第6話
第6話 「小隊任務 ― 支援と対立」
三崎が新しい職場に就職してから数週間が経った。
探索一課の朝は、いつもと変わらぬ喧騒から始まる。
だが、その中で一つだけ、目立たぬ通知音が静かに鳴った。
端末に表示されたのは、新規任務の割り当て通知。
【任務番号:S1-2043】
【任務区分:第二階層/局所調査任務(標準危険度)】
【構成:探索者×2/支援班×1】
【参加者:三崎一郎、葛西陸斗、南雲正二】
(……葛西さんと南雲さん)
画面を見つめたまま、三崎はわずかに眉をひそめた。
葛西は、同期組の探索者。寡黙で真面目、物静かながら基礎はしっかりしている男だ。
一方、南雲は支援班の中堅格。ログ管理と後方分析を担当しているが、やや上から目線の態度が鼻につくタイプでもある。
(……まあ、現場を回す上では必要な相手だ)
机の端に置かれたメモパッドに、簡単な準備リストを記すと、廊下を挟んだ課長室のドアが開いた。
「三崎。ちょっと」
川崎優香が、目線だけで彼を呼び寄せた。
課長室の扉が閉まると、川崎は無言でタブレットを一枚差し出した。
画面には今回の任務に関する補足情報と――あるメモが添えられていた。
【本任務は支援班との連携観察を目的とする。】
【三崎の判断力および状況対応力を“現場対応型の基準”に照らして評価予定。】
「つまり、そういうこと。今回は“目”が入ってる」
川崎は、あえて軽口のように言った。
「見られてるんですね。何を見られてるかも、わかっています」
「いい返事」
川崎は少しだけ笑った。
その視線は、どこか“試験官”のようでもあった。
「支援班に関しては……まあ、構えるなとは言わないけど。記録がすべてよ。あなたはあなたの仕事をして」
「了解しました」
三崎は軽く頭を下げ、部屋を出た。
支援班――現場の神経系であり、時に足を引っ張る存在。
任務開始の前から、空気は重くなりつつあった。
彼が休憩室でコーヒーを入れていると、背後から声がかかる。
「よぉ、“評価Aマイナス”さん。今日も期待されてるみたいだな?」
振り返ると、南雲が口の端を吊り上げて立っていた。
皮肉とも冗談ともつかないトーン。
「記録が残っているだけです。実力が伴うかは、まだわかりません」
「へぇ。そういう謙虚さ、どこまで続くかな」
言葉を残して去っていく南雲の背中を見ながら、三崎は一つ息を吐いた。
(……さて。今回は、“見る側”にいるつもりはない)
端末に指を走らせ、装備リストとスキルチェックリストを確認。
そして、袖をまくって手首を露出する。
「《計数解析》」
声に出して、静かにスキルを起動する。
視界に、淡い数値の波と熱源の点が現れる。
感覚が一段、研ぎ澄まされていくような気がした。
(行くぞ)
三崎一郎、見習い探索者――
本格的な“立ち位置”の戦いが、始まろうとしていた。
⸻
【CHIPS:探索任務の編成と階層指定とは】
ダンジョン探索業務は、その性質上、常に危険と隣り合わせである。
そのため、迷宮株式会社では独自の任務編成制度と階層別危険度マトリクスに基づき、任務割り当てと小隊編成が行われている。
任務は大きく「調査」「回収」「警戒」「駆除」「護衛」などの目的に分類され、各目的に応じた標準構成と必要人員が定められている。
例えば、第二階層の“局所調査任務”であれば、探索者2名と支援1名の少数構成が一般的だ。
階層ごとの“危険度指数”もまた編成の指標となる。
第一階層は訓練用に整備された“準安定区域”、第二階層は“浅層探索向け”、第三階層以降は“戦闘を前提とした危険区域”とされており、層が深くなるほど、出現する害獣の強度や異常現象の頻度も上昇する。
これに対応する形で、任務には“構成自由度”が存在する。
優秀な支援班やスキル適性者がいる場合、探索者の人数を削減して効率化を図ることもある一方、経験の浅い班には逆に人数を多めに配する措置が取られることもある。
