3. 何があってもうわさのことは絶対調べます
弟は全てにおいて成長する
「その……朝日、どのへんから聞いてたの?」
「姉貴が、住吉監督の名前出したところから」
じゃあ、ほぼ全部朝日に聞かれたのか。
わたしはショックを隠しきれず、スタジオの隅に座り込む。
――トイレから戻るところで出くわした朝日は、わたしと姫乃ちゃんの会話を聞いていた。
わたしが部屋を出ていったすぐ後に朝日も催したくなり、後を追うようにトイレまで行ったところで会話が聞こえ、とっさに通路の角に隠れたという。
「別に普通に出てきて良かったのに。姫乃ちゃんとお話できるチャンスだったんだよ」
「いや、その、急すぎてびっくりしちゃって……それに姉貴、なんだかやばそうな話をしてたじゃん、伊那沢さんが密会とかどうとか」
その朝日の言葉を聞いて、わたしは隠していたものを朝日に知られたことに気づいた。
朝日には言うまい、としていた伊那沢さんの悪いうわさ。
いつかバレるとはいえ、極力知られずにいたかった。
「その話、一旦スタジオ戻ってからしよう。予定早まって撮影始まってるかもよ?」
そうわたしは言って、朝日をスタジオまで戻し、その間に上手いごまかし方を考えようとした。
けど、全く思いつかなかった。
で、朝日がわたしの言ったこと、姫乃ちゃんの言ったことを全部聞いていたという事実だけが、ここに残った。
「――姉貴は、知ってて俺に言わなかったの?」
「うん」
「どうして?」
朝日もわたしの隣に座り込む。
セットされた黒髪から、整髪剤の匂いが漂う。
朝日の幼い顔立ちには不釣り合いだけど、いい香りだ。
なんだか、今の状況を忘れてリラックスしちゃいそう。
でも、そんなわけにはいかない。
「だって、朝日は聞きたくなかったでしょ」
「何を?」
「――姫乃ちゃんの、スキャンダル」
朝日の顔を見ていられず、わたしは視線を下に向ける。
スタジオの板張りの床が照明に照らされ、反射するわたしの顔は少し暗い。
朝日にそっくりだとよく言われるけど、やっぱり朝日の顔の方が何倍も明るくてかっこよく見える。
それはともかく、好きな子の暗い話なんて、誰だって聞きたくないはず。
特に、多分初めて女子に恋をした朝日にとっては、ショックが大きいだろう。
と、思ったら。
「うーん、まあびっくりしたけどさ」
朝日の声は、思ったより暗くない。
わたしが顔を上げると、朝日は演技中のときみたいに真面目な顔。
表情も、どこか大人びて見える。
「でも、本当かどうかはわからないんだろ」
「そうだけど」
「だったら俺は、そのうわさ信じないよ」
力強く言い切る朝日。
確かにその顔に、疑いの色は無い。
……朝日って、演技以外でこんなにはっきりと物を言う事あったっけ。
「そもそも、伊那沢さんがそんなことするわけない」
「そうなの?」
「監督とこっそり会って、仕事をもらおうとしてたって? 伊那沢さんはやらないよ」
まるで見ていたかのように話す朝日。
「どうしてそこまで言えるの」
「だって伊那沢さん、休み時間に他の女子がおしゃべりしてても、ずっと缶コーヒー片手に台本読んでるし、よく1人でポーズの練習してるし、なんなら授業中も教科書じゃなくてファッション誌読んでるし」
いや、最後のはまずくない?
