妖怪妙ちきりん堂

明日乱

一 稚児の手 その一

 人間は誰もが妖怪の声に耳を傾けることができる。


 どれほど時代が流れようと、人は何気ない日常に願いや思いをかけてきた。

 挨拶や会話など当たり前に交わされる言葉の中、起きてから寝るまでの日常生活で何気なく行う仕草や動作の中、くしゃみやしゃっくりなどの生理的現象や人の力が及ばぬ自然現象にまで意味をもたせてきた。

 それらは言霊やまじないとして、ごく自然に生活の中に溶け込んでいる。

 そして災いは妖怪という存在として、ごくごく自然に生活の中に在った。



 一 稚児の手


 時は明治時代。文明開化の名の元、町は西洋式の建物や文化であふれ、和様の物と入交り華やかさを増す。人々が行き交い、活気のいい商店が並ぶメイン通りに一人の男が馬車から降り立つ。

 スマートな体に合わせてあつらえられたスーツ。スタイリッシュに決めたヘアスタイル。まさに色男と呼ばれるにふさわしいその男は、上品な上に爛漫と咲く花のようなオーラを放つ。色男の名は藤堂雅晴とうどうまさはる

 雅晴が女性たちの視線をくぐり抜け向かうのは、白く洗練された内装の呉服屋でもなく、甘ったるい匂いがそそる菓子屋でもない。しゃれた西洋風の店の横に続く狭い路地。慣れた風に路地裏へと足取り軽く入っていくと、そこには学校終わりに子供たちが集まる駄菓子屋、カラフルな万華鏡のような櫛やかんざしが目を引く髪飾り屋が軒を連ねていた。

 

 その一角に雅晴の目的地があった。。

 骨董屋「千希林堂ちきりんどう」。

 千希林堂のおもてから中を覗くと、骨董屋には似つかわしくない光景が広がる。店内には女性が集まり、鮮やかな着物が寄り合う。まるで水風船や屋台の金魚のようにふわふわひらひらと心踊る女性たちの中心にいるのは、これはまた妖艶な風貌に派手な色の着流し姿の男だった。

 絹のような銀色の髪に深い紫色の瞳は他の人間と比べても異質だった。しかし、男の端正な顔立ちと所作がそれらをも魅力とさせていた。

紫雨しうくん! おっと、これは時間を改めた方がよさそうかな?」

 雅晴の声に振り向いた女性たちが声の主を視界にとらえると、眼と頬が熱をおびる。

「すなまいが数時間は戻ってこなくていい」

「またつれないことで。じゃあ一時間ほど大通りの喫茶店で時間をつぶすよ。あそこのあんみつ最高に美味しいって知ってた?」

 早く出ていけと言わんばかりの視線に雅晴は手を振って退散する。

 ここ千希林堂の表看板は骨董屋、だが実質は占いどころとなっている。店には毎日女性客が集まり、占いに熱をあげる。そしてまた女性客たちはここに多種多様な噂話をもってきた。

 占いどころというのもまた実は表の顔であった。

 

「本当に女の子っていうのは占いが好きだね」

 客がひいた頃、千希林堂に戻ってきた雅晴は骨董品の手入れをする紫雨の前に腰掛けていた。紫雨は蘭が描かれた瑠璃色が美しい、丸い陶器の花瓶を丁寧にぬぐう。

「どうして堂々と占い屋をやらないの? 骨董屋のふりなんてしちゃって」

「一応占い禁止令が出ているんだ。このご時世大々的にはできないだろう。それに本業のこともあるから目立ちたくない」

 「もう目立っているのでは」と、雅晴が紫雨の顔を眺めている。

「それより、綾子様にフラれたそうじゃない。

 ――藤堂雅晴子爵?」

「その呼び方やめてよ。父上はまだ隠居してないし、現役も現役、ぴんぴんしているんだから。振られたのは確かだけど」

「一応次期当主でしょ。君のような人がこんな路地裏の骨董屋なんかに頻繁に出入りされたら目立ってしょうがないよ」

 目立った着物姿と顔立ちをしているくせに「目立ちたくない」という友に、いよいよ雅晴は笑いをかみ殺した。

「安心して。馬車はテーラーの前に停めて来た。家令はそこにおいてきてる。俺はそこにいることになってる」

「君ってば……」

 呆れ交じりの言葉を吐き、紫雨はまた骨董品の手入れに専念しだした。

「ところで今回の依頼はね、綾子様の母親である長谷川藤子とうこ様からなんだけど」

「まだ長谷川家に関わるの? あまり追いかけると本当に嫌われるよ」

「しょうがないじゃない。紫雨の噂をお聞きになられて、藤子様からじきじきに頼まれたんだよ。――妖怪がでたって」

 妖怪という言葉に紫雨がピクリと反応する。仕方がないといったように小さくため息をつくと、依頼内容を話すように促した。

「先月あたりからかな。お屋敷の天井から手がにょきっと現れるんだって。しかも長谷川定徳さだのり伯爵の寝室に限って。寝ている時に毎日毎日手が天井から伸びてくる。さすがに定徳殿も藤子様も気味悪がられてね。それで君になんとかしてほしいって」