また、同じ任務でも、「監査付き」「評価観察付き」「試験任務」などの社内フラグが付与される場合がある。
これらは通常、内部でしか共有されない“非公開設定”であり、該当者にのみ知らされることもある。
つまり、探索任務とは単なる作業ではなく、
<社内評価・人事査定・教育制度>が複雑に絡み合った“多層構造”の場である。
⸻
第二階層――薄暗く、湿った空気が漂う迷宮の通路。
金属質の足音が一定のリズムで響く。
三崎、葛西、南雲の三人は、手元のマップと端末の座標を頼りに、指定地点へ向かって進行していた。
「目標区域まで、あと200メートル。左手に開けた空間があるはずだ」
南雲が表示デバイスを確認しながら、口を開いた。
その声は冷たく、指示というより“確認させてやっている”ような口調だった。
「通路の幅が少しずつ狭くなってきています。視界が切り替わる地点で、スキャンをかけたほうがいいでしょう」
三崎が補足するように言うと、南雲は一瞬、黙った。
「……あんた、支援側の仕事にも口出すんだな」
「出しているつもりはありません。必要と思った情報を共有しただけです」
(三崎は静かに応じたが、その態度は挑発とも受け取れる)
葛西が場をなだめるように、「まあまあ……」と小声で割って入った。
進行が再開され、やがて通路は大きな吹き抜けへと変わる。
三人の足元に、軽くひび割れた石床が広がっていた。
「空間展開……開始」
南雲が手首のセンサーを操作し、照明弾の投射指示を出す。
壁面に当たった光が反射し、奥の壁際に小さな影がうごめいた。
「動きました。左奥の物陰に、複数体の小型害獣」
葛西がすぐさま反応し、片膝をついて短剣を抜いた。
三崎も、一歩引いた位置からスキルを起動する。
「《計数解析》」
その瞬間、三崎の視界に数値の波が浮かぶ。
熱源反応、動作ベクトル、床の振動――複数の小さな反応が石床の下層からせり上がっていた。
「隠れているのは5体。左右に分散して、突進型。床下に空洞、踏み抜きの可能性あり」
「そっちの判断、裏取りできねぇけどな。現場では支援ログが基準なんだよ」
南雲が鼻で笑うように言った。
「なら、どうぞ。正面からどうぞ」
三崎が視線を上げずに応じた直後、葛西が前に出た。
「前衛、俺が受けます。三崎さん、後方サポートでいいですね?」
「了解」
言い終わるより早く、床下から跳ねるように獣影が飛び出した。
葛西が構えた武器で一体を受け止め、そのまま薙ぎ払う。
残りは左右から挟み込むように突っ込んでくる。
その時――三崎が短く言った。
「右三体。うち二体は、壁面跳躍」
葛西が動いた。視線だけでタイミングを合わせ、足元の石を滑るように蹴って間合いを詰める。
壁際に跳びついた一体が飛びかかる前に、葛西のナイフがその首筋を切り裂いた。
南雲の端末が反応を読み取り、数値ログを記録していく。
「……まさか、壁跳躍まで読んでたのか?」
「ええ。データ上の速度と動作間隔にズレがあったので」
三崎はそう言いながら、端末を閉じた。
支援ログを越えた“感覚と推論の組み合わせ”。
それが、迷宮で生き残る“現場適性”と呼ばれるものだった。
南雲は何も言わなかった。
代わりに、表情からほんの僅か、余裕が消えていた。
⸻
【CHIPS:ログ分析と支援データの信頼性とは】
ダンジョン探索において、<戦闘記録(ログ)>は事後の評価・査定における最重要データとされている。
探索者の動き、支援班の指示、スキルの使用タイミング、対象の反応などがすべて記録され、任務終了後には専用部署によって分析される。
特に支援班の支援精度は、この<ログデータ>によって厳密に評価される。
どのタイミングでどんな補助指示を出したか、予測は実際の動きと一致していたか、危険予測と対処に齟齬がなかったか――
