第20話
第20話「静かなる兆候 ― 工作の影」
本社、地下第3会議室。
迷宮開発部・調査管理課の一角では、Fチームの出張任務から回収された各種ログの再解析が進められていた。室内には、動態解析班の研究員、技術班、探索課の選抜者たちが集まり、幾つかの端末を囲んでいた。
「このマナ密度、やはり異常ですね。周辺環境の変動もログ上は継続的に増幅しています」
青木志麻が表示された分布マップを指しながら言った。周囲の研究員も、頷きながら表示を切り替える。
「定着種の群生範囲も広がってます。これはもう局所的な“環境再編”が始まっていると見ていいでしょう」
「……となると、“何者か”が、意図的に階層バランスを崩している可能性も否定できませんね」
誰かのその呟きに、場が一瞬静まった。
それは軽率な推測ではなかった。迷宮における階層環境の崩壊──すなわち《にじみ出し》や《迷宮氾濫》が自然発生だけでなく、人工的な干渉によって引き起こされる可能性が、過去の事故から示唆されていたからだ。
「……だが、証拠は?」
須藤祐也が冷静に口を開く。
「工作なら、何かしらの“痕”が残るはずです。高負荷の装置起動ログ、マナ流出経路の痕跡、発掘ルートの異常拡張……それがなければ推測の域を出ません」
「そうですね。けど逆に言えば、“痕跡が消されている”ならどうです?」
別の技術員がデータを呼び出す。そこには、探索ログ上で“本来記録されるはずの地点”が、まるごとログに空白として残っていた。
「これ、座標上は存在していたはずのスキャン領域です。けれどログが――抜け落ちてる。アクセス不能だったわけでもないのに」
(……意図的な改ざん。あるいは、ジャミングの痕……?)
三崎の脳裏に、過去の任務で体験した“記録消失”のパターンが蘇る。
彼は静かに、モニター越しに問いかけた。
「この欠損箇所……物理的な障害や誤作動では説明がつかないと?」
研究員は頷いた。
「はい。解析中の波形には、“人工的なノイズ処理”が疑われる信号も混じっています。少なくとも、自然の歪みだけではあり得ないデータです」
その言葉が意味するのは――“何者かが”迷宮の内部に干渉している、という事実だった。
会議室内の空気が緊張を帯びる。
「この件、上層部に……?」
主任が頷く。
「すでに報告済みだ。“特殊対応班”にも共有された。必要があれば、そちらの調査も動くことになる」
三崎の視線が一瞬だけ鋭さを帯びた。
(……荒事専門の連中か。あの班が動くなら、裏は相当黒い)
三崎の端末に、通知が一つ届く。
【通知:
(……早かったな。だが、動く理由は十分ある)
地下の会議室に静かな緊張が走るなか、誰もがこの事態の“次”を予感していた。
迷宮の歪みの影に、確かに“人の意志”が見え隠れしている。
森林型第4層――午後14時12分。
迷宮レイヤーへの再調査チームが派遣されたのは、異常ログの提出からわずか半日後だった。
今回は小規模編成の再調査。Fチームの一部に加え、現地技術員、そして《クリムゾン・セクション》の非戦闘要員が同行する形となった。
「……この座標だ。波形ログの空白域」
須藤祐也がモニター端末を覗き込みながら呟く。
そのすぐ脇で、日比野 翼が愛用のショートソードをゆっくりと抜いた。湿った風が、赤茶けた樹木の間を抜けていく。
「嫌な感じがする。音が、足りない……」
日比野の視線が周囲の枝の上、葉の揺れ、そして地表の苔までを細かくなぞる。
「モードB、起動。範囲指定……半径50メートル」
三崎が《計数解析(シンキングスコープ)》を起動すると、数値の波が視界に立ち上がった。微細な振動、熱源、マナ分布、気流のねじれ。すべてが、通常より鈍い。
「……妙だな。振動が“圧縮”されてる。波形が潰れてる感触がある」
三崎が呟く。
「圧縮?」
須藤が目を細める。
「それ、スキャン妨害か……“死域”化の兆候じゃないか?」
「まさか、封鎖式でも埋め込まれてるんじゃ……」
志麻が警戒した声を漏らした。
まるで“この一帯だけ”、意図的に迷宮から切り離されているような、空白のような場所。
「手分けして、軽く周囲を当たろう」
三崎の判断で、周囲20メートル圏をそれぞれ確認する形で散開する。
日比野は、足音を消すように草地へ踏み込んだ。
――その瞬間だった。
「……ん?」
茂みの陰に、何かが転がっている。
黒ずんだ防具。腕が伸びきったまま、ぴくりとも動かない人影。
「死体……!? だが、まだ――」
日比野が身を屈めた瞬間、三崎のスキルに一つの“数値”が立ち上がった。
(……まずい!既にexpの揺らぎがない!)