「その手は何か悪さをするの?」

 紫雨が手入れの手を休める。

「いや、ただ伸びてくるだけらしい」

 顎に手を当てた紫雨がしばらく考えを巡らせる。

「それじゃ、さっそく行ってみようか。今晩」

「今晩!?」

「別に雅晴は来なくてもいいよ」

「いや、行くよ。もちろん。出来損ないは暇なのさ。さっそく藤子様には連絡を入れておく」

 「そんなヒマ君にはないでしょ」と制止する言葉を飲み込んだのは、紫雨もまた雅晴との時間に期待しているからかもしれない。

 

 夜も更けた頃、二人がやってきたのは長谷川家の邸宅。迎えてくれたのは女中のトメノだった。トメノが客間へと案内する。二人は先に客間にて藤子を待った。

「雅晴は綾子様に会ったら気まずくないの?」

「あれ? もしかして心配してくれてたの? せっかくだけど、そんな険悪じゃないよ。この世界じゃよくあることだよ」

 雅晴があっけらかんと返事をしたところで部屋のドアが開かれる。綾子の母親であり今回の依頼人、長谷川藤子が姿をみせた。

「雅晴さん、紫雨さん、わざわざ来ていただいて悪かったわね」

「いえ、依頼とあればいつでも。ところで例の手が出る部屋というのは、定徳様の寝室と聞いておりますが」

 藤子は手の事を聞くと顔色を悪くする。よほど参っているようにみえた。

「大変無礼を申し上げるのですが、今日一日定徳様のお部屋をお貸しいただけませんか? 妖怪をこの目で見れば解決策を講じられるかもしれません。寝床は床で構いませんので」

「もちろん。主人にも話しております。どうか、あの気色の悪いモノをどうにかしてください」

 分かりましたと紫雨が藤子に告げる。藤子がその旨をトメノに話すと、トメノはテキパキと支度をし、二人を定徳の部屋へと案内した。部屋にはすでに心ばかりの簡易ベッドが二つ用意されていた。

「雅晴もここで寝るの?」

 驚いて雅晴を見ると、こちらもテキパキと荷物をほどいている。藤子が気を利かせ、雅晴付きの使用人をすすめたが雅晴は断っていた。

「次期藤堂家当主がこんなにも自由で大丈夫なの?」

 紫雨の嘆きの言葉も雅晴は気にする様子はなく機嫌よく準備に取り掛かっていた。

 

 定徳の部屋の中、夜が更けるまで二人はたわいもない話をしたり、本を読んだりと時間をつぶしていた。やがて屋敷内も寝静まったころに、いよいよ紫雨が部屋の明かりを消さんと立ち上がった。

「さて、寝支度をする前に。紫雨、散歩に行かない?」

 雅晴の踊った瞳が紫雨を見つめている。いつもの突拍子もない提案に紫雨が呆れる。今は仕事でここにいるというのに。人様の、しかも伯爵家の家を勝手に散策とは身の程知らずもいいところだ。それでも雅晴は大丈夫大丈夫と紫雨を無理やり連れだした。

 さすがは元縁談相手の家。今は決裂してしまったが、雅晴にとっては勝手知ったる他人の家である。こそこそと移動する雅晴についていくと、屋敷の外にある広い庭に出た。広い敷地内の庭だけあって、敷地の外の音が入ってこない。しんと静まり返った空気が気持ちいい。

「紫雨、見て」

 雅晴が指さした空を見上げると、煌々と光る月と、満天の星空が目に飛び込んできた。これには紫雨も驚き、うっとり見惚れる。

「ここから見える夜空はここら一帯で一番綺麗なんだ。これがなかなか見られなくなるのは、ちょっと残念かな」

 屋敷の明かりも消え、暗闇に月明りだけが差し込んでいる。

 月の光に照らされ、紫雨の銀色の髪がキラキラと煌めく。同じ色をした睫毛を携えた目は、たくさんの星をとらえていた。紫色の瞳が深い夜の空を吸いこんでいる。紫雨が瞬きをするたびに光をはじき、まるで星屑が飛び散るようだった。