授業中は、教科書を見ていた方が……
――まあでも、その光景はわたしも想像できた。
芸能の仕事に対して、姫乃ちゃんは真面目に向き合っている。それは、さっき初めて姫乃ちゃんと話したばかりのわたしでも、何となくわかる。
「この前観たドラマに伊那沢さん出てたけど、普通に演技上手かったもん。外見はもちろん良いし、主役級に抜擢されてもおかしくないと思う」
「それ、ひいき目入ってない?」
「かも。だけど、伊那沢さんがちゃんと頑張ってるのは間違いないよ。というか」
朝日は、少し顔をわたしに寄せる。
そして、わたしがどうにか聞き取れるほどの小声で、しかしはっきりと言った。
「俺は、伊那沢さんのそういうところ、可愛いしかっこいいと思うんだよ」
そのささやき声は、わたしの朝日に対する見る目を、魔法みたいに変えさせる。
ハッとなって、朝日に目が行く。
……偉いな、朝日。
落ち込むか、あるいはうわさを鵜呑みにして、姫乃ちゃんと距離を取るようになるか。
そのどちらかだと思ったのだけど。
「ってかさ、誰だよ。そんなうわさ言ってるの」
「さあ……でも、結構広まってるらしいわ。ちなみに、わたしは明神君から聞いた」
「あっ、もしかして秋津さんも知ってる?」
「そうね。秋津さんも、朝日を心配して黙っていたのよ」
わたしがそこまで言うと、朝日はすっと立ち上がった。
「朝日? そろそろ撮影再開するわよ?」
「ちょっと秋津さんに言ってくる。俺は大丈夫だって」
朝日はそのまま、秋津さんを探してスタジオの外へ。
「あれ、大宮は?」
「あっ、すみません監督さん。多分、すぐ戻ってきますんで」
わたしはスタッフさんたちに応対しながら、少し大きくなった気がする朝日の背中を見ていた。
***
朝日は秋津さんとともに程なく戻ってきて、午後の撮影が始まった。
「秋津さん」
朝日の演技を観ながら、わたしは話しかける。
「何?」
「さっき、朝日から何か言われました?」
「まあね」
秋津さんは、自然にほほえむ。
こちらは、大人の余裕を感じる。
「伊那沢のうわさのこと、どうして黙ってたんだって言われた。朝日くんを悲しませないためって言ったら、俺は大丈夫だからって」
「じゃあ、わたしに言ったことと大体同じですね」
「……ところで、朝日くんがあんなにはっきりと主張することってあったっけ? 仕事関連以外で」
あっ、秋津さんわたしと同じこと言ってる。
「いや、わたしも初めてです。何かを決めるときは、大体わたしに聞いてたのに」
児童劇団に入るときも、事務所に所属するときも、青修に入学するときも。
朝日は必ず、わたしにどうかな?と聞いてきた。
もちろん、朝日なりにやっていけるかの不安とかがあったんだろうけど。
だからそこで、わたしがいるから大丈夫!と言ってあげるのがわたしの役割。
朝日に何かあっても、常にわたしがそばにいる。
わたしの見ている範囲では、絶対に朝日を苦しませない。
それを誓って、今まで朝日に色々言ってきた。世話をしてきた。
「実際、いつまでも私や瑞月ちゃんが一緒にいるわけにはいかないからねえ。同じ校内とはいえ、学校で瑞月ちゃんと一緒にいられないのは初めてなんでしょ?」
「はい」
小中学校とクラスが分かれることはあったけど、それでもわたしは校内でも極力朝日といるようにしていた。
もともと不器用だった朝日。昔はちょっと目を離すとすぐ指を切ったり転んでたりしたものだ。そんな弟、心配で仕方なかった。
そういえば、何かあるたびにわたし、先生や学校の子たちから言われてたな。
「瑞月さん、ちゃんと朝日くんを見ててね。あなたが一番近くにいるんだから」
「瑞月ちゃん、朝日くんなんとかしてよ。班活動うまく行かなくてさあ」
言われるたびに、わたしの責任感は強くなっていったものだ。
でも、青修ではそうはいかない。
朝、校門のところで別れたら、放課後まで朝日とは会えない。午後から仕事とかで朝日が早退したら、一緒にいられない時間はもっと長くなる。
秋津さんや、芸能科の先生たちを信用してないわけじゃないけど、やっぱり。
「だから、心配で心配で」
「その気持ちはわかる。けどね瑞月ちゃん」
秋津さんはわたしに顔を向ける。
その顔は微笑んだまま、しかし真面目だ。
「朝日くんはさ、昔より演技上手くなってるよね?」
「それはもちろんです」
わたしは素人だけど、それぐらいはわかる。
年々、朝日の演技は評価されるようになってるし、仕事が増えてきているのが何よりの証拠だ。
「じゃあ、演技以外のところだって、朝日くんは成長してるはずじゃない?」
「それは……」
「OK! よし、吉田と中山がいるうちにもう1シーン撮っちゃおう。大宮、続けていけるか?」
言葉に詰まったわたしを遮るように、監督の大声が聞こえた。
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