翼と石油、そして禁断の恋
そんな激動の最中、私の興味は、既に、海の上から、空へと移っていた。
ライト兄弟による、人類初の動力飛行。その報を聞きつけた私は、直感した。
『――これだ。これが、次の戦場の姿だ』
私は、すぐさま、航空機の研究開発に着手した。まだ、世界中の誰もが、空飛ぶ機械を、好事家の玩具くらいにしか見ていない時代。私は、泡沫城の秘密工房で、最高の職人たちを集め、莫大な資金を投じて、偵察、爆撃、そして、空中での戦闘を目的とした、全く新しい兵器としての「航空機」を、秘密裏に製造させていった。
それは、無煙火薬の発明と同じタイミングだった。硝煙で視界を遮られることのない、この新しい火薬は、機関銃の性能を飛躍的に向上させ、航空機に搭載する兵器として、うってつけだった。
やがて、私は、これらの新しい兵器を動かすための、「血」の重要性に気が付く。石油だ。石炭に代わる、この黒い液体こそが、次の百年間の世界の覇権を握る鍵となる。私は、世界中の地質データを分析し、人知れず、中東の砂漠地帯に巨大な油田を発見した。そして、現地の部族と独自の協力関係を築き、その利権を、誰にも知られぬまま、我が物としていた。
私の泡沫城は、もはや、ただの城下町ではなかった。軍艦が停泊する巨大なドック、航空機が発着する滑走路、そして、最新鋭の兵器を製造する工場群が建ち並ぶ、一つの独立した軍事都市。未来都市と呼んでも、過言ではない様相を呈していた。
そして、第一次世界大戦が勃発する。
私は、観戦武官という名目で、再びヨーロッパの地獄を目の当たりにした。塹壕の中で繰り広げられる、泥沼の消耗戦。そこに投入された、新しい悪魔たち。菱形の鉄の塊、「戦車」。そして、風に乗って人の命を無差別に奪っていく、毒ガス兵器。そのあまりの非人道性と、効率的な殺戮能力に、私は、深い戦慄を覚えた。帰国後、すぐさま、これらの兵器の研究開発にも、着手したのは言うまでもない。
いつしか、泡沫城は、世界中のどの国家も、手出しのできない、不可侵の領域となっていた。その圧倒的な技術力と、富と、そして、千年を生きる私自身の存在そのものが、巨大な抑止力となっていたのだ。
そんな、血と鉄と硝煙にまみれた日々の中で、私は、ミアと出会った。
海外の大学で工学を修め、日本に帰国し、巨大財閥である実家の支援を受けて、自ら造船会社を立ち上げた、二十五歳の若き才媛。初めて会ったのは、彼女が私の泡沫城に、最新鋭の軍艦の技術供与を求めに来た時だった。
彼女は、ただの理系の女ではなかった。その指は、油絵の具で汚れ、しかし、ショパンの『革命』を、完璧に弾きこなす。絶対音感の持ち主であり、彫刻家としても、非凡な才能を見せた。知性と、芸術性と、そして、燃えるような野心を、その身に同居させた、魅力的な女だった。
私たちは、激しい恋に落ちた。
だが、それは、許されざる、禁断の愛だった。彼女には、親が決めた財閥家の婚約者がおり、既に二人の子供さえいた。私たちは、人目を忍んで密会を重ねた。私が秘密裏に開発した、夜間飛行能力を持つ航空機で、彼女を、月明かりの砂丘や、誰も知らない南の島の浜辺へと連れ出し、愛を育んだ。
やがて、明治の帝が崩御し、大正という、短くも華やかな時代がやってきた。
1920年代、ラジオという新しいメディアが生まれると、私はいち早くそれを泡沫城に導入し、独自の放送局を開設した。映画という新しい娯楽に未来を見出し、自ら脚本を書き、監督をし、城下町の住民を俳優に使って映画を制作し、専用の映画館で上映した。銀行システムを構築し、独自の通貨さえ発行しようと試みた。
泡沫城は、もはや、武器だけではない。経済も、文化も、エンターテイメントも、この国、いや、世界に対して、発信し始めた。そうすることで、この城を、誰もが必要とし、決して手出しできない、唯一無二の存在へと昇華させようとしたのだ。
だが、大正デモクラシーと呼ばれた華やかな時代は、長くは続かなかった。1926年、若き大正帝が崩御し、昭和という、暗い影を落とした新しい元号が始まる。
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