第11話 飢えこそ敵なり

夜明け前の静けさの中、藤木村の村長屋敷では、蝋燭の炎がゆらゆらと揺れていた。向かい合うのは、**齢二十の孫兵衛(息子)**と、**四十路を過ぎた村長の田吾作(孫兵衛の父)**である。


その少し前、鹿野村を実質支配下に置いた喜びに沸く藤木村とは裏腹に、ある種の不安もまた、村人たちの間に忍び寄っていた。特に、少し年嵩のしっかり者、一平の父である**権太(ごんた)**は、夜が明けるのももどかしく、何度も寝返りを打っていた。


「ったく、寝つきが悪ィな、父ちゃん。鹿野村の田畑を手に入れたんだ、これからは少しは楽になるんじゃねえのか?」


隣で寝ていた一平が、父親の異変に気づき、声を潜めて尋ねた。


権太は大きなため息をついた。

「そう簡単にはいかねぇよ、一平。鹿野村から難民が、日を追うごとに増えとる。あれだけの人数を養うだけの食い扶持が、今の藤木村にあると思うか?」


同じく、別の長屋では、鼻たれ小僧の三太が、父である**弐兵(にへい)**の焦燥を感じ取っていた。


「父ちゃん、何か心配事があるのか?」


弐兵は天井を見上げながら、重い口を開いた。「鹿野村の土地は手に入ったが、飢えた人間は、野武士よりもたちが悪い。食い物がなけりゃ、どんなに広い土地も、結局は争いの種にしかならねぇ。このままじゃ、せっかく孫兵衛様が勝ってくれた戦も、無駄になってしまう」


そして、村一番の古老である**作右衛門(さくえもん)**もまた、心配のあまり、なかなか寝付けずにいた。縁側に座り、遠い夜空を眺めるその眼差しには、幾度も飢饉を経験してきた村の歴史が重くのしかかっていた。


「…飢えか。戦で勝っても、腹が満たされねば、人はまた争うものよのう…」


それぞれの胸中に、戦後の新たな課題がのしかかっていた。


田吾作の屋敷では、田吾作が孫兵衛に切り出した。


「孫兵衛よ、鹿野村の難民が日に日に増え、食い扶持の工面が間に合わぬ。このままでは、せっかく手に入れた土地も、飢えた者ばかりが増えては、どうにもならんぞ。」


田吾作の言葉に、孫兵衛は静かに頷いた。鹿野村の開拓には、藤木村の次男坊や三男坊が向かわせたが、彼らが受け入れた難民たち、そして今後も増え続けるであろう人口をどう養うか。それは、戦で勝つことにも匹敵するほどの難題だった。


「わかっております、父上。だからこそ、この冬が勝負なのです」


孫兵衛は一枚の地図を広げた。鹿野村周辺の水路と、ため池の場所が詳細に書き込まれている。


「まず、冬の間に水路を徹底的に整備し、ため池の貯水能力を最大限に高めます。冬の間に水をためておけば、春の田植え時に安定した水供給が可能となる。これからの米作の要となるでしょう」


田吾作は地図を覗き込み、感嘆の声を漏らした。「なるほど、冬の間に水をためるとは……今まで考えなかったな」


「ええ。そしてもう一つ。我らは多様な作物を効率的に育てる方法を導入します」


その言葉に、田吾作はわずかに首を傾げた。多様な作物を効率的に育てるとは、具体的にどうするのか。


「ここ四国は温暖ゆえ、工夫次第で多くの作物が育ちます。例えば、水稲においては早稲と晩稲の組み合わせで収穫量を最大化する。これが最も重要な主食確保の策です」


孫兵衛は指を一本立てた。


「そして、水稲の裏作として、あるいは畑作として、**麦(大麦・小麦)**を徹底的に植える。これは米が不作の際の備えとなり、保存もきくゆえ、兵糧としても重宝される作物です」


二本目の指を立て、孫兵衛は続けた。


「次に、ひえ、あわ、きびといった雑穀。これらは痩せた土地でも育ちやすく、生育期間も短い。鹿野村で新たに手に入れた土地の開墾初期や、水稲が難しい場所には積極的に植えます。食料の安定供給に欠かせない『保険』です」


三本目の指。


「そして、ソバ。これも生育が早く、やせた土地でも育つ。食料の多様性を増やすと共に、不作時の補完となります」


四本目の指。


「最後に、非常に重要なのが大豆です。これは直接の主食ではありませんが、土壌を肥沃にする効果があります。土が豊かになれば、米も麦も雑穀も、より多く収穫できる。肥料が限られる時代において、これほどありがたい作物はありません」


孫兵衛は指をすべて折り、さらに言葉を重ねた。


「これらの作物は、ただ植えるだけではありません。連作障害を防ぐため、計画的に入れ替えていくことが肝要です。土地を休ませ、その特性に合った作物を育てることで、地力を維持し、長期的な収穫安定を目指します。」


そして、孫兵衛は新たな情報をもたらした。


「先日、通りかかった旅の商人から、珍しい作物の話を聞きました。**『芋のようなもの』**で、痩せた土地でも育ち、飢えを凌ぐのに良いと申しておりました。これはぜひ、試してみたい。商人に頼んで、種芋を入手する手筈を整えましょう。」


田吾作は目を見張った。聞き慣れない作物の名に、希望の光を見た気がした。


「それと、父上。この川は下流で海に通じております。一度、川下の様子を見て参りたい。そして、その先の海辺で暮らす者たちの情報も集めたいのです。もし、海辺と交易ができれば、食料の選択肢も増え、より豊かな村になるやもしれません。」


田吾作の顔に、驚きと期待の入り混じった表情が浮かんだ。孫兵衛の考えは、常に自分の想像の先を行っていた。


孫兵衛の熱のこもった説明に、田吾作は静かに耳を傾けていた。孫兵衛の言うことは、どれも理に適っている。経験で培ってきた田吾作の知恵に、孫兵衛の持つ現代の知識が、新たな光をもたらす。


「承知した、孫兵衛。わしも村長として、お前の言う通り力を尽くそう。村の者たちには、この計画がいかに重要であるか、わしからも説いて回るゆえ。」


田吾作の力強い言葉に、孫兵衛は安堵の息を漏らした。戦に勝つだけでは、村は成り立たない。飢えをなくし、領民を豊かにすることこそが、真の勝利なのだと孫兵衛は知っていた。


冬の風が吹き荒れる中、藤木・鹿野両村では、新たな戦いが始まろうとしていた。それは、土と水と知恵を武器にした、未来への戦いである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る