第33話 長兄の影
ユリアンお兄様の研究室を半ば追い出されるようにして後にした私たちは、王都の手入れの行き届いた庭園を、ただ黙って歩いていた。
私の手の中には、一枚の、動物と話せるようになるという怪しげなクッキーが握られている。兄の混沌とした思考の奔流に当てられて、頭がまだぼうっとしていた。
「私とアラリックお兄様の魔力の波長が、近い……か」
呟いた私の言葉は、誰に聞かせるでもなく、静かな庭園の空気に溶けていく。
あまりにも漠然とした手がかり。これだけで一体何が分かるというのだろう。
そんな心の声が聞こえたかのように、隣を歩くヴェロニカが、ふう、と一つ大きなため息をついた。
「……リゼロッテ様。事の重大さに、お気付きになりませんか」
「え?」
「いいですか。魔力の波長とは固有のものなのです。その人の魂の色。声や顔のようなものです。兄弟姉妹で、その波形が多少なりとも似ることはあっても、『ほぼ同一』などというのは、天文学的な確率です。つまりそれは、あり得ない事と同義なのですが……」
彼女は一度言葉を切ると、眼鏡の奥から、私をまっすぐに見つめた。
「単なる血縁という言葉では説明がつかない、何か、もっと根源的なレベルでの、特別な繋がりを示唆しています。何か、長兄君との特別な記憶はありませんか」
魂の色。
特別な、繋がり。
その言葉が、錆びついた
――10年前の、あの日。ローゼンベルク家の薔薇園。
――魔力が、溢れ出す。あの感覚。
――怖い。助けて。誰か。
――そして、誰よりも早く駆けつけてくれた、お兄様。
「……あの日」
思わず、声が震えてしまう。ヴェロニカとレノーアが、足を止めた。
「私の力が暴走した、あの庭園に……確か、アラリックお兄様がいたわ……。彼は、私の前に立って、何か……何か、魔術のようなことを、していたような……」
「リゼロッテ様……とても言いづらいのですが」
ヴェロニカの表情が険しくなっていく。
私の途切れ途切れの証言と「同一に近い魔力波長」というユリアンお兄様から得た情報。二つのピースは、ヴェロニカの中で組み上がっているようだった。
彼女は息を呑み、自らの思考を確かめるように呟いた。
「二つ、考えられることがあります。一つ目は『二人の波長が、生まれつき同一だった』それ故に大きな干渉波を引き起こし、事故のトリガーとなったと。ですが、先ほども言ったように、先天的に同じ魔力の波長などというのは、ほぼあり得ません。もう一方の可能性は……」
ヴェロニカは私とレノーアの顔を交互に見て、恐る恐る、その結論を口にした。
「もし、順番が逆だったら……?」
「逆、とは……?」
「もし、10年前のあの日まで、貴女たちの波長はただの兄妹として『似ている』だけだったとしたら? そしてあの日、アラリック様が行ったという『魔術のようなこと』が失敗し、貴女の力が暴走した。その二つの魔力が激しく衝突・共鳴した『大事故』そのものが貴女の魂の波長を、アラリック様のものと同じ形に『書き換えて』しまったとしたら……?」
ヴェロニカはそこで言葉を切り、続けた。その声は、震えている。
「その『同一の波長』とは、生まれつきの特異性などではない。10年前に貴女の魂に刻まれた、呪いの『傷跡』そのもの……という考え方ができます。天文学的な確率に頼らない、最も現実的な答えです」
その言葉は、雷鳴のように私の頭を撃ち抜いた。
私の、この力。この苦しみ。この運命。
その全てが、兄が私の魂につけた「傷」だというの?
あの毅然として、厳格で、誰よりもローゼンベルク家の誇りを体現していた、お兄様が?
力の制御に苦しむ私を、ずっと静かに見守っていてくれた、あのお兄様が?
彼の今までの優しさ。私を案じる眼差し。その全てが、自らが犯した取り返しのつかない罪を隠すためのものだったとしたら──。
ぐらり、と視界が歪む。庭園の木々も、隣に立つ二人の姿も、まるで水の中のように輪郭が滲んで見えた。
その崩れそうになる私の肩を、レノーアが、そっと無言で支えてくれる。
信じたい。
信じている。
けれど、一度芽生えてしまった疑惑の種は、私の心に、深く根を張ろうとしていた。
私の戦いはこの瞬間から、敬愛する兄への疑念との戦いへと、その意味を変えてしまったのだ。
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