ヴァンパイアハンター

「『現代では随分少なくなった』なんてかぐやは言うけど、それでもまだ、そこそこいるものなのよ――――あぁ、リル、一旦止まりなさい。室外機あるから、右へ避けて進むといいわ」



「あ、う、うん……」




 言われた通り、右側へ半歩、身体をずらして歩く。――――左足の端っこに、硬いもののこすれる感触がして、もう少し、半歩の半分くらい壁に身を寄せて、少し肩をこすりながら進んだ。




「ご、ごめんね静海くん……肩、大丈夫……?」



「んー? 気にしなくていいぞ、リル。それより、ちゃんと手ぇ広げて、壁に気をつけてな? コイツの所為で怪我でもしたら、バカバカしいことこの上ないぞ」



「好き勝手言ってくれるわね……今回は私、一応被害者なのだけど?」



「覗きさえしてなけりゃ、同情の余地もあったかもな……」




 ぼやきながら先導している静海くんを、弱々しい舌打ちを鳴らす和ちゃんを、あたしは見られない。せっかく月の照らした道も、あたしはなにも見えないままで進んでいた。



 静海くんが、わざわざ左手を後ろに回して。



 あたしの眼を塞いだ状態で、進んでくれているのだ。




 ……和ちゃん曰く、『ビルの屋上から首も身体も、テキトーにぼとぼと落とされた』らしくて、身体がどこにあるのかは、和ちゃん自身にも正確には分かんないみたい。だから探している最中、ふとした拍子に目に入ってしまう可能性がある訳で。



 怖がったあたしに、静海くんが気を遣ってくれたのだ。



 だから今、あたしは両側の壁にぺたぺた手をつきながら、和ちゃんにナビされて、眼を塞ぐ静海くんの手を追いかけるように歩いている。



 ……眼を瞑って、手を引いてもらうって手もあったけど、道が狭いから両手を使えないと危ないって、静海くんに却下された。言い分がもっとも過ぎてすぐに納得したけど、何故だか和ちゃんは曖気みたいな溜息を吐き出していた。…………まぁ、手を繋げなかったのは残念だけど。



 ちょっとふらつきながらも、もう5分ほど。



 なにかに派手にぶつかって怪我をするようなこともなく、ゆっくりとだけど、進んでいけている。




「まったく、心の狭い男ね……――――あぁ、話の途中だったっけ。……まぁあなたのことだから、尻切れ蜻蛉だった話なんて覚えていられないでしょうけど」




 前半と後半で、なんだか湿度の違う愚痴を吐いて。



 和ちゃんはつんつんと、あたしの肩を髪でつついてきた。




「んっ? あ、えと、…………ごめん、なんか、話してたっけ……?」



「ほんのさわりだけね。尻切れどころか首切れ蜻蛉だったわねそう言えば。っふふ、まるで今の私みたい――」



「ナゴ。血生臭い冗談言って、リルを怯えさせるんじゃねーよ」



「はいはいすみませんでした。――――まぁ前置きを省略するとね、こういうことは、私たちにとってそんなに非日常ではないのよ。リルも、追々慣れていけるといいわね」



「慣れっ…………、そ、そんなに『よくあること』なの? その……、ってことが……」



「私は外でフラフラしていることが多いし、余計にね。……これでも昔に比べれば減ったらしいけど、今でもそこそこいるのよ。吸血鬼を退治する専門家――――って奴らはね」




 ざり、ざりと壁をこすりながら、鈴の鳴るような声を脳で咀嚼する。



 ヴァンパイア、ハンター。



 吸血鬼を、退治する、専門家……。




「ほんの10年前まで、吸血鬼は人間を襲い、人間は吸血鬼を憎み恐れていた。それが当然の関係図だった。……やられっ放しなんて、誰だって腹が立つでしょう? だから、人間は吸血鬼を殺すノウハウを作り上げていった。いつからかヴァンパイアハンターと名乗り、正義を掲げて吸血鬼を駆逐する徒党が現れ始めた。――――そうやって数百年、吸血鬼を殺すことこそが正しいって世界で生きていたら、いきなり吸血鬼に人権を認めろだなんて、土台無理な話なのよね」



「……でも、今は……」




 そうだ、先週、和ちゃんたちに教えられた。



 今の令和のこの世では、吸血鬼に人権が認められている。和ちゃんも硝くんも他のクラスメートも、静海くんだって当然、戸籍を持って主権を有して、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が保障されている。




