第24話 見知らぬ人

校門を出ようとしたとき、不意に視界の端に何かが引っかかった。


午後の光に照らされて、落ち葉がちらほら舞い始めた道の端に、制服ではない服を着た女の子がぽつんと立っていた。

その姿は、風景の中に溶け込めていない。

明らかに“外側”の存在だった。


小柄で、パーカーの袖を深く手の甲までかぶせていて、まるで何かを隠すようにうつむいている。

髪は肩までの長さで、軽くカールしていたが、それもどこか、作為的に無造作を装っているように見えた。


誰かを待っているのか、何かをためらっているのか——

その立ち姿があまりにも不自然で、私は思わず足を止めていた。


校門を抜ける生徒たちは、誰一人として彼女に気づくことなく、通り過ぎていく。

まるで、彼女がこの場所に存在していないかのように。


私は、声をかけようかどうか、迷った。

でも、ふと目が合った——気がした、その瞬間。


彼女がはっとしたように目を見開いたのが見えた。

そして次の瞬間、踵を返し、小走りで逃げ出そうとした。


「……あっ、待って!」


私は反射的に呼び止めていた。

声が届いたかどうかはわからない。けれど、彼女の動きがほんの一瞬だけ、遅れた。


その隙に、私は二、三歩駆けて追いついた。


「ごめんなさい!怪しい人だなんて思ってないから、ただ……困ってるのかなって……」


息を弾ませながらそう伝えると、彼女はゆっくりと振り返った。

その目に浮かんでいたのは、警戒心と戸惑いと、そして、何か……深い後悔のようなものだった。


「……あの、変な人に見えたよね。ほんと、ごめん。逃げようとしたの、咄嗟だったの」


首をすくめるようにして笑った彼女の声はかすかに震えていて、どこか儚かった。

目元に隠しきれない疲れがにじんでいる。


「誰かを、探してるの?」


私がそう聞くと、彼女はわずかに瞳を揺らし、唇を噛んだ。


「……うん。あの、遼くんを……」


遼。

その名前を聞いた瞬間、胸の奥が静かに震えた。


時間が止まったように感じたのは、気のせいではなかった。


彼女は、続けた。


「……遼くんに、謝りたいことがあるの。ずっと言えないままで……でも、今なら、少しは、ちゃんと……」


声はしぼんでいき、最後の方はほとんど聞き取れなかった。

けれど、伝わった。

“ただ謝りたい”だけではない、もっと深い気持ちがそこにあることも。


私は、慎重に息を吸ってから、問いかけた。


「……もしかして、遼が“前に付き合ってた”って言ってた人ですか?」


彼女は驚いたように目を大きく見開いた。

まるで思いもよらなかったことを言われたような反応だった。


「……知ってたの?」


私は、ほんの少しだけ躊躇いながらも、うなずいた。


「ええ……少しだけ。前に話してくれたことがあって」


その言葉を聞いた彼女は、ふっと息を詰まらせるように目を伏せた。


「ああ……そうだったんだ。遼くんが……私のこと……」


言いかけて、言葉を飲み込む。

指先が、袖の中でぎゅっと握られていた。


「私、本当に最低だった。……遼くんは、私に“全部”話してくれたのに、私は、軽く扱ってしまった……」


彼女は、言葉を選ぶように、ゆっくりと吐き出していた。

その一語一語が、自分を罰するように、慎重に、丁寧だった。


そして、ふと顔を上げて私をまっすぐに見つめた。


「……じゃあ、遼くんに“前世の記憶”があることも、知ってる?」


その瞬間、私は全身が強張るのを感じた。


空気が、変わった。


「……ぜん、せ……?」


私は、声にならない声をこぼした。


前世という言葉の重み。

その非現実的な響き。

まるで異世界の物語を読みかけの本の中から突然引っ張り出されたような衝撃。


「……どういうこと?」


口にしてから、自分の声がほんのわずかに震えていたことに気づいた。


彼女は、私の動揺に気づいたのか、小さく唇を結んだ。

まるで、続きを言うべきかどうか、逡巡しているようだった。


しかし、言葉が交わされる前に——


「……何を話してるの?」


背後から、遼の声がした。


その声は低く、落ち着いているようで、どこか張りつめていた。


私は、振り返ることができなかった。

名前を呼ばれたわけではないのに、まるで心の奥まで見透かされたような感覚があった。


彼がそこにいる——

そう思うだけで、全身が緊張に包まれる。


ゆっくりと振り向くと、遼が、ほんの数メートル先に立っていた。


制服姿。髪が風に揺れている。

表情は……読めなかった。

けれど、その目だけが、わずかに鋭く光っていた。


光と影の間にいるような佇まいだった。


言葉をかけるべきか、黙っているべきか。

その選択肢すら、私の頭の中から消えていた。


ただ、彼の声が、彼の存在が、私の中のすべてを支配していた。


沈黙が落ちる。


どちらから先に何を言うべきか、言葉の順番を間違えたら、この空気はすぐに崩れてしまう——

そんな感覚が、私の口を閉ざしていた。


そしてその沈黙のまま、私は思った。


いま、ここから、何かが始まってしまう。

あるいは、ずっと続いてきた何かが、ようやく終わろうとしているのかもしれない——と。

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