すでに“還元”が始まっている。迷宮において、生命が絶えたものは放置すればexpへと分解される。この反応があるということは――
三崎が駆け寄る頃には、すでに死体の輪郭がぼんやりと崩れ始めていた。装備は一般的なフリーランス用。企業所属ではない。
死体の姿は数分もしないうちに、expの粒子に分解され、迷宮の“資源”として還っていった。
「間に合わなかったか……。誰かに“殺された”か? 偶然……ここで?」
「あり得ない。このログの欠落範囲、“偶然”にしては出来すぎてる」
須藤が低く呟く。
「情報操作……この場所に、誰かが“来てほしくなかった”のかもね」
風が吹いた。木々がざわめく。
証拠は、もう残らない。
だが、何者かがここにいたという確かな実感だけが、四人の胸に重く残っていた。
(これは……偶然の事故じゃない。“工作”だ)
三崎の中で、確信が生まれた。
迷宮は、ただの天然の資源ではない。
そこに“人の意志”が介在すれば、どこまでも濁っていく。
そして、レイヤーズ・テクノロジーの利権を狙う他者が――
すでに“中”へ手を伸ばしている。
――――――
迷宮からの帰還処理は、いつもと変わらない形式で進んだ。
だが、Fチームの4人の間には、黙したまま交わされる視線があった。
「……死体の件はどう報告する?」
日比野が、端末のロック画面越しに小声で尋ねた。
三崎はわずかに首を振る。
「通常通り処理済みとして記録する。だが、俺から直接報告する項目を分けて出す」
「なら、あたしは素材関連だけ。現地座標の植生変化についてだけ記録するね」
志麻も了承の意思を見せた。
須藤は、すでに端末上で独自のログ抽出を開始していた。
「現地波形、少し編集しとく。exp分解の発生時点だけ強調すれば、あれが“事件”だったとわかる」
彼の言葉に、三崎は小さくうなずいた。
Fチームは、それぞれの報告を完成させた後、迷宮区画から退室した。
その夜、三崎の個人端末に**“直通の音声通話”**が届く。
――送信元:【
「……出てくれたか。三崎一郎」
落ち着いた、だがどこか“試すような”低音の声。
「今日の再調査。お前らが見つけた“死体”、ちゃんとログで確認した」
黒瀬の声音には、明確な“含み”があった。
「――あれは偶然じゃない。分かってるな?」
「……そうだな。迷宮に『死』を持ち込んだ奴がいる」
三崎の返答に、通話の向こうで小さく笑うような息音が漏れた。
「気づいてて安心したよ。ま、俺も上に黙ってたしな。少なくとも、正式な“事件扱い”にはなってない。お前が変な報告してたら、抹消されてたぞ」
「それは“脅し”か?」
「……いや、警告だ」
一拍の間。
「お前のスキルと、判断力。評価されてる。だからこそ、これ以上首を突っ込むなら――“準備”をしとけ」
通話は、それだけで終わった。
(……クリムゾンが動いてる。そして、俺らを“マーク”してる)
黒瀬の言葉にあった“含み”が、ただの忠告でないことを三崎は理解していた。
彼は、おそらく知っている。
――“どこの誰が”、今回の“死体”を生んだのか。
そしてそれを、まだ社内の誰にも伝えていない。
翌日。
研究課からの共有ログに、微細な空間圧力変動が追記されていた。
「現地座標、空間密度が数値的に“凹んでいた”らしいわよ」
志麻が端末を見ながら呟いた。
「おいおい、空間が凹むって、それ……」
「“座標の薄層化”だ。裂け目や転送ポケットが形成される前兆とされてる」
須藤が補足する。
三崎は黙って端末を閉じた。
(――誰かが、迷宮を開けようとしてる)
目には見えない“操作”が、着々と進んでいる。
その先に何があるのか、まだ全貌は見えない。
だが、その中心にいるのは、明らかに人為的な意思。
迷宮は、もう“自然”ではない。
誰かの手が――その奥へ潜っている。
―――――――
【CHIPS:迷宮内行方不明と暫定死亡届の処理】
迷宮内は極めて特殊な環境であり、通常の法制度や捜索体制が通用しにくい領域でもある。
そのため、行方不明者の扱いと死亡認定の基準については、独自の社内・業界制度が整備されている。
■年間行方不明者数
迷宮を扱う企業団体(いわゆる「迷宮株式会社(迷株)」)が共同で管理している統計によれば、
国内の主要ダンジョン(42施設)において、年間でおよそ300〜450名の行方不明者が発生している。(各迷宮の規模・危険度により変動)
■入退場記録と「暫定死亡」届出制度
迷宮の出入口では、探索者ごとに個別の入退場記録が義務付けられている。
この記録をもとに、以下の条件に該当する場合、**「暫定死亡届」**が提出される。
◆ 暫定死亡届の条件例:
・入場から72時間以上連絡不能
・出口ゲートへの転送履歴が存在せず、端末ログも断絶
・探索者からの証言または映像ログにより「死亡の可能性が高い」ことが確認されている
この制度は、探索者の家族や保証人に対する保険金処理/補償金の支払いにおいて重要な役割を果たしている。
■備考:行方不明者の記録保存義務
各社は迷宮事業法に基づき、行方不明者の探索ログと位置情報断絶点を最低3年間保存する義務を負っている。
これにより、後年の階層調査・遺族による請求・他事件との照合が可能となる。
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