二話
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「兄さんって妹に甘いものなのかな」
山盛りのクリームに目を奪われるパンケーキを前に糺が呟くと、同期であり、友人の
パンケーキのお店〈あわゆき〉の店内で、三人は軍装のまま、円卓を囲んでいる。
店内の誰もが軍人である彼らに目を向けていない。それは軍人の訪いが日常的だからだ。軍人が軍装のまま休憩中にお店に入るのは珍しいことではない。
それでも、彼らの軍装はよく目立つ。
〈
それでも、店内の客が彼らに目を向けることはなく、思い思いにそれぞれの食事を楽しんでいた。
「兄さん、いつも私に多い方をあげるの。例えば、パンケーキなら、綺麗に焼けた方を私にあげるの。で、自分はちょっと歪になったパンケーキを選ぶんだよ。兄さんが珈琲を用意している間にこっそりと入れ替えても、すぐに元に戻されるんだ」
いつの間にかパンケーキを切り分けるのを再開していた八代と羽坂が糺を見ることなく、言った。
「申し訳ないが、兄と一緒の食卓になったことがない」
「俺はお袋が家庭内の平和の為にきっちり分けていたから分からん」
「まじかあ。というか羽坂家の母が最強すぎる」
間の抜けた声を出した糺の目の前に八代が切り分けたパンケーキの皿を置いた。三等分に綺麗に分けられたパンケーキとクリームの上には、〈
「ん? ちょっと待って! 待って。いや、分けておいてもらってあれなんだけど、二人とも私を甘やかさないで! 私の方が! 多い!」
糺が八代と羽坂のパンケーキを見ると、二人の〈白誉〉はきっちりと同じ量だ。
「気のせいだ。お前の好物を多くあげただけだ」
「そうだ。気のせいだ。大人しく好物を受け取って食べろ」
「なんだよう」
唇を尖らせながらも、思わず笑顔になった糺は姿勢を正して、手を合わせた。八代と羽坂も手を合わせて、示し合わせずとも、いただきます、の声が重なった。
真っ白な木製のナイフとフォークを使ってパンケーキを切り、フォークで突き刺したパンケーキにナイフを使って生クリームを塗る。大きく口を開けてパンケーキを食べた糺は、口の中で唸った。
ミルクの味の濃い生クリームと、あっさりとした甘さのふわふわしたパンケーキを堪能するように咀嚼して飲み込んでから、口を開く。
「おいしい……!」
糺が八代と羽坂を見ると、二人とも同じように笑顔になっていた。
「おいしい。生クリームの量に驚いたけど、これなら全部食べられる」
「ああ。あっさりとした甘さがとてもいい。おいしいな」
二人の言葉に頷きながら、糺は再びパンケーキを切り分けた。
「兄さんも来られたら良かったのに。兄さんが好きそうな味だから」
高久は残念ながら休憩に行く途中で上司に呼ばれてしまったのだ。
「この店に材料が売っているから、今度、作ってあげたらどうだ」
八代に言われて、糺は何とも言えない顔をした。
「どうした?」
「お菓子……兄さんには、敵わないんだよね……」
糺の何とも言えない顔に八代と羽坂が顔を見合わせて頷く。
「確かに、高久のお菓子は、おいしい……」
「お店が開けるだろうっていうおいしさなんだよな……」
でも――と羽坂が続けた。
「高久は作ったものに文句言わないだろ」
糺は、まあね、と言わんばかりに頷いた。
「言わない。私が砂糖入れ忘れたゼリーを美味しいって食べる人だもの」
「だったらいいじゃねえか」
ぶっきらぼうにいいながらも、優しい響きのある声だった。羽坂は切り分けたパンケーキを口に入れている。
「そうなんだけど、兄さんに多めにあげたいから、間違いなく、おいしく出来るのをあげたいんだよ。私が作った、あまりおいしくないのを多めに食べさせたくない」
糺は〈白誉〉をフォークで刺した。瑞々しい果実が弾ける音がした。そのまま口に入れると、ミルクで甘くなった口内を洗い流す甘さが広がった。
ふ、と笑みが零れた音がして顔を上げると、羽坂が笑みを浮かべていた。あまり見たことがない優しい笑みだった。
「何、思い出し笑いしてるの」
糺もつられて笑顔を浮かべると、羽坂は、ああ、と気まずそうな笑顔に変わった。どこか、照れくさいというような表情にも見えた。
「ああ……知り合いの子が、な、学校の調理実習で作ったクッキーをくれたんだが、俺に綺麗なのばかりくれるんだ。それで自分は欠けたクッキーを食べているんでな、せっかく作ったんだから、綺麗なのを食べたらどうだって言ったら、綺麗なのをあげたいんですって言われたのを、思い出していた」
知り合いの子、と聞いて糺は、〈
羽坂が長身で目立つこともあるが、それ以上に一緒に歩いている子供がいやに目立つ。だから、糺も、八代も、ここにいない高久も、羽坂が子供と二人で通りを歩いていることを知っている。たまに家で預かっていることも、なんとなく察していた。
でも羽坂が言わないから、あえて追及していない。
「かわいいね。羽坂においしく出来た所を食べて欲しかったんだね」
糺が八代に同意を求めると、八代も分かっている、と言わんばかりに微笑んだ。
「ああ。かわいい。その子、いい子だな」
「……ああ。いい子だ」
ぽつり、と落とした声に優しさが滲む。冷めて湯気のなくなった珈琲を羽坂は一気に飲み干した。
糺も八代もクッキーの味は聞かなかった。聞かずとも返ってくる答えが分かっていたからだ。
糺は再び、生クリームがたっぷりと残った皿のパンケーキを食べ始めた。
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