 雅晴は夜空ではなく、紫雨の横顔をじっと見つめる。

「紫雨は本当に幻想的だよね」

 雅晴の言葉とは裏腹に、紫雨は怪訝そうな顔をする。

「君に褒められるのは苦手だと何度も――」

「ごめんごめん、そうだったね。でも悪気はないんだ」

 二人が空を見上げていると、敷き詰められた芝生にぽわぽわとわたぼうしの様なものが光り、浮かびだした。それもあちらこちらに、ふわふわと。

「うわ、何何!? これも妖怪!?」

「大丈夫だよ、害はない。この家の繁栄のしるしのようなものだよ。敬愛の念が集まってきて住み着いているんだ。それにしても、雅晴は本当にね」

「ああ、俺もそんな幸運の妖怪なら憑いていてほしいよ」

 「気付いていないの?」とでも言わんばかりに、紫雨が丸くした目を雅晴に向ける。

「雅晴は出会った時からずっと巻きついてるよ」

「何が?」

「蛇が」

 ぎょっとして雅晴が脇の下や背中を大げさに確認する。その様子をみて、紫雨がふっと笑う。

九十九神つくもがみ。もうじき龍に変化へんげする偉大な妖だ。雅晴はちゃんと守られているよ」

 雅晴が安堵のため息をついた。

「いろんなモノが見えるくせに、その蛇は見えてないんだね」

「そういうもんでしょ。周りの事は見えても、自分の事は見えないものだよ」

 そういうものかと、紫雨が再び夜空に視線を向けた。

 少しの時間星明りを楽しんでいたが、「そろそろ体も冷えてきた」と二人が身を震わせると屋敷の中へと戻っていく。

「ごめん、用を足してから部屋に戻る」

 雅晴が謝るや否や部屋とは反対方向へ行ってしまったので、紫雨は一人部屋に戻ろうと踵を返す。その時だった。廊下の影から突然人影が現れた。

「綾子様?」

 紫雨の呼びかけにしっと人差し指で口元を抑えると、綾子が廊下の隅に紫雨を招いた。綾子が小声で紫雨に話す。

「紫雨さん、驚かせてしまいすみません。初めまして、長谷川綾子です。実は、雅晴様のことでご相談が――」

 

 紫雨が部屋に戻ると、すでに雅晴がベッドに転がっていた。

「なんで紫雨の方が遅いの。もしかして迷っちゃってた?」

「うん、少しね」

 紫雨もベッドに腰を下ろす。

「今日も出てくるのかな? 例の手」

「どうだろうね。でも出てきてくれないと、解決策が見出せないな」

 部屋の明かりを消すと、仰向けになりじっと天井を見つめた。

 幾刻か過ぎたころ、雅晴はすっかり寝息を立ててしまっている。その静かな部屋の中、紫雨が何かを感じ取る。すると天井から白く淡く光る手が現れ、伸びてきた。それも一本ではなく何本も。紫雨が雅晴を小突き起こす。

 寝ぼけた雅晴が薄目を開け、寝ぼけ眼に天井を見る。

「うわっ。本当に手が伸びてる。しかもこんなにたくさん」

 手が二人の元まで伸びてくる。しかし触れるでも危害を加えるでもない。ただその存在を露わにしていた。

稚児ちごの手――か」

 雅晴がちらりと紫雨を見遣る。紫雨が薬指と小指を親指に合わせ丸を作る。それを口元へもっていくと丸の中に息を吹きかけるように小さく言葉を放った。

「いちばん ウツ

 雅晴がその見慣れた一連の行動を見守る。天井から伸びた手に言葉が吹きかけられると、一度波打った何本もの手がするするっと天井へと戻り消えていった。

 身を守るように布団をかぶり、頭半分を出していた雅晴が辺りを見回す。

「え、もしかして今ので終わったの?」

「いや、少し引っ込んでもらっただけ。雅晴、妖怪にはね、現れる原因が必ずあるんだよ」

 紫雨は手が消えていった天井をまっすぐに見つめる。

「――さ、今日はもう寝よう」

「え! この状況で? 興奮して寝れないよ」

 騒ぐ雅晴の横で紫雨は静かに目を閉じると、ゆっくり眠りに落ちていった。

 

 一晩を長谷川家で過ごした明け方、二人は藤子に挨拶をして屋敷を出た。雅晴が用意してあった馬車へと向かう。どこか楽し気なその背中から目線を外し屋敷の玄関を振り返ると、ちょうど定徳が家を出るところだった。見送っていたのは妻の藤子。家令がきちんと締めたはずの定徳のネクタイを藤子が直している。その姿が、紫雨の目に甲斐甲斐しく映る。

 そんな夫婦の日常から視線を外すと、うきとして馬車に乗り込む雅晴に声をかける。

「僕は今から調べたいことがあるから、ここで」

 そう言って紫雨が踵を返そうとする。

「待って待って、俺も行くよ」

「雅晴はやらなきゃいけない事がたくさんあるでしょ。家のこととか」

「だから出来損ないは暇なんだって。大丈夫、実は数日空けてもいいように、仕事は片づけてきてある」

 出来損ないといいながらやるべき事をぬかりなくこなす。この男はなぜ自分を卑下し、なぜ今の立場に甘んじているのか紫雨には分からなかった。本当は出来る男なのに。そう思っていながらも素直に伝えることがむず痒く、紫雨はいつも口を噤んでしまう。

「今から行くところ、雅晴は来ない方がいいと思うよ」

 あしらうように紫雨が諭すも、雅晴は聞く耳をもたずに馬車に乗り込むと、紫雨に行先を尋ねた。

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