第5話 釣書と手紙
ベルカント公爵グラーヴェが婚約者選抜の開催を宣言して数日が経過した。王都に隣接するベルカント領の公爵邸には、麗しの令嬢フェルマータとの縁を求め、手紙を添えた釣書が次々と届き始めた。まるで波のように押し寄せる書状は、締め切りである満月の日には、会議室の一角に小山を築くほどになった。
「ほう……。家格を問わないとしたことが、これほど多様な応募者を集めるとはな」
当主グラーヴェは書状の小山を前に、感嘆の声を漏らした。
夫人クラウディアは夫に寄り添い、同意した。
「ええ。家督継承の有力候補であれば、成人までに相手が決まることが一般的ですわね。貴方もそうでしたでしょう? ですが、そうではない方々は、成人後にじっくり伴侶を探すことも珍しくありませんの。これほど多くの方々が、良いご縁を求めていらっしゃるということでしょうね」
家督継承の有力候補ではない貴公子で、家門の発展や自身の立身出世のため、婚約者選抜に希望を見出した者も数多くいた。中には、騎士資格を得たばかりの六等騎士である息子を応募させた家門もあったほどだ。彼らはまだ見習いの段階だが、公爵家との縁を求める熱意は確かに伝わってきた。
ベルカント家と同格である他の公爵家からの書状は、一切届いていない。それは、その家々の貴公子の多くに、すでに決まった相手がいることを意味していた。
侍女セフィーヌは時折、母や兄に紹介された相手と縁を結ぶ可能性を想像することがあった。それゆえに、決まった相手のいない貴公子が多くいることにも、特段驚きはしなかった。
(もし、実家に私宛ての釣書が届き、この邸を離れて嫁ぐことになったとしたら……)
書状の小山を前に、セフィーヌはまだ起こっていない未来の自分の姿を思い浮かべた。
(もしそうなれば、チュモー伯爵家やベルカント公爵家の恩恵に繋がることを確認した上で、きっと承諾するのだろう。フェルマータお嬢様の侍女でなくなるのなら、せめて皆の駒として嫁ぎ、役に立とうとするのだろう。その時、私はどれほど、お嬢様との別れを惜しみ、涙するのだろうか……)
その想像は、自身の胸を締め付けた。
この膨大な量の書状を最初に検分したのは王家直属の諜報員である。諜報員はその素性が知られないよう、密かに邸を訪れ、手早くかつ正確に精査を進めた。ベルカント家の人々の中で、グラーヴェだけがその作業に立ち会った。
「幸いなことに、不審な手紙は確認されなかった。王家がこの選抜に関与していると公にされていることが、不穏な動きを抑止する力となったのだろう」
グラーヴェは結果を告げると、一時的な安堵を家族と分かち合った。
残された書状の山を吟味するのは、ベルカント公爵一家だった。グラーヴェは娘に語りかける。
「フェルマータ。我々は、スメリー家の二の舞を何としてでも避けねばならない」
フェルマータは真剣な眼差しで応えた。
「肝に銘じます、お父様。金銭面で後ろ暗いところがなく、この選抜に家門の命運を懸けるような事情もない、安定した家柄であること。まずはそれをを確認いたしましょう」
クラウディアは娘の肩に両手を置いた。
「家柄だけでなく、殿方のお人柄もしっかり確認しなければなりませんよ」
「もちろんですわ、お母様。ベルカント家とわたくし自身の両方を想ってくださる殿方と、ご縁を結びたいものです」
三人は手紙と釣書を照らし合わせ、出身の家柄および貴公子自身の人となりを慎重に見極めていく。貴族の子女が集う茶会で、フェルマータに一目惚れした者もいた。次期公爵として研鑽を積んでいる令嬢の噂に、感銘を受ける者もいた。応募した貴公子たちのほとんどは、スメリー伯爵家令息カーティスとの婚約に求婚を阻まれていたのだ。彼らが綴った文字は、各々の想いをフェルマータとベルカント公爵家に伝えられる喜びを、雄弁に語っていた。
釣書を左手に、手紙を右手に持って精読するフェルマータ。彼女の表情は時に険しく、時に穏やかに変化した。背筋が丸まったり伸びたり、口元が上がったり下がったり。言葉にならない声を漏らし、時に黙り込んだ。令嬢の両親も、こちらは望みがある、こちらは危ない、などとと囁き合いながら、娘の意思も踏まえて書状を選り分けていった。
セフィーヌも一家と同じ部屋で控えていたが、その作業を覗き見ることは、決して許されない。そのため、彼女は三人のやりとりを静かに見守ることしかできなかった。
このポラリス王国では、王族や上位貴族に下位貴族が使用人として仕えることは珍しくない。彼らは、家計を支えるため、あるいは社交界での人脈を広げるために、奉公に出ることがあるのだ。もちろん、臣従として主家への忠誠を示すために、奉公の道を歩む者もいる。セフィーヌもまた、そのような事情を抱えた者のひとりである。
公爵一家の興味を惹かなかった手紙の中には、カーティスからの詫び状も紛れ込んでいた。これは彼が任務に発つ前に綴ったものであるようだった。セフィーヌは唯一、応募用の書状ではないこの手紙を閲覧することを許された。
(雛形通りの形式的な文章、そして筆跡は、かつてと何一つ変わっていない。ただ、彼自身の非を認めて謝るだけ。少しでも弁明を綴ったなら、ご一家の、いいえ、私の彼に対する印象が多少は変わったかもしれないのに。カーティス、あなたは何の目的でこの手紙を書いたの?)
一家はこの詫び状に、婚約の終わりを証明する単なる証拠以上の価値を見出さなかった。
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