第1話 ローゼンベルクの落ちこぼれ

 聖ソフィア王立魔法学園、その技能試験場は異様な熱気に包まれていた。

 無理もない。次に壇上へ上がるのが、この私、リゼロッテ・フォン・ローゼンベルクなのだから。

 世に名だたる『銀薔薇の三竜』を兄にもつ、公爵家ただひとりの妹。それが私だ。

 期待と好奇の目が、値踏みするように、私へ突き刺さる。


 さて、ショーの始まりだ。


 一つ息を吐き、壇上へと歩く。

 白銀の髪が、日光を受けてキラキラと光るのが視界の端に映った。見た目だけは、私も一端のローゼンベルク、というところか。


「では、リゼロッテ嬢。始めてください」


 少し離れたところにある訓練人形に正対した。人形には、いくつもの新鮮な焦げ跡がつくられていて、それは中心にいくほど多い。しかし、ひと際大きな焦げ跡は中心部分ではなく、人形の頭部を真っ黒に焦がしていた。

 ……ずいぶんと、ハードルを上げてくれたものだ。

 壁際に控える、従者レノーアの姿を捉える。本人にそのつもりは無くても、あの黒髪は、この学園内ではよく目立つ。平民の特待生。私とは正反対の、優秀な子。その心配そうな視線に、私は笑顔で返した。


「リゼロッテ、いきます」


 両腕を大きく開いて、集中。全身をめぐる、すべての魔力を総動員させる。イメージは炎の玉だ。真っすぐ、前に。狙いはもちろん、人形の頭部。

 世界から集中を妨げるものを消していく。歓声、虫の声、風の音。それから皆の視線──んん? レノーアが珍しく、険しい顔つきになっている。怒っているの?

 いやいや、そんな場合じゃなかった。集中だ。いくぞいくぞいくぞ!


「ファイアボール!!」


 前に押し出した両手から、巨大な燃え盛る隕石が飛び出て人形の頭蓋骨を粉砕し、裏手にある森を焼き尽くす。

 ──そんなわけなかった。そもそも人形に頭蓋骨とかないし。

 まあ、それくらい私は頑張ったわけだ。


「──え? 今のって?」「ポンッて消えたわ」「なんて弱々しい魔法なの」


 会場の音が戻ってくる。なるほど。私は盛大に失敗したらしい。

 だけど、今はそれどころじゃない。視界がゆがみ始めている。次にくる衝撃に耐えなければ。ここが私にとって、一番重要なんだから。


「ありがとうございました……うぐっ」


 一礼のタイミングで暗転しかけた世界を、気合でつなぎとめる。

 きたきた……!

 私は脂汗を垂らしながら、心の中ではガッツポーズを決めていた。

 日に二度の『魔力酔い』を、意識を失わずに耐えている。初めてのことだった。やっぱり、私は追い込まれると強い。私の肉体も、追い込むほど強くなる。証明された瞬間だ。


 私は、産まれたばかりの小鹿のような足取りで壇上を降りていく。会場からは、先ほどまでの期待をそのまま反転させたかのような嘲笑が降り注いだ。

 足早に退場することはかなわなくて、冷ややかな視線をたっぷり味わいながら、一段ずつ降りていく。

 最後まで降りると、まるで計ったかのような完璧なタイミングで、人垣の中からすっと影が一つ現れる。レノーアだ。


「お疲れ様でございます、お嬢様」


 一切の感情を乗せない、鈴の鳴るような声。

 彼女は周りの喧騒など存在しないかのように、ごく自然な仕草で私の肩に、家の紋章が刺繍された上着をかけた。ふわりと、陽だまりのような香りがする。


「……ええ」


 私が短く応えると、彼女は私の半歩前を歩き始めた。

 すると、潮が引くように、あれほど騒がしかった生徒たちが静かに割れていくのが分かった。面白いことに、彼らが道を開けているのは、公爵令嬢である私に対してではない。私の前に立つ、この完璧すぎて不気味なほど美しい、私の従者に対してだ。

 それでも、私は堂々と道を行った。


 *


 重厚なマホガニーの扉が、静かに閉まる。

 寮の自室に戻り、外界の喧騒が完全に遮断された瞬間、私はもう限界だった。

 残っていた魔力酔いが、一気に全身を駆け巡る。視界が歪み、足から力が抜け、私は前のめりに体勢を崩した。


「はあ……っ!」


 ふか、と柔らかいベッドに顔からダイブする。だらしのないことは認める。けれど、この全身を襲う虚脱感こそ、私が求めていたもの。


「お嬢様!?」


 背後で、レノーアの鋭い声が響く。今までの彼女からは想像もつかない、焦りの色を含んだ声。衣擦れの音と、慌ただしいけれど少しも乱れない足音が、瞬く間に私のすぐそばまで近づいてくる。

 ベッドが、わずかに軋む。冷たい指先が、そっと私の首筋に触れる。今は、何をされたって心地が良い。


「魔力酔い……なのですか? しっかりなさってください、お嬢様」

「……ん」


 顔を伏せたまま、私はくぐもった声で答える。心配する彼女には申し訳ないが、私の心は歓喜に満ちていた。


「大丈夫よ……レノーア。むしろ、いまって最高のコンディションだから……」


 その言葉に、レノーアの気配が一瞬凍り付いたのを、私は知らないふりをした。

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