第5話 仮面の裏側
夜。リゼロッテは、すでに自室のベッドに入っている。
共通の居間で、レノーアはティーセットを片付けながら、リゼロッテの行動を振り返っていた。
『最高のコンディションだから』
(昨日の試験後、彼女が気をやる前に言った、不可解な言葉。重度の魔力酔いの症状。演技ではない)
『なにくそー!』『グエーーーーー』
(今朝の不自然な鍛錬。真っ赤な顔。疲れ切った身体。こちらも魔力酔いの可能性あり。ただし軽度のもの)
さらに今日の授業での、あの一件
『空っぽの器には、何かを入れられますわ』
アリスター・ヴァーリィ教授の問いに対する、リゼロッテの返答。
教室中の誰もが、二人の問答に意表を突かれていた。だが、レノーアだけは違った。
あの言葉は、今朝の鍛錬と奇妙に結びついていると感じていた。
(毎朝、わざと魔力酔いを誘発させている……と仮定するならば)
自分の魔力を「空っぽ」にすること。そして、その空の器に「何か」を入れようとする行為。
(器に入れる? そのための筋トレ? ……考えるほど、訳が分からない)
レノーアは磨き上げたティーカップを棚に戻しながら、リゼロッテの寝室の扉を無意識に目で追っていた。
(あの扉の向こうで、お嬢様は何を考えているのか。私は……いつ手を下すべきなのか)
やがて、リゼロッテの寝室から、穏やかな寝息だけが聞こえてくるのを確認すると、レノーアは自身の部屋へと静かに入った。そして簡素な外套を羽織ると、今度は窓から、誰にも気づかれずに寮を抜け出す。
向かうは先は、学園の森の奥深く。月明かりが古い石碑をぼんやりと照らす、約束の場所。
時間通りに、それは現れた。
音もなく、気配もなく。まるで、闇そのものが人の形を取ったかのように。
全身を覆う、継ぎ目のない漆黒の鎧を着た男。
「報告をしろ」
魔道具で変えられた、無機質な声が響く。
レノーアは、この正体不明の男を「長兄アラリックの使いの者」とだけ聞かされていた。
「はい」と短く応じ、レノーアは客観的な事実のみを淡々と報告する。
「監視対象に強力な魔法行使の気配はありません。試験でのファイアボールの規模も小さく、力の暴走の兆候も見られませんでした」
「それどころか」と、彼女は言葉を続けた。
「試験後に魔力酔いの症状が出ていました。それから、アリスター・ヴァーリィ教授が、対象に強い興味を示しています」
黒鎧の男は否定も肯定もせず、ただ黙って聞いていた。
やがて無機質な声が、再び響いた。
「引き続き、監視を続けろ。暴走するようなら……絶対に、ためらうな」
「御意に」
漆黒の巨体はそれだけを告げると、再び音もなく、闇の中へと溶けるように消えていった。
一人残されたレノーアは、少しだけ安堵したと同時に、今朝の鍛錬のことを報告できなかった自分に戸惑った。
レノーアは自室のベッドに横たわり、隣の壁の向こうにいる主の気配を感じる。
そのまま目を閉じると、瞼の裏側に、今朝の映像が浮かんだ。
顔を真っ赤にして上体起こしをがんばる、小さなお嬢様。
暖かい感情に、頬がゆるんでしまう。
もし妹が健在だったなら、と。そこまで考えて、レノーアは眠りに落ちた。
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