武士の世、商人の貌(かお)

壇ノ浦の赤き夕陽が、まるで昨日のことのようだ。

しかし、人の世の暦は、とうに百年の時を刻んでいた。

源氏が打ち立てた鎌倉の幕府も、もはや頼朝の血は途絶え、その妻の一族である北条が「執権」として実権を握っていた。武士の世は盤石になったかに見えたが、その内側では、権力を巡る陰謀と暗殺が、京の公家たちもかくやというほど、陰湿に渦巻いている。


面白いものだ。あれほど「質実剛健」を謳った武士たちも、頂点に立てば、結局は京の者たちと同じ穴の狢(むじな)になる。人の本質など、衣や身分が変わったところで、そう易々とは変わりはしない。


私は、琵琶法師の姿を捨てていた。

あの「平家物語」の歌は、あまりに有名になりすぎた。私の顔を知る者はいなくとも、「謎の琵琶法師」の存在そのものが、伝説となり、人の世で尾ひれをつけながら語られている。それは、私の静かなる旅路においては、少々、目立ちすぎる。


今の私は、商人だ。

相変わらず粗末な衣と編笠でその貌は隠しているが、背には琵琶ではなく、大きな背負子(しょいこ)を担いでいる。中には、各地で仕入れた品々。北国の昆布、南の島の貝殻、唐渡りの珍しい香辛料。それらを、小さな舟を自分で操り、内海を行き来しては売りさばき、ささやかながらも財を成していた。

人との関わりは、最小限に。一つの場所に留まれば、不老であるこの身が怪しまれる。私は、常に動き続ける、根無し草の商人だった。


そんな日々の中で、私の心を捉えたものがある。

それは、武器だ。


きっかけは、北条と他の御家人との小競り合いに巻き込まれたことだった。戦場で、私は見た。分厚い鎧をも貫くという、十字の形をした巨大な矢「大矢(おおや)」。弓も、それまでの丸木弓ではなく、竹と木を膠(にかわ)で張り合わせた「伏竹弓(ふせだけゆみ)」が主流となり、その飛距離と威力は格段に増していた。

また、太刀も、それまでの優美な姿から、より実戦的に、切れ味を追求した、反りの強い「太刀(たち)」へと姿を変えていた。中でも、備前の刀工集団が打つ刀は、地鉄(じがね)の美しさと、刃の鋭さで群を抜いていた。


『……美しい』

思わず、心の内で呟いた。

人を殺すための道具。しかし、その機能美は、私の心を惹きつけた。エリーの肉を食らい、化け物となったこの身の内には、かつて百戦錬磨の武士であった橘嵐の魂が、未だに息づいている。

人を殺すための道具が、進化していく。ならば、人ではないこの私は、どう進化すれば良い?

私は、各地を巡る傍ら、珍しい武器や、優れた武具を買い集めるようになった。私の商いの品々に、いつしか鍛冶師から仕入れた小刀や、特殊な鉄砲(てっぽう)の前身ともいえる火器の類が加わるようになった。


第二十章:海神(わだつみ)の咆哮


そして、文永十一年。

その日は、やってきた。

「蒙古(むくり)が来る」

そんな噂が、まことしやかに囁かれ始めていた頃。私は、博多の港で、大陸との交易の準備をしていた。

対馬、壱岐の防人(さきもり)たちが、海を埋め尽くすほどの異国の大船団を見たという知らせが、鎌倉にもたらされたのは、その数日後のことだった。


元寇。

フビライ・ハーン率いるモンゴル帝国と、その属国である高麗の連合軍が、この日ノ本(ひのもと)に牙を剥いた。


私は、舟を出し、戦の様子を遠巻きに眺めていた。

衝撃だった。

元の兵が使う武器は、私の知る日本のそれとは、全く異なっていたのだ。

彼らの弓は、「蒙古弓(もうこきゅう)」と呼ばれる、短く、扱いやすい複合弓。その射程は日本の長弓に劣るものの、速射性に優れ、馬上からの射撃に特化している。矢の先端には毒が塗られているという噂もあった。


そして、何よりも私の度肝を抜いたのが、「てつはう」と呼ばれる炸裂弾だ。陶器の玉に火薬を詰め、投擲する。着弾すると、轟音と共に爆発し、鉄片を撒き散らす。日本の武士たちは、この未知の兵器に度肝を抜かれ、馬は驚いて暴れ、陣形はことごとく崩されていった。


『……これか』

私が求めていた、新しい力。

人の理(ことわり)の外にある、破壊の力。


だが、元の圧倒的な火力の前に、日本の武士たちも、ただでは終わらなかった。彼らの一騎当千の武勇は、集団戦を得意とする元の兵たちを、局地戦で圧倒した。日の本(ひのもと)の刀の切れ味は、元の兵たちの革鎧を、紙のように切り裂いた。


だが、衆寡敵せず。博多の防衛線は次々と破られ、武士たちは内陸へと撤退を余儀なくされていく。

もう、この国も終わりか。

あの海の向こうの、巨大な帝国の版図に組み込まれるのか。

そう、誰もが思った夜。


嵐が、来た。

まるで、この国を守る意志があるかのように、猛烈な嵐が吹き荒れ、元の艦隊を海の藻屑(もくず)へと変えていった。人々は、これを「神風」と呼び、神仏の加護に感謝した。


だが、私には分かっていた。

これは、神などではない。ただの、自然の気まぐれだ。

そして、この気まぐれは、一度きりとは限らない。元は、必ずや、再び来るだろう。


私は、新たな探求の旅に出ることを決意した。

この国の武器ではない。海の向こうの、あの「てつはう」や「蒙古弓」の、さらに先にあるものを求めて。私は、自分の小さな舟を操り、独り、玄界灘の荒波へと乗り出した。目的地は、元の属国、高麗。そして、その先の、巨大な大陸だ。


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