「っ……本当に、和ちゃんが殺されたんなら……っ、警察に――」



「無駄ね。まともに取り合ってなんかもらえないわ」




 和ちゃんは、冷たくそう言い切った。


 まるで……何度もそういう思いを、させられてきたみたいに。




「五体満足な身体で『殺されました助けてください』なんて言っても、笑いものになるのがオチよ。警察は事件が起こるまでなにもしないなんてよく言われるけど、正確には、『事件が起きたと明らかに分かる証拠が出るまで、なにもしない』なのよ。死に難い身体も、こういうご時世だと考えものよね」



「ナゴ」



「……冗談よ、冗談。あなたが死ぬまでは待ってあげるわ、静海」



「…………」



「っ、で、でも! このまま泣き寝入りなんて、そんなの……よく、ないんじゃ――」



「よくないわね。今回は私だったから大事にならず済んだけど、現代の吸血鬼の大半は、不死性なんて持っていないのだから」




 殺された張本人なのに、まるで他人事みたいに和ちゃんは言う。



 首を斬られて殺されたことなんて、気にするに値しないとばかりに余裕綽々で――――すぐに泣いて腰を抜かしちゃうあたしとは、正反対で。



 それどころかもう、他の吸血鬼にまで和ちゃんは、視野を広げている。




「一般生徒が狙われないよう、かぐやたちと対策を練らないと。……まぁ、吸血鬼の生徒は大半が寮住まいだし、悪意のある人間は入れないよう、学園には結界も張ってあるけどね。…………リルも――」



「ナゴ、話の途中で悪いけど、見つけたぞ。オマエの身体」




 って。



 静海くんは言って、それからゆっくりと立ち止まった。あたしも、大きな手の動きに合わせて立ち止まって――――噎せるような鉄臭さに、思わず鼻と口を塞いだ。



 見えないけど、でも分かる。ここにある。



 和ちゃんの、斬られた身体が。




「あぁ、そうね。……で、実際目にした感想は?」



「趣味の悪いことを訊くなよ。…………まぁ、思ったよりズタボロにやられてるな。ヴァンパイアハンターにやられたってのは本当っぽい」



「今の今まで疑われてたのね……薄情な弟分だわ本当こいつは……」



「勝手に姉貴分気取るな気色悪い……リル、悪いけどちょっと眼を瞑って、ここで待っててくれ。いいって言うまで、眼は開けない方がいいと思うぞ」



「う、うん……」




 温かくて大きくて、両眼を隠してもまだ余りあった手の平が離れちゃって。



 春先の風をいやに冷たく感じながら、あたしは言われた通り、眼を閉じて立ち尽くしていた。



「よっ、と……これでいいか? ナゴ」



「えぇ。そのまま固定していてちょうだい。……途中でずらさないでよ? 縫いつけてる途中でずらされると、変な角度で再生しちゃうんだから」



「それくらい自力で治せるだろ。ったく……さっさと済ましてくれよ? 結構神経使うんだぞ」



「堪え性のない男は嫌われるわよ。……痛っ…………」



「…………あの、和ちゃん……」




 ざわざわ、胸の奥が落ち着かない。



 掻き毟ってしまいたくなるような不快感に耐えられなくて、あたしは思わず声をかけていた。




「……治る、よね? 元の……元気な和ちゃんに、戻るん、だよね……?」



「……、……心配しなくても、すぐに戻すわよ。今、髪を糸代わりに切断面を縫合しているところ。繋がりさえすれば、数秒で神経も血管も癒着するわ。傷痕も、そうね、2分くらいで消えるんじゃない?」



「…………規格外、過ぎない?」



「えぇ。心配するだけ損よ、私のことなんて。この男並みに太々しくなれとは言わないけどね」



「誰が太々しいだ誰が。……珍しく顔赤くして、よく言うんだぞこいつ……」



「黙りなさい静海。――――はい、繋がったわ。眼を開けてもいいわよ、リル」



「う、うん――」




 言われて、あたしはちょっとだけ覚悟して、眼を開けた。



 ――――思った通り、辺りはおぞましいくらいに血まみれで、最初に会った時の静海くんなんか目じゃないくらいに赤一色で。




 それは、その光景だけは、覚悟していた。




 っ――――けれど――







「――――な、なななななな和ちゃんっ!?」





 眼を見張った。失礼だけど、凝視せずにいられなかった。




 静海くんの言っていた通り、和ちゃんの服はズタズタだった。裂け目から見える白い肌には傷ひとつないけれど、それでも、刃物で酷くやられたんだってことは、あたしにだって分かる。




 けど、でも、でも、でも!