これらは“秒単位のデータ比較”で明確に可視化される。
一方で、支援デバイスから取得されるログには限界があり、
現場での突発的な判断や空間把握、直感による動きなどは、数値として記録されないことも多い。
つまり、<支援ログ>はあくまで“標準化された指標”に過ぎず、
実戦における真の価値は、ログに現れない部分──
すなわち探索者自身の判断力・経験値・即応性など、“非数値的要素”にあるとも言われている。
そのため、実力者の間ではこうした言葉がささやかれることもある。
「ログが支援のすべてを語るなら、現場に支援班は要らない」
とはいえ、支援ログが採点評価や昇進査定に直結している現実もあるため、
若手や経験の浅い支援班にとっては、<ログ精度=存在証明>でもある。
こうした背景から、探索者と支援班の間にはしばしば“目に見えない緊張”が漂っているのだ。
⸻
任務終了後、三人は現場出口にある中継地点へ戻っていた。
簡易ベンチと補給ユニットが設置された待機所で、隊員たちが次の移動や報告を控える静かな空間。
しかし、そこにある“沈黙”は、無言の火花を孕んでいた。
「……さっきの判断、本当に“スキルの応用”で読んだってのか?」
南雲が不意に問いかけてきた。
声は静かだったが、言外に「認めたくない」が滲んでいた。
「《計数解析》の応用です。周囲の微振動と熱の分布、時間差。
それらが不自然だったので、動作予測を組み立てました。正確だったのは運が良かっただけです」
「ふうん……随分と“新人らしからぬ答え”だな」
(三崎は答えない。敵意に火をくべる理由がない)
葛西が話題を変えるように笑って言った。
「けどまあ、実際すごかったよ。あれで運が良かっただけなら、俺らはどうしろってんだ。
支援側も、正直あの情報なきゃ二体は抜けられてた。な?」
それは一応の“フォロー”だった。
しかし、南雲はそれに頷かず、視線だけを三崎に向けたまま言った。
「気に入らねぇんだよ。記録に残らない動きで、評価されるのがな」
「記録に残るのは、事実だけです。気に入るかどうかは、上が判断することだと思います」
その言葉には、怒りでも皮肉でもない、ただの“正論”があった。
南雲はなにかを飲み込むように唇を引き結び、
そのまま黙って補給ユニットの給水ボトルに水を汲みに向かった。
(三崎は深く息をついた)
(ああいうのも、ある種の“現場適応”なのだろうな)
状況が落ち着いたころ、任務報告を終えた三人は別々の経路で事務所へ戻った。
──その日の夜。探索一課の課長室。
川崎はデスクに座り、端末を操作していた。
モニターには、三崎一郎の《行動ログ》と、支援班側が記録した補助データの突合が表示されている。
(……予測支援、タイミングで完全に上回られてる)
分析が進むごとに、彼女の表情が僅かに引き締まっていく。
とくに南雲班の指示精度との誤差は、明らかだった。
(新人のスキルに後れを取ってるってのは、正直まずいわね)
彼女は資料を閉じ、別のフォルダを開く。
そこには《特務候補・観察対象者》というタイトルのリストがあった。
すでに数名の若手が、特務課側から打診されている。
その中に、三崎一郎の名前も正式に挙がり始めていた。
<やっぱり、この人材は……前線に置くだけじゃもったいない>
軽く頷きながら、川崎はタブレットをデスクに伏せた。
(適正は、ほぼ確定。残るは、社内政治と──本人の覚悟か)
彼女の目が、やがて窓の外に向く。
夜の都市。その下に広がる、未知の地下世界。
そこに、企業の論理も、他人の評価も、スキルログも通用しない“現実”がある。
(だったら……使える人間は、前に出す)
静かに、彼女はデスクの書類に新たな予定を書き加えた。
<次の任務。推薦は──三崎一郎>
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