を立てる、通信用の魔道具だった。
『……状況は、理解しました』
ヴェロニカの声だった。
黙って私たちの告白を、聞いていてくれたのだ。
『ですが、長居は危険です。感傷に浸るのは、後でいくらでもできます。すぐに、そこから離脱してください』
容赦のない正論が、私たちを、否応なく現実に引き戻した。
そうだ。ここで止まっている時間はない。
レノーアの肩を支え、ゆっくりと立ち上がらせた。彼女の瞳は、泣きはらして赤く腫れていたが、その奥には、迷いの晴れた強い光が宿っていた。
私たちは、もう一度だけ静まり返った書斎を見渡すと、無言でその部屋を後にした。
来た道を戻り、公爵邸を抜け出す。夜明け前のひんやりとした空気が、火照った頬に心地よかった。
私たちの間に言葉はなかった。けれど、その沈黙は今までのどんな会話よりも雄弁に、私たちの絆を物語っていた。
近くの森で、ヴェロニカが私たちを待っていた。
彼女は私たちの姿、特に泣きはらしたレノーアの顔を一瞥すると、多くを問うことはしなかった。ただ「お疲れ様でした」と短く告げると、どこからか取り出した水筒を私たちに差し出した。中身は温かく、ほんのり甘いハーブティーだった。
「……ありがとう、ヴェロニカ」
「脱水症状になると、大変ですから」
不器用な優しさが、冷えた体の奥にじんわりと染み渡っていった。
部屋に戻った私たちは、改めてテーブルを囲む。
窓の外が、ゆっくりと白み始めている。夜が明けようとしていた。
ヴェロニカは、まるで気持ちを切り替えるかのように、パン、と一つ手を叩いた。そして、何もない壁に向かって、光る板のようなものを展開させる。即席の魔法ホワイトボードだ。
「では、始めます。私たちが知り得た全ての情報を、今一度、整理しましょう」
彼女はそう言うと、手にした魔力ペンで、次々と事実を書き出していく。その動きには、一切の迷いがない。
【事象整理】
①10年前の事件の真相:
リゼロッテの魔力暴走に対し、アラリックが試みた「封印の儀式」が失敗。二つの魔力が衝突・共鳴した結果、リゼロッテの魂に「傷」が刻まれ、魔力波長が、後天的にアラリックと酷似するものへと変質した。
②アラリックの行動原理:
自らが犯した罪への、深い罪悪感。その事実を隠蔽し、リゼロッテを「監視・管理」するため、レノーアを利用。妹・エレアの治療を約束し、彼女をリゼロッテの「安全装置」として育成・配置した。
③被害者:
事件の巻き添えとなった唯一の被害者は、レノーアの妹、エレア。原因不明の呪いにかかり、以来、眠り続けている。
④刺客:
「黒鎧の男」は、アラリックの命令で動く、腹心。リゼロッテの監視、および、非常時の「排除」を任務とする。レノーアが彼の手から離れたと知れば、新たな刺客を送り込んでくる可能性が高い。
全ての謎が、線で結ばれる。
白日の下に晒された真実の全体像を前に、私たちは改めて、言葉を失った。
兄の罪は、私が想像していたよりもずっと根深く、計画的だった。
「……これが全ての答え、というわけですね」
ヴェロニカはペンを置くと、厳しい表情で私たちに向き直った。
「ですが、問題はここからです。アラリック様は、私たちが彼の書斎に侵入したことに、いずれ気づくでしょう。そうなれば、彼はどう動くか」
「……口封じ、ね」
「その可能性が、極めて高い。おそらく、再び『黒鎧の男』を、今度は明確な殺意を持って、差し向けてくるはずです」
部屋の空気が一気に張り詰める。
「もはや、待っている猶予はありません。向こうが動く前に、こちらから仕掛けるべきです。守るのではなく、攻めましょう」
彼女は、光るボードに新たな項目を書き加えた。
【次期作戦目標】
目的①:身の安全の確保。脅威である『黒鎧の男』を無力化する。
目的②:決定的な証拠の入手。彼を捕らえ『アラリックの命令で動いていた』と証言させる。
「これができれば、全ての状況をひっくり返すことができます。黒鎧は恐ろしく強いですが……」
それでも。
この歪んでしまった運命に、正面から立ち向かうのだ。
私は、静かに立ち上がった。
二人の、かけがえのない友人たちの顔を、まっすぐに見つめて宣言する。
「私が、やるわ」
その声は自分でも驚くほど、落ち着いて、力強かった。
「私の力で彼を止める。それがエレアさんを救うための、第一歩だから」
この忌まわしい『崩壊』の力。けれど、それは同時に『再生』の奇跡を起こしうる、唯一の希望だ。
この力を、今度こそ私の意志で、完全に制御下に置いてみせる。
黒鎧との対決は、そのための最後の試練だ。
「……承知いたしました。この命に代えても、貴女様の盾となります」
レノーアが、静かに頷く。
「良いでしょう。私は死ぬつもりはありませんが、後方から万全のサポートをお約束します」
ヴェロニカもまた、不敵な笑みを浮かべて、応えた。
三人の視線が、交差する。
そこに迷いはなかった。
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