第25話 深窓の令嬢、おおあわて。

「ところでドク。――わたくし、思うことがございますの」


 扇子をさっと開いて口元を隠し、鋭い声色でイマはヨーズアへ言った。


「ペペイン邸を造れていないって言うんでしょう」

「――ドクは脳内も透視できるのですか⁉」


 ある晴れたうららかな日の朝、二人にそんなやり取りがあった。

 ペペイン温泉とその保養所『和み苑』が良い出発をし、あとは現場の人々へ委ねればいい状況になったときだ。


 弁護士のドリース氏は、経営上の小難しい事務仕事――定款や開業届、登記などのもろもろ――を、手早く片付け「じゃ、おつかれさまでしたー」と言いながらさくっと帰ってしまった。いちおうイマの顧問弁護士になってくれたようで、なにかがあればまた駆けつけてくれる。


 いろいろあった温泉周りの問題が一気に片付き、イマは当初の目的を思い出した。


「イブールへ来たのは、愛するペペインを推すため、ですのよ!」


 イマはすぐさま、アメルン工務店の建築士であるウッツ氏に連絡をとった。保養施設だけではなく、ペペイン邸を建てるのにもふさわしい土地を選定してもらおうと、かなり前に彼へ依頼していたのだ。

 ウッツ氏は「ご連絡、お待ちしていました」とやって来た。そして応接間の席に着くなり、報告してくれる。


「もちろん、候補地は選定しました。いちおう四箇所ですが、それぞれハイモの測量と地質調査も終えたばかりです」

「すばらしいわ! ありがとうございます、ウッツ様!」


 イマは手を叩いてよろこんだ。ウッツ氏がにこにこしながら、カバンから一枚の紙を取り出してイマへ差し出した。


「たぶん、気に入っていただけると思うんですが。これ……どこか、わかりますか?」


 イマはその地積測量図を受け取り、まったく衰えのない視力の目を、さらにこらして図面をすみずみまで見た。


「……………………どこでしょう?」

「そうですね、住所を見ていただければ、わかるかもしれません」


 言われた通り、イマは文字情報をじっと見た。

 そしてわからなすぎて、首を振りつつ隣に座っているヨーズアへ、その紙を渡した。


「――この屋敷と同じ住所ですね」

「えっ」

「そうなんです!」


 ウッツ氏は本当にうれしそうに「なんと、ライテ丘の土地、しかも、お屋敷のすぐ裏手です!」と言った。

 イマは思わず「きゃああああ!」と声をあげて立ち上がった。


 さっそく現地を見に行く。現地と言えど、屋敷の庭から行ける場所だ。

 すでに測量が済んでいることを示すように、要所要所の地面に杭が刺さっている。風に揺れる草花の合間を抜け、ほんのりと湯の香が漂ってくる。露天風呂からもすぐの場所だからだ。


「ここは、町の所有地なんです」


 ウッツ氏が得意そうに、そしてどこかうれしそうに言った。


「でも、イマお嬢様がぜんぶ僕に任せてくれたので……すでに町とは交渉が済んでいます。和み苑のこともあり、町長が例外的に個人譲渡を許可してくださいました」

「まあっ……! 町長様、なんてご理解のある……!」

「あの人『町に活気を』が口癖でしたからね。町長になったときの公約もそれですよ。やっと形になりそうで、うれしいんですよ、きっと」


 ウッツ氏のその言葉に、イマもうれしくなってしまった。

 もちろんイマの脳内ではメイドの手により二次創作の登場人物化された町長が思い浮かんでいる。その妄想によると、どこかペペインを思わせるがっしりとした体格のイケオジだ。

 なんて感動的なことだろうか。


 イマは胸元で両手を組み、今はまだなにもない、野花だけの土地を見ながらうっとりとつぶやいた。


「……ついに、ペペイン邸が。しかも、わたくしの屋敷のそばに……」

「許可をいただければ、ベルントさんたちとも、話をつけてきます」

「もちろんです! すぐにとりかかっていただけますか?」


 話はトントン拍子に進んで行く。ついにイブールへ来た当初の目的を成せる、とイマは感激した。


「ようやく夢が叶うのですね……長い道のりでしたわ」


 自室へ戻り、イマが感慨にふけっていると、ヨーズアが「その前に、現実のご対応を」とイマの目の前へ封筒をかざした。


「お手紙です。親展で」


 受け取った封筒の表面には、たしかに『親展』と印が押されている。


「親展? 親族の……展覧会?」

「なんでそうなるんですか。受取人本人以外が開けて読むんじゃねえよ、って意味です」


 イマは差出人を見た。両親の名前が連名で入っているが、流麗な文字は母のものだ。その場で封を切って読む。

 とても心配している、という内容が細かな字でびっしりと書き込んである。二枚目へ移ったときに、イマは「……へ?」と声をあげた。首を巡らせてヨーズアを見る。


「あの、今日、何曜日ですの?」

「水曜日ですよ」

「えっ」


 ヨーズアは椅子に座り、どうやら自分にも来ていたらしい手紙へ無表情に目を走らせている。そして「ああ、明日ですね」と言った。


「えっ、あの」

「ファン・レースト議長と、奥様――あんたのご両親が来るってんでしょう。到着予定日は木曜だから、明日ですね」


 淡々とした言葉は手紙を見ながら発せられたので、ヨーズアへの手紙も、おそらくイマの両親からのものなのだろう。


「えええええええええええ⁉」


 イマの脳内を占有していたペペイン邸の建築計画とその後のたのしい妄想など、吹っ飛んでしまった。思わず立ち上がった際に椅子が倒れる。


「ど、どうしましょう⁉ お父様とお母様が……いらっしゃる⁉」


 もてなし準備の時間が、ない。イブールがとてもすばらしいところだ、と知ってもらわなければならないのに、とイマは蒼白になった。

 ヨーズアは手紙を封筒にしまいながら、やはり冷静に言った。


「少なくとも、そこの壁の、鍋つかみを打ちつけてあるのは、剝がしましょう」

「――なんですって⁉ ペペインが実際に用いていたものの、正確な模造品ですのよ⁉」


 屋敷は、イマの「お父様と、お母様をお迎えしますわ!」の号令で、大掃除と出迎え準備へと突入した。


 メイドに男女の使用人、庭師にコックたち。すべてが戦闘態勢を整え屋敷敷地内を駆け巡っている。ドタンバタンと、各所で大きな音がした。それはそうだろう。仕える者たちとしては、田舎に来て羽根を伸ばしきっていたところ、急に給与査定のための監査が来るようなものなのだ。だれしも必死の形相だ。

 それを階段の上から重々しい表情で眺めながら、イマは小声でつぶやいた。


「……お母様たちに、はしたない生活、と思われたらどうしましょう」

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