第二話 神の社、声なき出逢い~斎視点~

 これは、蓮が我の社で初めて目を覚ました、あの誕生日の一年前――

 冬の足音が忍び寄る、澄んだ秋晴れの朝――。


 我は、いつもより少し早く境内の掃除に取りかかっていた。

 今日はこの後迎える者のため、手水舎にも花を添える。


「……いつもはしないのだが、今日は特別だからな」


 境内の落ち葉が、風に揺れてカサカサと音を立てる。

 早めに掃除を終えねば、あとの準備に支障が出る。風を起こして落ち葉を一ヶ所に集めると、台所へ向かった。


(蓮が来たら、芋でも焼いてやるか)


 そう思いながら、今日のご馳走の仕込みに取りかかる。


 宴会用にも多めに用意せねばならぬ。森の連中は遠慮というものを知らん。少なければ、主役である蓮が食べ損ねる羽目になる。


 八年前…蓮がこの世に生を受けた”大切な日”だ。ただでさえ小柄な身体。……せめて我の前にいる時だけでも、腹いっぱい食べさせねば。


 母親と二人きりで暮らしているが、あの女は男ができるたび、金だけを置いて家を空けるという。蓮は与えられた金で総菜やパンを買い、どうにか飢えをしのいでいるようだった。


(今では、できるだけ我が家で食べさせるようにしている。

 ――そう…一年前のあの日以来……)


 ***


 冬の訪れを前に、森の木々に実がなり始める季節。朝は晴れていた空も午後にはどんよりと曇り、肌寒さが増していた。空気には、雨の匂いが混じっている。


 我は早々に掃除を終え、社の中で火鉢にあたりながら、手製の和菓子とお茶を楽しんでいた。静かな時間は、何よりの癒しだ。


 シャンシャンシャンシャン――


 ――突如、その静寂を破るように、鳥居前の呼び鈴が鳴り響いた。


「旦那ーー! 斎の旦那ーーー!」

「いつきしゃまー! たしゅけてくだしゃいー!」


 あれは、森の者たちのために設けた呼び鈴。神域に入れぬ彼らのため、しんのうの願いで設けたものだったな。

 我はひとつため息をついて立ち上がる。


 外に出ると、雨がぽつぽつと降り始めていた。鳥居の前では、小さな妖たちが何かを担ぎ上げるようにして支えていた。


 ――人の子か。


「木の実を取ってたら、急に倒れちまったでやんす!」

「ひどい熱なんだ、助けてやってくれよ!」

「おともだちなんでしゅ……いつきしゃま、おねがいしましゅ!」


 懇願する小河童たちの手から人の子を受け取り、我はすぐさま社の奥へと運んだ。


(まさか、この社に人の子を入れる日が来るとはな……)


 社の裏手には、神の力で繋がれた別空間がある。そこに、我が留守を預かる屋敷がある。


「――開け」


 小さく呟くと、襖がすうっと音もなく開き、風が舞うようにして布団が押入から滑り出る。畳の上にきちんと整って敷かれた様子を確認し、我は小さく頷いた。


「乾け」


 身体を拭い、濡れた衣に向けて指を払えば、柔らかな風が巻き起こり、湿った布を優しく揺らす。瞬く間に衣は乾き、湯気が立ち上る。

 人の子をそっと布団へと横たえた。


(熱を取らねば……)


 薬草を求めて飛び出していく小河童たちに解熱の頼みを託し、火鉢に炭をくべ、湯を沸かす間に冷気を集めて氷水を作る。解熱には、どちらも必要だ。


 小河童たちが戻るまでの間、何度も手ぬぐいを濡らし額に当てる。

 冷たい手ぬぐいが当てられると少しだけ苦し気な表情が和らぐが、また直ぐに苦し気な顔に戻ってしまう。それだけ熱が高いのだ。


 解熱の薬草とされるのは色々あるが……戻ってきた小河童たちの手には――苦蓬にがよもぎが握られていた。


『これならすぐにつかえましゅ!』


 ということらしい……。


(千振よりは…まだ”マシ”…か……)


 熱を祓うためにも飲んでもらうしかない。

 洗った葉を刻み煎じ鍋の中に入れ、寝所の火鉢にかけた。蓋を少しばかりずらし、雑味を飛ばして穏やかな効果だけを残すようにする。


 あとは薬効が湯に溶けだすのを待つだけだ。


 しばらくすると、特徴的な苦味と爽やかさが混ざり合った香りが漂い始める。

 蓋を取り中の様子を見ると、湯に濃い色が付いていた。


 ――頃合いだ。


 煎じ鍋を火から降ろし、茶こしを使い薬湯を椀へと注ぎ少しだけ冷ました。

 匙で薬湯を掬い、そっと口元へと持っていく。


「薬だ。飲めば楽になる」


 唇へ匙を付けるとゆっくりとその小さな口を開けた。

 差し出した匙を口にした瞬間、子供は目を見開き、咳き込んだ。

 予想していた反応ではある……。


「大丈夫か?」


 背中をさすりながら訪ねると、人の子は両手で口を押さえ、涙目になりががら小さく首を横に振った。


 ――さもありなん。だが――


「飲まぬと熱が祓えぬ。」


 眉が寄せられ、なおも口元をギュッとおさえ首を横にふる。

 我は椀を差し出し言った。


「これは、お前を心配した小河童たちが”お前のために”持ってきた薬草だ。……飲め」


 それは驚いたように我の顔を見つめていたが、やがて小さく頷いて、椀を受け取る。

 そして、一滴残さず飲み干すと布団に突っ伏した。


 大人でも口にするのを嫌がる薬湯、あれほど頑なに拒んでいたというのに――小河童たちの心を汲んだか……。


「……いい子だ」


 我の口から、ふと言葉が漏れ、自然と人の子の頭に手を置いていた。


(……不思議な人の子だ。小河童たちが、あそこまで懐くとはな……)


 我の手に宿る想いは、まだ言葉にはならない。

 だが、その奥底で――名もなき何かが、静かに芽吹こうとしていた。



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