「? どうしたの、リル。……あぁ、思ったより血が多くて驚いたかしら――」



「――――静海くんダメっ!! 眼ぇ瞑って今すぐ!!」



「へっ? っ、うぉおっ!?」




 惚けた顔をしてへらっと笑う和ちゃんには、あまりに血が多くて近寄れなくて。



 だからあたしは、その脇に立つ静海くんに跳びついて、慌てて両眼を塞いだ。




「どっ、どうしたんだリル!? 急になんで――」



「ななっ、和ちゃんなんで、なんでそんな恰好……っ、よ、夜だよっ!? 外出てるんだよっ!? なのになんで――」




 なんで、なんで和ちゃんは。



 姿で、そんな平然としていられるの!?



 見えちゃってるよ!? 諸々全部!! 胸なんてネグリジェすら裂かれて、ほとんど丸出しで――――




「…………っふふ、あははっ! やっぱりリル、あなた面白いわ。へぇ、ふぅん……成程、心配される感覚っていうのも、悪くはないわね」



「わ、笑ってる場合じゃないでしょっ!! は、早くなんかこう! 吸血鬼的な不思議パワーで服を着るとか、なんか変身するとか! そういうので隠さないと――」



「っふふ、嬉しくてハグしてしまいそうだけど――――私より、まずは我が身を心配しなさいな、リル」




 そう言って。



 地面に座り込んでいた和ちゃんは――――ぴちゃり、と自分の血溜まりへ指を潜らせ、くるり、と回してみせた。



 それだけで、辺り一面に飛び散っていた赤色たちは。



 蠢き這うようにして和ちゃんの指先へ吸い込まれていって…………気付いたら、和ちゃんは窮屈そうに蝙蝠の翼を広げて、見上げないと届かない場所にまで、浮かび上がっていた。




「……凄い……」



「えぇ、知ってるわ。あなたたちには無理なことも知っている。だから、気をつけろと言ってるの。リルみたいな、普段は学園から離れている子は特にね」



「…………?」



「……呆けた顔しているけれど、リル、あなたは? なら、――――ヴァンパイアハンターの中には、そういう人間すら許さないって過激派もいるわ。あなたが襲われる可能性だって、ゼロではないのよ」



「っ……!」



「言葉も出ないほど驚かないでよ…………はぁ、まぁいいわ。静海、ちゃんとリルを家まで送ってから帰るのよ? まぁ、送り狼になるっていうなら敢えて止めないけど?」



「……冗談の性質が悪いぞ、オマエ……」




 あたしがまとわりついた状態でもまるで意に介さず、静海くんは溜息交じりで和ちゃんに返す。



 ……いや、待って。待とう。今の流れ、致命的な欠陥がある!




「ま、待ってよ和ちゃん! 静海くんも! あ、あたしを送ってから寮に帰るって……そ、その間に! 静海くんが襲われちゃうかも……っ、和ちゃんは飛べるけど、静海くん、苦手って言ってたし……!」



「……静海が? ……あぁ、そうね。その可能性もあるのね。すっかり失念していたわ」


 だって。




 和ちゃんはそう言って――――約1ヶ月の付き合いの中で、一番無邪気な顔をして、笑った。








「静海が人間に襲われた程度で、殺される訳ないんだもの」






「…………」




 背丈相応の、サンタクロースを疑いもしない子供みたいな。



 真っ直ぐな、信頼に満ちた目で笑うから…………あたしは……




「……リル?」



「――――じゃあ、私は先に帰っているわ。かぐやと京古に報告しなくちゃ。静海も、狼になる度胸もないのならさっさと帰ってきなさいね」



「っ――――だからっ! オマエの冗談は笑えねぇんだぞ! ナゴぉっ!!」



「はいはい――――じゃあね、リル。また明日」



「っ、あ……」




 言いたいだけ言い残して、羽ばたきひとつで月よりも遠く見える高さまで上昇して。



 そのまま学園の方角まで飛んで行ってしまった和ちゃんを、……あたしは……




「…………」




 ……夜なのに、月明かりなのに眩しくて――――結局、直視できないまんま、中途半端に見送った。

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